第2回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA大ホール
2019年6月20日

変貌する新今宮


 

阪南大学 国際観光学部教授
松村 嘉久 氏

 

講演要旨
     大阪環状線のJR新今宮駅北側では、星野リゾートやグローバルハブ恵美の建設、南側ではあいりん総合センターの建替も決まった。なにわ筋線計画も進むなか大きく変貌する新今宮駅周辺の現在と近未来を語ります。
 
   

1.100年変わらない街はない
 「伝統文化を(  )る」。(  )にどんな文字(動詞)を入れたらいいか?学生に質問すると、国際観光学部の学生の大半は「伝統文化を守る」と答える。
これは正しいが、中国系の人は創ると答える。
伝統文化は創って行かないとダメだと思う。人、街、伝統文化さえも、変わらないものはない。例えば歌舞伎が誕生したのは江戸時代だが、当時と現在では大きく変わっている。スポットライト、音響設備の違いもあるが、歌舞伎の発祥は出雲阿国で、はじめは女性が踊っていたが、いつの間にか男性だけの世界へと変わって行った。
 人も街も伝統文化さえも遺伝子を引き継ぎながら常に変わり続けている。
 伝統文化を「守る」ために戦う勇気と「創る」ために壊す勇気もいる。この戦略が必要。

2.4分の1世紀ごとの激変:1966年生まれの実感
 私は1966年丙午の早生まれで受験戦争の激しい世代だが、4分の1世紀ごと、25年ごとに激変していると実感している。1965年〜1990年の25年間、1990年〜2015年の25年間。2015年からの25年間が次の画期。私は過去に2つの「画期」があったと考えている。
 1つめの画期は、高度成長の終焉とバブル崩壊の1999年。1998年12月31日の株価がピークでそれ以来25年以上も経過する。バブル当時、学生のアルバイト料は、今より高かった。
 もう一つ画期的だったのは日本の人口がピークを過ぎ、人口減少が始まった2015年。同時に、インバウンド時代が到来した。日本人の海外旅行(アウトバウンド)と、外国人訪日旅行(インバウンド)が逆転したのが2015年である。
 1960年代は憧れのハワイ航海で、海外へ殆んど行けなかった時代。70年代に高度成長時代が始まり1980年代、中曽根首相の頃、日本の貿易黒字が増大、海外旅行が急増してアウトバウンドが、アッという間に1,000万を超えた。この時期にJTBや、近畿日本ツーリストや、HISとか、旅行代理店が急成長した。
 一方インバウンドは、ずっと低迷し続けたが、2003年に当時の小泉首相が「観光立国宣言」をした。当時、私は阪南大学の国際観光学部の教員であったが、唐突な感じは否めなかった。しかし私は、2003年頃から国際観光を意識し「大事なのはインバウンド」と思い続けた。
 観光立国宣言後インバウンドは微増したが、2009年のリーマンショッと2011年の東日本大震災による福島原発事故で日本のイメージが悪化して、インバウンドは一時的に減少した。
 しかし驚くのは福島原発事故後も、インバウンドは急増し、2015年にアウトバウンドを抜き、その後も伸び続けている。なぜ日本に外国人が来るのか?
 当然大阪の魅力もあるが、一番の要因はLCC(格安航空会社)の急成長が挙げられる。橋下徹知事の時代、関西国際空港にLCCを誘致して、ピーチ航空、バニラ航空等今迄無名であった航空会社が定着した。
 私はモビリティ=人口の流動性が大切だと考えている。
 アジア人は、日本に来ていないが、すでに世界各地を旅行している。
 1980年代、外国人の大半は就労目的での来日であった。例えばインド人が西成区あいりん地区で仕事探しをしていたりした。外国人の来日は、不法就労につながる,というようなイメージがあった。
 日本は、入国審査やビザ発給条件が厳しく外国人にとって煩わしい国であった。
 アジアの人々が海外旅行で世界を巡っているのに、彼らが日本へ気軽に来られる状況になかった。それが、LCCの就航と訪日ビザ条件の緩和で、彼らが日本に来るようなパイプができた。
日本は東日本大震災、福島原発事故が起こっても安全と安心の国である。
  千里で警官が拳銃で撃たれる不幸な事件があったが、たった五発の銃弾で皆がパニックに陥り、周辺の学校が休校するくらい緊張と不安になった。これは他の国では考えられないことで、それだけ安全な国だと言う事の裏返しと言える。
 日本の人口減少の中で、海外旅行者が「安全・安心の国 日本」へという流れが出来た。

