第5回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA大ホール
平成25年10月17日
げんれい説法
〜二度とない人生だから〜




総本山永観堂禅林寺法主
中西 玄禮 氏


 
中西玄禮法主(右から2人目)と中西法主招聘にご尽力いただいた健康太極拳講座の中谷師範(右)

 はじめに
 「秋はモミジの永観堂」からご縁がありまして参りました中西玄禮でございます。演壇に飾られたお花の中のコスモスを見て思い出すことがあります。
 水戸市では毎年開催される「立志の日」の行事で水戸市内の公立の中学2年生が「14歳の願い」というタイトルで未来への抱負を語る機会があります。14歳というと昔、元服をした年齢、一番問題を抱えている年齢と言えます。現在の元服をやろうと始められました。又「立志の日」と言うのは、孔子の「我、十有五にして学に志し」に由来しています。
 ある少女が小5の時着物の仕立てをする今は亡き母親に生きがいについてたずねたというのです。その母親は、「この成人式用の着物を縫わせてもらっているのもありがたいし、その上この高価な着物を買ってもらった娘さんがそれを身に着けて口にする感激の言葉も生きがいだけど、同時に二十歳まで育ててもらったことを親御さんに感謝する『ありがとう』の言葉、自分の耳には届かないがその言葉が一番の生きがいだ」と話しました。中学2年ながら家事一切を引き受け、そういう事情から進学を断念しているができれば和裁の専門学校へ行って、母の形見の道具で母親と同じく着物を縫い、自分の成人式の着物を完成して仏壇の母親に手を合わせて感謝の言葉を述べたいとの願いを発表しました。毎年秋になるとコスモスを見てさだまさしさんの作った歌「秋桜」の「ありがとうの言葉をかみしめながら生きてみます私なりに」と言う歌詞が浮かび、水戸の少女の事を思い出します。あれから数年経っているので、あの時の少女は成人して、自分で着物を縫って、亡き母に感謝の言葉を述べた事と思います。

老人の三失と三悪
 70歳を超えると老人と呼ばれますがそれには抵抗を感じます。確かに外見はしわが見られても心の中にはしわをよらせたくない、物事に感動する気持ちはなくしたくないものです。老人になると失って淋しくなるものがあります。体力、役割、連れ合いの三つでこれを三失と言っています。亭主関白の夫が奥さんを亡くして1年を待たず亡くなったという例があります。この三失のほかに老人になると近づいてくるものあります。貧乏神、厄病神、死神の三つでこれを三悪と言っています。貧困、病、孤独と言い換えられます。体力、役割、連れ合いの喪失は早晩必ずやってきますが、三悪の方は心がけ次第で防ぐことができます。貯蓄、健康管理、人との交わりを大切にすることで防げます。その中でも孤独にならない事が特に重要です。その為にこうして、熟年大学で学ぶ事は大変いい事と思います。

