東日本大震災への募金


第10回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA大ホール
平成23年3月17日
関西文化のまちづくり




大阪府立大学 21世紀科学研究機構 教授
橋爪 紳也氏


講演要旨

大阪を事例に文化を生かしたまちづくりの考え方を
実践例について講じます。

 

1) 大阪と文化のまちづくり
 ・文化のまちづくり
 私がまちづくりのプロデユ―サ―とか委員長とかで、中心になって進めている事業が幾つもあります。文化のまちづくりの事例を紹介します。

※水都大阪2009は大阪の都心部で行いました。10年程前から、水辺再生・都市再生のイベントですが、今後とも大阪は水の都だという事をアピールして行きたい。

※大阪ミュージアム構想は橋下知事が提案されたもので、大阪府下至る所に大事なものがあります。市民の方々で見つけて、わが町の宝物を磨いて行こうという、まちづくりの考え方であります。

※大阪商工会議所が行っている「なにわなんでも大阪検定」という、大阪の歴史文化を見直そうという検定試験です。

※大阪市の観光の制作に提案したもので、街歩きガイドの方が大阪を案内するコースを作ろうという事業です。

 ・大阪ミュージアム構想とは
 大阪府下にある全てのものが宝物であり、地域全体がミュージアム(博物館)であるとする考え方です。我々が生きている空間・文化的な活動そのものがミュージアムである、と再評価しましょうということであります。
 写真一枚を見て、素晴らしい所だと一度行って見たいと思うよう な風景をもっている町は幸せです。その町の人が、我が町はこんなに素晴らしいと言っているのを外から来た人達が見るとそれは良い場所だと思います、そのような魅力的な場所には、独特の空気感があります。大阪にも大阪中ノ島の公会堂の夜の風景、富田林の寺内町や千早赤阪村の棚田など、私たちが誇るべき雰囲気のある場所が各所にあります。この種の場所の空気感を大切にしたいという感覚は、従来の行政の方々には伝わり難いものです。
 写真一枚で憧れる、行って見たいとは、どうゆうことかと考えました。例えば、エッフェル塔や凱旋門を見るとパリだと判るし、自由の女神を見ればニューヨク、シドニーならオペラハウスの写真を見ると行って見たいと思います。
そのように夫々の地域の人がわが町の自慢として誇らしげに語られるものが出来ている、大阪にはそういうものがあるのかということです。
 世界に冠たるまっすぐな銀杏並木の御堂筋は、戦前に、外国の真似ではなく東洋を代表する銀杏を植えるようと主張した一人の技師により、現在の御堂筋が完成した。
 大阪城天守閣にしても、現在は3代目ですが、その発想は斬新で した。徳川の築いた石垣の上に、豊臣の屏風絵から採用したもので、しかも世界で始めて鉄筋コンクリートの天守閣で、エレベーターも付いている。20世紀前半を代表するビルディングで、現存するなかではもっとも優れたもののひとつだと思います。いまは登録文化財になっています。それ以上にあの天守閣は、大阪市民の寄付で造った、世界で最初の復興=新しい天守閣であり、画期的なものです。大阪の市民の思いがあの天守閣を造り上げたのであり、我々はもっと誇らしげに語るべきであります。
 マーライオンは実際に見ると小さくてがっかりしますが、シンガポール政府の方は、世界にシンガポールのことを語る時は、全ての印刷物や映像、あらゆる機会にマーライオンの写真かマークを宣伝し、世界中の人がマーライオンを見てシンガポールだと、一度行って見たいと、なるまでに30年掛かった、と言っていました。
 大阪ミュージアム構想では、我が町の大事な風景、大事なものを選んで、それを磨き上げて、少なくとも大阪の人が対外的に誇らしげに語る事を考えてやっています。
 御堂筋のイルミネーションも、銀杏の木がデザイン的に使い難く「暴れる」姿と戦いながら、市民や企業の方から寄付をいただいて、何とか工夫を重ねて成功させました。一人一人が出来る事を頑張ってやれば行政も企業も応援してくれます。これからのまちづくりの大きな流れだと考えています。
 中ノ島公園は、当初は、東洋のパリとして構想され、シテ島(パリの中心部を流れるセーヌ川の中洲)を参考に造られました。また、江戸時代の街並みが残る大阪の水際の風景を見て、東洋のベニスだと言う人もいました。当初川沿いの建物には地下室が設けられ、船で川と結ばれていました。かつては東洋のパリ、東洋のベニス、東洋のマンチェスター等と言われた大阪を、ドブ川をきれいにしてもう一度水の都に再生しようとしています。
 知事が水の上に浮上してくるポスターで宣伝したり、近隣の人や子供達を集めて大阪の未来を語るワークショップをやりましたし、龍の船を浮かべたり、中小企業の社長さんの寄付により巨大なアヒルのおもちゃを浮かべるなどのイベントを行いました。
 「水都大阪2009」では、川面に浮かぶアヒルのアートが話題になりました。大事なことはアヒルを見に来て欲しいということではなく。子供たちが川辺に足を運んだという経験そのものに意味 があります。彼らは、一生このアヒルを見た日の感動を忘れないで しょう。同時に綺麗に再整備された川辺に遊んだという思い出も忘れないでしょう。私の思いは、大阪都心部の水辺が、刷新され、雰 囲気ががらっと変わったことをできるだけ多くの人に伝えたい。その契機となるように、メガアートをはじめ、多くの人に驚いてもらうような場が用意されました。
 わずか5年ぐらいで、大阪都心部の川は変わりました。さらに夜景のつくり方を研究しており、公園や橋に夜の演出のためにLEDを使った照明に取組んでいます。
 他にも、法律の制限を緩和してもらい、京都の川床のようなものを用意しようとしています。昨年は箕面の滝に行く途中に、川床をつくりました。現場に頑張る方がおられれば出来るのだということを実感しました。