 学生に「街場に現存するもので30年後に残っているものは何か?」とよく問います。30年後、銀行は残っているのか? コンビニで現金が引き出せるし、スマホで決済もできる。現金を持ち歩く必要自体がなくなるのでは。
 ショッピングも百貨店で商品の現物を見てネットで購入する。
 18歳以下の人口が減少している現状、海外からの留学生が日本の大学に入学しない限り、大学の存続も難しい。鉄道や自動車、工場も残っているかどうか分からない。
 逆に残るのはドローン。2006年、中国、香港に調査に行った帰りに飛行機の機内販売でヘリコプターのおもちゃを子どもへのお土産として買った。よく飛ぶし、羽が柔かい素材で、当たっても潰れない。今思えば、ドローンを作った会社の製品だった。あれから十数年、アフリカなどでは緊急救命用の医療品等の搬送にドローンを使用している。近い将来、家庭のベランダーにドローン着陸所が出来て物資を届けてくれる。そんな時代が予想される。

 今後、日本は人口減少社会が来る。2017年の厚生労働省の推計によると、2040年に人口1億800万人〜1億1100万人、2065年は8,200万人〜8,800万人と見込んでいる。私が生まれた1,965年の人口は9.800万人だったが、つまり私が死ぬ頃には生まれた年位に減少している。
 今の日本人口は約1億2,700万人。2,040年には四国4県の人口385万人と九州7県の人口1,300万人を失うことに匹敵する。安倍政権の地方創生の根拠はここにある。
 私の両親は昭和49年頃、大阪から奈良県生駒市の郊外住宅地に移り住んだが、現在、周辺は独居老人か、老夫婦二人。空き家も目立ち、老夫婦には暮らしにくい環境なので、病院が多く、生活に便利な天王寺区のマンションに引っ越した。当時、新しく開発された〇〇台、▽▽ガ丘というような郊外住宅街は空き家だらけで、空間的リストラが全国的に起こりつつある。
 地域構造とともに、産業構造も激変すると感じている。
 若い頃、自動車生産工場でアルバイトをしていたが、生産ラインに沢山の従業員がいた。今、AI人口頭脳の発達でロボットに替わり、従業員は1980年代の1/3になっている。今後、汎用性のAIの開発が進むと労働力が不要になり地域構造も産業構造も激変する。 同時に土地利用の濃淡が現れる。都会のコンビニのように24時間稼働する地域がある一方、田舎は維持できなくて放棄されるところが増加するであろう。地方や郊外は取捨選択され,栄えて集中する所と限界集落のように放棄される所も出てくる。大阪市内でもそんな現象が出ると思う。
 人口の自然増減のコントロールするのは極めて困難だが、 社会的な増減は可能性がある。日本に住む人を増やす、大阪狭山市に住む人を、自然増で増やすのではなく社会増、つまり移住で増やすことは可能である。日本の何処かで人口は減少するが、何処かでは人が集まってくる、日本の中でも選ばれる街、世界の中からも選ばれる街になることが重要である。このような発想の原点を私は新今宮での経験から得た。

