第2回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA大ホール
平成22年6月10日
三百二十年続く老舗の訓え




株式会社 半兵衛麩 会長
玉置 半兵衛(辰次) 氏

講演要旨

江戸時代の石門心学(石田梅岩)の訓えを代々伝え、日常生活の中に家訓「先義後利」を実践する家系。「生命の大切さ」「人の生き方」「まっ当な商ひ」を現世代の人々に伝える
子や孫の将来の為にも~。
半兵衛麩は生麩、やき麩の「京麩の半兵衛」

 

はじめに

 私は京都生まれの京都育ちで京都を離れたことがない人間です。今日の会場は大阪ですので関西弁、京都弁でお話させて頂きますことをご了承下さい。
 今日は、私が常日頃からお話をさせて頂いている事をお話しますが、その中から一つでもええ話をしよったなあ、と思って頂ければ幸いです。

会社の生い立ち

 会社の創業は元禄2年、今から三百二十年前に田舎から出てきて京都の町の真ん中で、半兵衛という人が麩屋を始めました。初代の苦労は大変です、信用もない、お金もない、家もない、嫁はんもない、得意先もない、何もない、ない、ない、ない、で這えずり廻って商売をしていました。二代目はその様子を見ていて、そんな苦労をしたくないと言って商いを親と嫁さんに任せ、時代が元禄でしたので、自分は三味線の師匠をして食べるに事欠かない様に商売をしていました。三代目が生まれ商売を継いでいきますが、この三代目はお母さんの苦労を見て、楽にしてあげたい、親孝行したい、という一心から頑張ったのです。京都には多くの老舗がありますが、三代目が頑張ったお店は永続きします。逆に極道してお店を駄目にするのも三代目であることは統計的にも出ています。

石田梅岩

 三代目は商売だけでなく、石田梅岩先生の訓えにほれ込み、先生になるまで勉強し、子供の娘二人に梅と岩と名付けました。今でも仏壇を開けると二人の戒名が祀られています。石田梅岩先生を簡単にお話します。彼は10才のとき、亀岡から丁稚奉公に出てきますが、体を壊して一旦亀岡に帰り、二十三歳のとき、改めて呉服屋に奉公します。この店の女将さんがいい人で、人間は勉強せなあかんと言って、助けてくれたそうです。
 彼は「神道」「仏教」「儒教」や「論語」を読むなどしていましたが、四十三才のとき、自分は番頭をしながら、何の為に勉強しているのかと考え、自分の学んだことを人様にお話をしてあげようと、車屋町の借家で講釈を始めました。当時は字を読めない人や字を書けない人が大勢いました。
 講釈の内容は「商人の道」「人の生き方」「いのちの大切さ」の中に「正直」「勤勉」「倹約」を入れたものであり、講釈は無料でした。
 当時は、武士のみが勉強として「論語」を読むことにより、何が書いてあるか、どんなことかを解釈することや字をきれいに書くことが学問でした。

 石田梅岩の講釈は、ただ聞いて帰るだけでなく、それを実践し、生かさないようでは真の学問ではない、それは難しいことを知っているだけで、これを文字芸者という。良いことは実践しなさいというのが彼の訓えです。
 三代目は石田梅岩の訓えを自分の子供に引継ぎ、四代目五代目へと石門心学を引継ぎます。その訓え方は机上ではなく、状況に応じた所で、日常生活の中で、時には町を歩きながら、例えば火鉢の中の灰に字を書いて訓えられました。

商いの心

 商いとは、ただ金儲けをするだけではないんや、人様のお役に立って、その代償としてお金を頂くこれが商いや。即ち人に喜びを感じて頂いた代償でお金を頂く、これが本来の商売のあり方です。商売は人様にお役に立ってお金を頂く、これが石田梅岩の訓えです。人間はもともと人様と一緒に暮らしているのだから人様のお役に立つこと、また自分も人様の恩を受けていることを忘れてはいけないと言うのが石田梅岩の商いの本筋であります。その本筋を私共の家では家訓「先義後利」として作ったのです。