 ・なにわなんでも大阪検定
 大阪の人の街の誇りを回復しようと言う思いで、大阪商工会議所が2年前から行っているものです。私が編集した「大阪の教科書」がありますので、検定を受けて下さい。私がかかわっている幾つものプログラムがあります、これもすべて、わが町の誇りを回復する「大阪が大事だ」という仲間を増やしたい、なんとか大阪は元気なのだと言うことを、誰もが我が事として話が出来るような機会を増やしたいので、この事業を重ねてきています。

2)文化を創造する都市
 ・文化による創造都市
 基本の考え方は、文化を創造する町は素晴らしい、よその物まねではなく、新しい物をつくるものだということです。

 少し前までは、世界の中で存在感を示す都市はすごいと言いました。昔はロンドン、パリ、ニューヨーク、東京などを世界都市と言いました。ある時期の流行で、楽器とバイクで有名な浜松も世界都市だといっていたし、音楽で有名なバイロイト(ドイツバイエルン州)も世界都市と呼んでいました。金沢も世界都市と言っていたし、花博を開催していた頃の大阪も同様で、何かの分野で、世界で一番を目指していたのです。
 ところが、ランドリーという評論家がCreative City(創造都市)1995年に「町の大きさではなく、町ごとに文化・芸術に頑張っている人がいて、何か大きな事をやればそれを世界中の方は注目するだろう」と言い出したのです。
 世界的な課題に直面したときも、地域独自の問題に対決したときも、従来は、他の町がこうやっているから、世界でこうやっているから、我々は真似をしたら良いという追いつき追い越せ型であった。ここでは、そうではなくて、他の町がどうであろうが、我々は違うやり方で問題に取組み、市民の力を結集し、なんとか自分達のやり方で解決したり、新しいものをつくろうと、いうようなことを頑張っている人とか、そんな場所がたくさんある町は他から見ても素晴らしい、ということです。他とは違うやり方をあえて頑張ってみようという強い思いがあれば、町は元気になり、人々は強くなるという、私なりの解釈です。