3.変貌する新今宮
 1998年野宿の調査が新今宮との関わりのはじめである。新今宮界隈は、戦後、新今宮駅北側の恵美地区、釜ヶ崎と言われるあいりん地区などは木造密集地域であったが,1960年頃、日雇い労働者の街に変化した。日本の高度成長期、東京五輪、1970年の大阪万博関連の建設事業で、全国から日雇い労働者があいりん地区に集まって来た。それには建設労働者の需要があるだけではなく、あいりん体制と言われる労働者にとってメリットがある体制が整っていたことが挙げられる。あいりん総合センターに、建設事業者、日雇い労働者が登録し、現場派遣の調整を行うが、登録した日雇い労働者には日雇労働者被保険者手帳(通称白手帳)が発行される。一日の仕事が終わると、給料とセンター発行の印紙を受け取り、白手帳に貼付する。これが雇用保険代わりになり、梅雨時など仕事のない時にセンターで失業給付金が受け取れる仕組みになっている。通常、日雇い労働者の多くは保険に未加入だが病気等の場合、あいりん総合センターの社会医療センターで白手帳を提示すれば、保険の対象になるし労災も適用される。他地区より体制が充実しているので、白手帳を手に入れるために、あいりん地区に労働者が集まるようになった。
 大阪市立更生相談所では色々な相談にも応じている。
 1970年代、各地の炭鉱の廃坑により、全国から労働者が集まった。彼らは簡易宿所、ホテルを住まいとし白手帳も貰い、全国の飯場を渡り歩いた。最盛期60年〜90年代、あいりん地区には25,000人の労働者がいた。昔からの住人が少数者になり、すっかり日雇い労働者の街となった。
 ところが、90年代から2000年代にかけてホームレス、野宿者が多くなった。
 1998年に大阪市から大阪市立大学に「ホームレス、野宿者の実態調査」の依頼があった。当時私は大阪市立大学文学部地理教室にいて、学生、ボランティアと調査にあたった。調査の結果、野宿者8,660人、半分の4,000人強が通天閣の半径1q以内にいることがわかった。調査の理由は磯村市長時代、大阪へオリンピック誘致立候補の構想があり、立候補にあたり「ホームレスのブルーシートがあるとイメージ悪い。この問題を解決する必要がある」と考えたことにある。
 調査の過程で色んなことがわかってきた。ホームレス増加の原因は、建設労働の減少もあるが、日雇い労働者の高齢化が重要な要因である。1,970年に30歳で元気に働いていた労働者が2000年に60歳になり、危険で過酷な仕事が出来なくなった。関空の二期工事、阪神淡路大震災等の仕事はあるが、高齢者は困難で従事できなくなりホームレスになっていった。日雇い労働者の街であったあいりん地区は、2000年頃、日雇い労働者とホームレスが混在する街となった。
 あいりん地区は2000年代から2000年代半ば「生活保護受給者の街」となった。簡易宿所、ホテルでは生活保護は認められないが、免許放棄してアパートとすることによって住所登録し、生活保護が認可される。西成の多くの簡易宿所、ホテルが免許返上しアパートに変化し65歳以上の就労困難な高齢者が生活保護を認められるようになった。
 あいりん地区は日雇い労働者、野宿者、生活保護受給者が住む街に変化した。
 2002年私は「野宿者実態調査」に関わりながら、阪南大学国際観光学部に就職した。30年後はこの街どうなるのか? 携帯電話の普及で建設会社と労働者の間で、メール等で現場派遣の連絡をする。建設会社が宿泊施設を作り従業員を確保する。センターの機能が不要になり、人が集まらなくなる。25,000人いた街が30年後には大幅に人口が減少する。
 あいりん総合センター近くの大阪市立萩ノ茶屋小学校は最盛期500人〜600人の生徒がいたが、48人しかいなくなり「萩ノ茶屋フオーティエイト」と呼ばれ、本当にこどもが少ない地域になってしまった。
 1990年初頭、あいりん地区で暴動が起こった。警官の汚職事件に端を発し西成警察署前で労働者と警察がもみ合い、血みどろになり、自転車を燃やす映像がワイドショーで全国に流れた。これにより、西成のあいりん地区のイメージが「超ブラック」「日本人が近寄らない街」と悪いイメージができ途方に暮れていた。
  この頃、私たちはここにインバウンド誘致の活動を始めた。周辺には安くてきれいな宿が結構あった。地域のホテルのオーナーと相談し、バックパッカーをターゲットとした。
 その結果、世界から注目を浴び、旅行者が集まる街になった。その様子が2005年11月7日読売テレビ「ニューススクランブル」で紹介された。
 イギリス人が新婚旅行で東南アジア、日本を巡り、宿泊費を節約したい。2006年和歌山で合気道の国際大会があり、来日したイギリス人選手が大会後、昇段試験受験のため長期滞在し合気道場に通う。そのような人たちが新今宮に宿泊した。
 宿泊料は2,000円位で、エアコンテレビ冷蔵庫が付き、三畳一間位、バストイレは共用、部屋の設備は必要最低限だが、香港市内で同条件なら3,000円4,000円高い。海外の人から見ると大阪の都会で、香港と比べると圧倒的に立地条件も良く清潔で安く感じる。
 この状況を英語でPRした。その結果、外国人の宿泊が飛躍的に伸びた。
 新今宮の簡易宿所の3代目で8軒のホテルを所有しているホテル中央グループの青年実業家の父親から「知恵をかして欲しい」と依頼を受けた。この息子さんは大学卒業後金融機関に勤め、父親のホテル業を継ぐ前に、バックパッカーとして世界各地を回った。帰国後「外国人受け入れたい」と言い出した。彼の父は西成の簡易宿泊組合の理事長であった。息子と会うと、彼は商才があったのでアドバイスすることを了承した。
 大阪国際ゲストハウス地域創出委員会を創設し顧問になり、外国人客受け入れの戦略を練り、若手オーナーがそれを実践するという形を取った。彼もリーダーの一人だった。
 当時西成の簡宿宿所は稼働率30%を切る危機的状態だった。その状況で外国人受け入れを決めて、我々がアドバイスをした。
 新今宮駅周辺は、安さだけでなく、繁華街に近く、交通の便もよく、関空迄40分、有数の観光地京都、奈良、神戸へ電車で2時間行ける。そこで余りお金をかけず長い期間に旅を続けるバックパッカーに眼をつけ呼び込むことにした。
 当初、年配の従業員から「英語が話せない」と反対されたが、労働者や酔っ払い相手に対応力が高く、紳士的な外国人旅行者とは、簡単な英語会話で短期間で対応できるようになった。
 世界各地の大都会の真ん中で、取り残された地区がどこにでもある。このような所は、立地条件、交通の便も良く安い宿泊施設もある。大阪では間違いなく西成あいりん地区がこれにあたる。こうしたホテルは世界の旅行者からの情報を基に「ホステルワールドコム」や「楽天トラベル」の宿泊予約サイトが掲載される。これがきっかけで、西成に外国人が集まるようになった。
 外国人バックパッカーは一泊3,000円、高くて4,000円位のホテルしか検索しない。
 中央グループのホテルのフロントにあるパソコンで、外国人がホステルワールドコムで、次に行くバンコクやハノイの宿の予約をしている。
 私が新今宮で顧問していたホテル13軒をこのホステルワールドコムに掲載したが、大阪でホステルワールドコムのホームページを開けると,この13軒しか出てこない状態が続いた。だから当時、日本に来るバックパッカーはほぼ全員が西成に来た。この独占販売状態が1年から2年続いた。これに気づいた人が西成に見学に来た。西成は通天閣や飛田新地、阿倍野界隈も楽しいし、交通の便も良く、ホテルもたくさんあり人があつまる魅力的な街で勝ち続けている。
 パンフレットで世界に積極的にPRもした。国際観光学部の学生が海外旅行に行く時、パンフレットを100部くらい持たせ、旅行先のホテルのパンフレットと交換した。このパンフレットを手にした人は「安い」と感じいいPRになった。
 インターネットや口コミで情報が世界中に拡散す現在、バックパッカーと旅行者が広告塔の役割を果している。
 バックパッカーは宿泊と食事は全く別個に考えている。宿泊は簡易で、街で美味しいものを食べ、楽しい所へ出かける。ホテルが客に美味しい店を紹介する。これに対応し街も徐々に変化して行った。この状況は14年前から予測していた。外国人向けのホテルではなく、外国人も泊まれるホテルにしていった。フロント担当も英語が喋れるようになった。
 2000年代、外国人旅行者を組織的に受け入れるために「大阪国際ゲストハウス地域創出委員会」設立した。パンフレットを作り、取材に応じ、外国人とテレビにも出て、学生も新今宮で積極的に活動し、過去の西成の悪いイメージが改善できた。
 学生達と観光案内書を作り、旅行者と一緒にツアー出掛けたりもし、外国人が増えた。
 その結果、日雇い労働者数2,000人〜3,000、生活保護受給者6,000〜8,000人、野宿者500〜600人、外国人旅行宿泊者は4,000〜5,000人、日本人宿泊者4,000〜5,000人の街へと変化した。日雇い労働者の街が、外国人、ビジネスマン、就活の学生の宿泊と色々な人が色んな目的で来る街になり、イメージが大きく変化した。
 2012年、橋下徹市長時代「西成特区構想」を打ち出した。子育てには、厳しい環境の西成区を子育て世代が暮らせる街にし、人口を増やすという構想であった。地域の人や研究者からは懐疑的な意見もあったが、特区構想の方向性に間違いはなく、私はこれに賛同して街の正常化に積極的協力した。
 西成特区構想で実行した事は、
 @ゴミの不法投棄の徹底的取締りと回収。意外と地元の投棄は少なく、夜中に神戸から車で西成にソファ捨てに来て捕まった人もいた