老後をどう生きるか
 ある寺の門前の標語が目に留まり私の心を捉えました。“ゆるやかに 淵を流るる水の如く 深く静かに老いてゆきたし” というものです。これは私の生き方の理想とするところです。今は公務などに忙殺されていますが80代90代になった時3句目の「深く静かに老いてゆきたし…」に似つかわしく生涯を終えたいと思っています。
 “60代は曲がり角 まだまだ遠くに灯りが見える” 今までの仕事などに一区切り、他のものも目に入って来ます。
 “70代は粋な季節 もう一度燃えねばならぬ” 私は一番気に入ってます。
 “80代は世の締めくくり ぼちぼち身辺整えて”身辺整理や終活という言葉が浮かびます。 “90・100でそろそろ参りましょうか”100歳を超える方もいらっしゃいますが、「淵を流るる水の如く」という上の句の「水の如く」生きるとはどういうことでしょうか。
 私の生まれ故郷の播州平野には何本かの川が流れています。今から400年も前姫路に生まれたある人が町を流れる市川を眺めながら「今自分は細い流れの小川のような人間だがいつかは大河になり播磨灘に出ていくのだ」と青年らしい野心を持っていました。やがて彼は城を建て城主になります。信長の命を受けた秀吉の播州攻めの際、信長方につくことを選び、信長亡き後主君の仇討を目指す秀吉に従い軍事面で功績をあげた木下藤吉郎を太閤秀吉にしたのがこの男、軍師黒田官兵衛であり、またの名を黒田如水と言います。来年、黒田官兵衛を主人公にしたNHK大河ドラマが始まります。同郷人として非常にうれしく思っています。
 レジュメにあります「水五訓(水五則)」はこの黒田官兵衛の言葉と言われています。王陽明の思想だという学者もいますし又、黒田藩には官兵衛の言葉であることを示す文書はありませんが、如水という名前にちなんで彼の言葉である、それを前提に話を進めます。
 第1に“自ら活動して他を動かしむるは 水なり
 良くも悪くも水は自ら動くことで周りを動かす。悪くすると先日の台風25号の伊豆大島のように大きな被害を及ぼします。しかし水の持つエネルギーの凄さを物語っています。自分が動かなければ他の人は動かないのです。「して見せて、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらずば人は動かじ」、これは連合艦隊司令長官山本五十六の言葉です。江田島の指揮官のモットーであったと言われていますが、現代にも通じるものです。「自ら活動」して見せ評価すれば人は動くのです。相手があいさつしないのを責める前に自分があいさつをする。そのような事が大切です。ある講演会で、かしまし娘の長姉、正司歌江さんとご一緒する機会がありました。歌江さんは「皆さん働くとはどう言う事ですか?働くとは『はたの人にする』と言う事」と説明されました。「なるほど」と感心しました。人くと書いてくになるとも言えます。
 人は如何にして動くのか?山本五十六は「褒めてやる」と言いました。仏教には 布施 という言葉があります。本来は、自分が持っているお金、物、知恵、力、祈りなどを誰かに差し上げることで喜んでもらう、ということです。無財の七施と呼んでいます。
 まず、慈眼施、相手を見るまなざしに愛情を込めること。わが幼子を見る母親の仏のようなまなざし。次に、和顔施、明るい笑顔のことです。3番目は、愛語施、愛情のこもった言葉、挨拶の言葉。山本五十六の「褒めてやる」に通じます。挨拶の言葉には、おはよう、お休み、行ってきます、行ってらっしゃい、ただいま、おかえり、いただきます、ごちそうさま、ありがとう、はい等があります。皆さんのお宅ではどれだけ日常的に使われているでしょうか。嫁姑問題の一端も愛語で解決されることもあるでしょう。4番目は、身施、自分の体を使うボランティアです。誰かの役に立って何かをやる事です。5番目は、心施、相手を思いやる心です。一歩下がって相手の立場に自分を置いてみると相手の気持ちがよく理解できます。6番目が、床座施、相手が一番くつろげる場所を提供することです。7番目は、房舎施、房も舎も建物という意味です。近隣の人たちのために何かの折に場所や建物を提供することです。庭で育てた花で近隣の人の心を和ませるのも房舎施と言えます。
 この七施の中で、和顔、愛語、心施はたとえ寝たきりになっても与えることができることです。自ら率先して、惜しみなく動いて水のように他の人を動かすことができるのです。
水五則の二番目は、“常におのれの進路を求めてやまざるは水なり
 過ぎ去ったことをくよくよ思いわずらわず常に前向きにプラス指向で生きていこうということです。精進するとも言います。
三番目は、“障碍にあって激しくその勢力を百倍しうるは水なり
 仏教の言葉にある「忍辱(にんにく)」、どんなつらいことにも耐えていくということです。
四番目は“みずから潔うして他の汚濁を洗い、清濁あわせ容るる量あるは水なり
 相手に潔さを求めるのであれば自ら潔くならねばならないということです。仏教語の「持戒」つまり人として守らなければならないことはきちんと守ろうということです。 不殺生、不邪淫、不妄語、不飲酒と不偸盗の五つの戒律があります。物を盗んだことなどないという人でも会合に遅れるなど時間を盗んでしまうことがあります。時間泥棒、肩書き泥棒、給料泥棒など警察のお世話にならなくても‘りっぱな’泥棒と言えます。
五番目は、“洋々として大海を満たし、発しては霧となり雨雪と変じ霰と化す 凍っては玲瓏たる鏡となりしかもその性を失わざるは 水なり
 水は元はH?Oですがさまざまに形を変え、名前を変え、その姿なりの性質、働きを持っています。人も一人で様々な役割を持ちそれに応じた働きをします。呼ばれ方(名前)が変わると働きも変わります。暖かい水になって人にぬくもりを与えることもあれば、氷になって厳しく鍛えることもあるでしょう。今自分のなすべきことは何かを考えそれに専念する。二宮尊徳の歌に、「この秋は 雨か嵐か 知らねども 今日の務めに 田草とるなり」というのがあります。秋には台風が来てお米が取れなくなるかもしれないからと言って草を取るのは無駄だと考えるのではなく、今、目の前にある草をとる、今日の務めに専念する。このことが大事であり、仏教ではこれを「禅定」つまり「落ちつこう 息ととのえて」、そして「智慧」つまり「目覚めよう 仏の道に」としています。以上黒田如水が作ったと言われている水五則は我々に大変大切なことを教えてくれているように思います。