 ・欧州の事例から
 ヨーロッパの古い町が、製造業はアジアとか他の国に取られた、だけど伝統的な技術を活かして他の町では出来ない職人の手仕事が残っていれば、それで高級ブランド品を作って生き残っている町があります。ボローニヤ(イタリア)、ナント(フランス)、バルセロナ(スペイン)などの町では歴史的な建物や古い建物を生かして新しい挑戦をしています。
 日本でも横浜・金沢・神戸・名古屋など、従来の大量生産の物づくりではなく、他とは違うことを頑張ろうということです。金沢は伝統工芸の町ですが、21世紀美術館という最先端の美術館を造り、子供たちがそこで現代美術にふれ20年後には金沢から世界で活躍する新しい現代的な感性を持った伝統工芸が生れるだろうと、それに携わっている人達が確信を持って挑戦しているのです。
 スペインのビルバオという工業都市では、工場の跡に、グッケンハイム美術館、世界的な美術館のヨーロッパ最初のサテライトを造り、世界中から観光客が訪れています。従来、物づくりの町が文化的なことに挑戦したこと、その差に驚くばかりです。
 ナント(フランス)という町では、クッキー工場の跡地を、由緒ある建物ですが、ただ文化財で残すのではなく、そこに文化的なものをつくる工房にしようということで世界に一つしかないアートセンターを造りました。
 今あるものを最大限活用し、我が町の人たちが、我が町のものだと思うようなもので、誇らしげに説明する、皆の思いが集まるような公共施設を造ることが大事だという事を現場に行って思いました。
 ルアーブル(フランス)の町は、第二次大戦で廃墟となったが、戦後復興で鉄筋コンクリートの店舗付き居住区に変わり、このため町の人々は愛着を感じていなかった。7‐8年前この鉄とガラスで出来た町を、戦後復興で出来た町の中では最も統一感があり芸術的であると評価され、町全体が世界遺産に登録されました。この事により市民の意識が変わり、我が町は素晴らしいと言い直しています。
 以上のように、ヨーロッパの町が創造都市を造ろうとして頑張っています、日本の都市も日本的な展開を図って行こうとしているのが現状です。
 アメリカでは新しい考え方が生れています。新しいものをつくるには伝統ある地域なら出来るが、アメリカはそれほど歴史がないので、新しいものをつくる人たちを集める町をつくろうという本がベストセラーになりました。
 シアトルではスターバックス、ボーイング、任天堂などの多くの企業が拠点を置いています。そういう町をつくるには世界中から優秀な人を集めたらいいのだ、物をつくれる人を集めるような町を考えようと言うのがアメリカ型の議論です。
 中国では創造ではなく創意という言葉を使って新しい文化をつくる為に各都市に拠点を設けて5ヵ年計画で進めています。北京では古い武器工場をアーティストが活躍する「798の芸術区」としています。杭州では国際動画漫画の拠点になっていますし、上海ではデザインで世界に進出しようとしています。
 ソウルでもデザインで日本に追いつき追い越そうとして、子供たちのデザイン教育に力を入れています。日本でも爪楊枝やタオルなどの地場産業で独自性を出そうとした時期がありましたが同様に市民の力で頑張っていく必要があります。

3)市民の誇りを高めるために
 ・シビックプライド
 市民が町の誇りを共有するということが言われています。ただ郷土が好きだ、その歴史を愛していると言うことだけでなく、市民みんなの思いを一つにして何か新しいアクションを興しましょう言う方向に向けることです。
 町に対する市民の愛着を「町を変える運動」に変えて行こうと世界中の町が始めています。よく紹介されるのが、I Amsterdamのロゴで、市民の皆が「私はアムステルダムだ」と言おうと市民の中から運動が始まって市もサポートするようになりました。
 例えば、バルセロナの町では、2005年から「Bハートマーク」を付けたポスターを作り、市民の皆がドキドキワクワクする町にしましょうと言うキャンペーンをはじめました。あらゆるポスターに応用して、バルセロナは市民の皆の夢が実現する町だという ことを市が展開しています。

 ・寝屋川での展開
 最近私が寝屋川市からの依頼でブランドづくりをサポートすることになりました。寝屋川市をもっと魅力的だと市民の方も思えるようにしたいとの思いで始めました。新しいロゴの文字をつくりしたし、大学生が考えた回文「ワガヤネヤガワ」を丸くデザインしたマークをつくりました。「寝屋川こそわがふるさと」の意味を込めています。
 昔京阪電鉄で、天満から浜大津間を走っていたユニークな形をした特急電車の車両が寝屋川車庫基地に保存されているのを見つけました。
京阪電鉄は日本で始めてロマンスカー・ロマンスシートを導入したり、二階建てにしたり、テレビつけたり、面白いことをする鉄道会社です。
古い車両の多くはスクラップにしますが、この特急電車の車両が「ひらかたパーク」に残っていた。これは奇跡的なことです。この車両を、出来るだけ多くの市民の力で寝屋川市のシンボルとしてもう一度蘇らせて、走らせたいと考えています。
一度失われたものを復活させるなんて、日本で始めてだし、世界でも例がないと言う位に、変った車両なのです。
 うまく走り出すと、テレビでも取り上げられ、寝屋川車両基地見学者が来るでしょう。寝屋川市はあの美しい特急電車を復活した寝屋川かと言われたら成功かと思います。

 我が町の宝物を発見し、あるいは失われたものをもう一度復活するようなことを見つけて、それをポーンとやるのではなく、出来るだけ多くの人の努力によって、それが形になるというプロセスが「まちづくり」そのものだと、いうふうな方法論を我々は考えるべきだと思いますし、それこそが文化によるまちづくりだと考えます。




平成22年3月 講演の舞台活花


活花は季節に合わせて舞台を飾っています。
過去8年間の「講演舞台活花写真画廊」のブログもご覧ください。

講演舞台写真画廊展へ