 次が、A覚醒剤の密売、賭博の取り締まり。覚せい剤の取り締まりは各所に警官を配備し、覚醒剤を密売している所へパトカーを横付けして職務質問する。賭場の取り締まりは博打場に警官が、ノックをして入っていく。この結果、覚醒剤密売も賭場も激減し、現在、西成に賭場はない。
 覚醒剤、賭博の問題は危険度が高く我々、一般市民はタッチできない。当時の松井大阪府知事もその点を理解してくれて、大阪府警が動き安全安心な街となった。
 西成特区構想が始まる2012年以前は、覚醒剤売人も賭場も存在し、カメラを首からぶらさげて三角公園あたりを歩いていると、怪しげな人から「何撮ってるねん」と恫喝されることがあった。現在はそうしたこともなく、三角公園周辺は中国人を初め観光客が自由に歩けるようになった。
2012年頃、それ迄、外部からの投資がなかった西成に外部からの投資が出だし、2015年にインバウンドがアウトバウンドを上回った時、新しいホテルが出来始めました。
 もう一つ大きなのはあいりん総合センターの建替えが決定したこと。「潰される」と反対運動の人が言っているが、耐震構造に問題があり、潰すのではなく、新しく建て替えるもので、当初反対の労働者も地元住民も大勢の人が賛成した。
 現在のあいりん総合センターは一階が寄り場=業者と労働者が集まる場所、二階が職安、四階に医療センター=病院、その上が市営住宅になっているが、計画では廃校する南隣の萩ノ茶屋小学校跡に市営住宅、その隣に医療センター病院を建設し、総合センターの上部を軽くするようにしている。現在の寄り場と職安は建替え期間中は、南海の高架に移転する。
 総合センター二階で寝泊まりして野宿者がいた。彼らの生活を守るために雨露をしのげる居場所を色んな所に確保した。これを機会に「野宿を止めて生活保護を受けませんか」と区役所職員が丁寧に説得し野宿の人を減らす試みもしてきた。
 しかしながら、総合センターが新しく完成しても全盛期の労働者25,000人は集まるのは期待できない。労働者を集める機能は維持し、仕事仲介し、規模は縮小しても内容は充実させていく。余った場所は地域発展のために使えないかと考えている、しかし「結局再開発するだけと違うのか」という反対派の声もある。決してそうでなく労働者の権利も維持しながら労働問題の事も見据え、次の10年20年30年を予測しながら活動するもので、日本の未来を占う重要な活動と思っている。西成特区構想が始まる前、友人の学習院大学鈴木渉先生が人口予測をした。それによると2040年に西成あいりん地区の人口は500人を割る統計上0と予測された。「これはまずいなぁ」と思ったのが活動の始まりであった。そういう意味で人口減少社会への挑戦の先駆けと思っている。
 以上が新今宮変貌について話した。次にこれからの大阪について説明する。