家訓「先義後利」義を先にして、利を後とす

 先にしなければならない「義」とは何か、それは人の正しい道、商人であれば「まっ当な商人の道」を先にしなさいと言うことです。まずはお金儲けのために商売をするのではなく、人様のお役に立つことが人の道であり、自分の名誉や肩書き等は後からついてくるものです。これが人の道だと言うことです。
 そこで「利」が後であれば、商人として儲からないと言う事になるが、その「利」ではなく、石田梅岩は商人であれば正当な利益を頂きなさい、人を騙して、嘘をついてまで儲けようとすることがいけないのです。

人間の生き方

 私が小学校の頃でしたが、病床のおじいさんから半紙にのせた「あられ」を、「これお食べ」と言われ、子供ですから綺麗なものから手をだしたら、おじいさんが「欠けているものから食べや」といわれた事があり、後にそのことを父親にどういう事かと聞きましたら、それは良い話を教えてもろたなあと言われました。それは「いやな事から先にすましてしまえ」という訓えや、何でもかんでも後回しにすると何時までも出来ない。例えば夏休みの宿題でも先に片付けておくと、あと気分良く遊べる。「いやな事は先に済ますという」癖を付けようとしてくれはったのです。
 昔、銀行へお金を借りに行きはった人に、銀行さんが「そら豆」をだして勧めてくれた。形の悪い割れている「そら豆」から手をつける人にはお金を貸した。悪いものから手をつけて始末していく気持ちのある人やからお金を貸してもよいと判断したと言う話がある。

始末ということ

 銭湯にいきました、銭湯にゆくには「かなだらい」の中に手ぬぐいや石鹸を持っていきますが、手ぬぐいや石鹸の新をおろすときは本当に捨てて良いか考えなあかん、あるものを最期まで使い切ることが大切です。薄くなった石鹸は新の上に貼り付けて使う、使い古した手ぬぐいは、雑巾に使い、更に油拭きに使い、最後に風呂焚きの焚きつけにしてお終いにする。始まりの時の「始め」とほかす時の「末」と書いて始末という、最後までしっかり使うことが始末や。
 また、ご町内の人が寄付を言うてきはる、家では要るものも買わす、食べるものも食べず、寄付はしない。これは始末ではない「ケチ」です。ケチと始末は違うといって、始末と言う字を銭湯の鏡に書いて訓えてもらった。そういう状況で訓えてもらった事は忘れません。

「命の大切さ」

 自慢やないですが、私はお魚を食べるのが上手です。多分私が食べた後は猫もまたいでいくぐらい綺麗に食べますが、親は「その食べ方なんや、お魚の骨の見本や」といいます。お魚はあなたに食べてもらう為に生きてきたのと違う、人間は死んだらお葬式を出してもらえる。同じ地球上に生きている動物同士ですが、その動物を犠牲にして人間は生きている。しかし動物はお葬式をしてはもらえない。便所というところはその動物のお葬式の場所と思い、そして私達の犠牲になってくれて有難うとの優しい気持ちにならんといかん。
 地球は人間だけのものではない。地球に暮らしている生物皆のもの、生命界という大きな目から見たら人間の命も他の動物の命も同じ尊さがある。
 ご飯食べるとき「頂きます」というのは、動物のお命を「頂きます」ということです、だからウンコして便所から出てくる時は手を合わせ感謝の気持ちを忘れない様に中学生の頃に訓えてもらいました。
 地球上の動物は皆平等で、そして同じ命を大切にしないといけない。それでも人間は生きるために動物を殺してしまう。しかしそこに感謝という気持ちを持ちなさいというのが石田梅岩の訓えです。

 父親が言うことに、「これから六十年先、人の命を何とも思わない時代が来るかもしれない。その時は家の内から縄付きを出さない様にしてくれ」と言われました。
 日本人は農耕民族であります。そこにアメリカの政策が入ってきて、狩猟民族の政策になってしまう。本来日本人は村社会で田んぼを耕し、畑を耕して皆が仲良く暮らすので家が必要ですが、狩猟民族は狩をして移動しながら暮らすのでそれほど家は必要ない。だから農耕の中に狩猟の話を持ってくるので難しいことになる。
 農耕民族は秋に採れたお米を一年間食べられる様に残す、貯蓄の精神があるが、狩猟民族は生肉を残しても腐らすだけだから今の分だけあればよいという考えです。日本人の美徳とは、勤勉に働き、正直に生きる、共に生きる、貯蓄をする事などで、農耕民族は「育てて生きる」のに対し、狩猟民族は「殺して生きる」この違いは六十年先に出てくる。