最後に
 「十七歳のオルゴール」という町田知子さんの本を紹介します。生後数か月で小児麻痺になり重度の障害を持つことになります。自ら動くことは出来ず、声は出ても言葉にならず、聞き取りは困難です。特別支援学校では先生の授業は理解できるものの手に鉛筆が持てないため文字が書けませんでした。音楽体操以外の授業では退屈して暴れまわり一番手数のかかる生徒だったそうです。ところが12歳になった時の担任が文字の書けない知子さんにその思いを表現する手立てとして手に鉛筆を括り付け練習することを勧めたというのです。直線から曲線へと忍耐強く練習を重ねやがて漢字まで書けるようになり自分の思いを表現できるようになりました。この本では彼女の思いをそのまま伝える為に、活字に直さず大学ノートに知子さんが書いたまま印刷されています。一部を紹介しますと、

「こんな子生まれてよかったんですか、お母さん。こんな子でもあいしてくれますか、お父さん。あなたがたの夢をこわした私。心の中でないているでしょうね。ごめんなさい。私は今あかるく生きています。それが親こうこうだと思ってもいいですか。お父さん、お母さん。それいがいなにもできません。ゆるしてください」              (「17歳のオルゴール」柏樹社)

「こんな私でも明るい笑顔でいると父さん母さんはほっとした安心した表情を見せてくれる、もしかして、私の笑顔が両親にとって一番うれしいことかも知れない」と気付きました。それから彼女は両親の前では努めて笑顔を見せようとしました。しかし自分の思いが伝わらないと、イライラし暴れまわります。暴れまわった後でこんな文章を書いています。

「なんでこんな子生んだのか、とお母さんをせめた私。本当は私がせめられないといけないのにね。お母さん、あなたはふつうの子と同じにおなかをいためて私を産んでくれた。そのきたいにこたえられなくてごめんなさいね。私は恋もした。悲しみにも出会った。でもそれらはみんな私にとって生きるよろこびにつながった。生まれてきてよかったです。産んでくれてありがとう。この世ってすばらしいところですネ、お母さん」

「生まれてきてよかった」と重度の障害を持った女性が言うのです。「だって私人間だもの」ともこの本の中で言っています。「他の人に比べれば失ったものは多いけど、そのおかげで与えられた物はそれ以上に多い。多くの人のお世話になりながらも私には小さな、小さな菫の花にも感動する心がある。恋もする。だって人間だもの」と彼女は言います。この本の裏表紙に、「命をありがとう、ママ。あなたの言う通り人とは違う幸せを見つけて生きてゆきます。折角あなたが与えてくれた命だから私は前向きにそして素敵に生きます。命をありがとう」とあります。水五則に通ずるものがあります。彼女にはお地蔵さんのような笑顔があります。口では言えないけれど言葉があります。「生んでくれてありがとう」の言葉は両親に喜びを与えました。本に書かれた言葉など人に与えるたくさんのものを持っています。
・「生きるとは何か?」
・「命とは何か?」
・「幸福とはどう言う事か?」
をこれほど教えられた本はありません。
 皆さんも無財の七施を惜しみなく与えていただき、前向きに素敵に生きてください。二度とない人生なのですから。 有難うございました。




平成25年10月 講演の舞台活花



活花は季節に合わせて舞台を飾っています。


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