4.すでに決まっている大阪の近未来
 今後、5〜6年間に大阪は大きく変わる。新今宮はホテル建築が続き、労働力、資材不足で工期が遅れ気味である。現在、決まっている大阪関連の事業について説明する。
 G20は6月末開催。各国の首脳が大阪城をバックに記念撮影をし、それが世界中に発信される。世界中のメディアが大阪に集まり、大阪をPRする絶好の機会と言える。
 星野リゾートの新今宮進出。 2年前に星野リゾートが発表したが、その後、ワイドショーで大々的に取り上げられた。
 ラグビーワールドカップ開催。大阪ではトンガ、フィジー、ナミビア共和国、アルゼンチンの試合があり、てんしばがパブリックビューイングの会場になる。
 百舌鳥古市古墳群世界遺産登録。ついに念願がかなった。
 大阪市内各所で大規模な宿泊施設建設ラッシュ。南海難波の歌舞伎座、南御堂にホテルが出来ている。今、200室超える大規模ホテルがたくさん建設されている。
 グローバルハブ恵美。新今宮駅北側に南海電鉄が外国人労働者就労のマッチング、ゲストハウス、地域住民のコミュニティ施設を建設し7月オープン予定。政府が外国人労働者受入れを言う前に、南海電鉄が先んじて動いた。先見の明があったと言える。
 難波駅前広場構想。高島屋とマルイ前のタクシー乗場を広場にし、観光インフォーメイションセンター、飲食店にして集える空間をつくる。外国人が最初に大阪に来る場所をタイムズスクエアみたいにしようと言う構想。既に社会実験を終えている。
 南海駅前広場から御堂筋までの側道の遊歩道化も決定している。
 星野リゾートはおもてなしの「OMO」でブランド展開し、宿泊料は15,000円〜20,000円とやや高目の設定で、2022年開業予定。
 2023年、大阪北梅田駅開業予定。地下はほとんど完成している。
 2024年、大阪メトロ夢洲新駅を開業予定。地下鉄中央線を夢洲迄延伸するもので。地下トンネル既に完成し、後線路を引く難工事を残すのみとなっている。
 2025年夢洲にIR開業予定。夢洲にIRと万博の用地ができる。
  2024年梅田北二期工事開始。グランフロント西側の空地に緑のある夢の空間ができる。うめ北街開き時に、御堂筋側道を遊歩道化し梅田、難波間をつなぐことが決定している。2025年大阪関西万博が夢洲に。あいりん総合センターも新しく建て変わっている。
 2027年リニア新幹線が名古屋迄開通。
 2031年新大阪と関空を短時間で結ぶなにわ筋線開業予定。なにわ線開通で「難波を素通りするのでは?」と危機感を持つが、そこで、当時の吉村大阪市長が「御堂筋の車を全面ストップして、2037年にシャンゼリゼ通りのようにする」と構想を発表した。
 その後、2045年リニア新幹線、2046年、北陸新幹線が大阪まで伸びて来る予定である。
 現在、南海電鉄に「グレーターなんば構想」がある。大阪商工会議所は「グレーターミナミ構想」と言っている。「グレーターミナミ構想」は南海、近鉄沿線、南河内、泉州を含んだ広域なものだが、基本的な考えは同じである。
 「グレーターなんば」とは、難波駅から上本町駅、あべのハルカスから新今宮迄、即ち浪速区、天王寺区、西成区、浪速区を「なんば」と呼ぼうと言う構想。
 この地域には、楽しい、魅力ある所があり、しかも歩いて回れる。例えば阿倍野を出発してジャンジャン横丁→通天閣→日本橋オタクロード→黒門市場、気がついたらなんば。外人観光客もよく歩くコースで。実際、新今宮のホテルは「ホテルなんば南」等の名前で西成と名乗る勇気はなかなかないのが実情である。
 南海電鉄は沿線の人口減少に危機感を持ち、沿線の活性化に真剣に取り組んでいる。大阪は今後、特に2024年〜2025年に画期的に変化すると思う。

 IRについて説明したい。学生にもIRを正しく理解するよう話している。
 「IR法案」を新聞等メディアは最近でこそ「カジノを含むIR法案」と呼ぶようになったが、法案成立する前は「カジノ法案」と言い誤解を与えた。
 IRとはIntegrated Resortの略で総合型リゾートと言う意味で、例えばシンガポールのIR、地上57階ホテルの屋上にプールがあり、そのIRの大きな敷地の一部にガジノがある。中東ドバイはイスラム国家で基本は禁酒だが、高級ホテルは世界中から多くの人が来るので、ビールもワインも飲むことができる。日本ではカジノは認められていないが、IR内だけは限定的にカジノを認めようと言う法案で、駅前のパチンコ店がカジノになるのではない。但し管理、特に金銭面の管理が重要で、カジノで得た利益は大阪府と大阪市に一部還元される仕組みになっている。

5.むすび
 今後、新今宮駅周辺は画期的に変化していく。2022年星野リゾートが完成。2024年 あいりん総合センターが建替える。それ以外のホテルも何軒か建設されている。阪堺線恵美須町駅改築の話もある。新世界も変わってきたし、新今宮駅北側も南側も変わって来た。
 南海電車に乗ると、外国人が沢山乗車している。これにアレルギー持っている人もいるが人口減少社会の日本で、今の生活を維持しようとするなら、外国人を受け入れざるを得ない。
 そういう面で私たちは、最初に10年前から西成で実験を続けている。実験の過程で良い点は伸ばし、良くない点は抑えることを全国に先駆けて活動している。これが大阪全体に広がり、やがて日本中に広がればと思っている。
  新今宮が変れば大阪が変わる。大阪が変われば日本も変わる。
 私はその実験を最前線で学生と一緒にやっていくっていう認識で頑張っている。
 最後に、外国人旅行者を受け入れると言うより、外国人旅行者も楽しめるというのが前提。日本人も当然楽しまなくていけない。日本人も楽しめ、外国人も楽しめる懐の深さを大阪の人間は持っている。その結果大阪の懐も潤う。それを日本全体に広げていければと思っている。




2019年6月 講演の舞台活花



活花は季節に合わせて舞台を飾っています。


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