 今どうでしょうか、あれから六十年たった昨今のマスコミ報道などを見聞きしますに、平穏な日はありません。こんな事で日本は良くなるのでしょうか。悪くなっていくばかりではないかと憂う次第です。石田梅岩の訓えを今一度思い出してこれからの世の中に役立てていかなければなりません。

論語の訓え

 この訓えの中に「財を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上、されど、財なくば事業保てず、事業なくば人育たず」であります。有り余るお金は必要ないが、必要な分だけお金を残さないと人を育てられないという訓えです。

半兵衛麩の丁稚指南の心得十か条

 ここに言う丁稚とは現在に平社員、係長、課長とご理解ください。
 .わが子を奉公に出したる親の身思えば、慈愛に変わることなし。
   働きに来た者は、親の身になって愛をもって育てること。
 .子(丁稚)を抱えたれば、わが子と影隔てなく暮らすべし。
   丁稚やといっても家族と同じ場所、同じ高さで食事をし、行動すること。
 .子に、人の人たる道を訓え、肝の奥まで真っ当な商いを指南すべし。
   なぜ商いをするのか、正しい人間の道を教える、腹の底から理解出来るように、人様のお役に立つように教えること。
 .子に指南する肝心は、己の損得は差し止め、善きこと悪しきことの道つけるべし。
   子供、社員に物事を教えるときの肝心なことは、物事の判断は損得で考えるのではなく、して良いことか悪いことか、善悪で判断すること。
 .子に礼儀作法、行儀を訓え口言を正し、品位のそなわりを指南すべし。
   子供、社員には何でお辞儀をするのか、行儀を訓え、敬語を教え、品位が体の中から出てくるように教えること。
 .子に指南するに、何事によらず、納得するまでその念を訓えるべし。
   基本を教える、何故、何で、目的をしっかりと教えること。
 .子には、読みは正しく、美しくしっかりと字を書き、間違いなき算盤を訓える。
   正しく読めるように読める字を書く、算盤はいつも間違いないように教えること。
 .子を指南するに三つ褒め二つ諭して叱りは一つ。人の前で叱るのは下の下。
   子を育てるには褒めてあげなさい、しかし褒めすぎては駄目、増長しないように、又丁稚といえども一寸の虫にも五分の魂です、恨みを買うような叱り方は駄目。
 .子を指南するに鞭、折檻は不用、口で諭して、己が範を示すべし。
   字の通り、自分が模範を示しなさい。
 10.子は家、店、里、国の宝、子を多く抱え指南するは大いなる世間よしと心得て精を出すべし。
   子供を育て、人材を作りあげることは世の中の為になる事だから精を出しなさい。

 以上が丁稚奉公の心得です。このようにして、わが家は丁稚さんを育て、今日の様な商いが出来るようになりました。

最近の世相

 自分さえ良ければいい、売上げをあげれば良い、儲けさえすれば良いという世の中になりました。会場の皆様は戦争経験をされた方も多いと思いますが、当時はお金を出しても物がない、食べるものもない、お米もない食料難時代があり、戦後は外地から帰って来るなどで人は増えましたが、住むところがないというような時代でした。今はどうでしょう、食べたい物、欲しい物が有って当たり前です。そして物を大事にしない時代になりました。これからの日本はこのままでは駄目だと皆さんも感じていると思います。

 二宮尊徳の言葉に「一鍬、一鍬で耕して一反の田を耕すことができる」、又「一粒一粒の集まりで一石となす」という教えがあります。
 自分一人では何も出来ないと考えないで、一人一人が自分には何が出来るか、自分が出来る範囲で世の中の為に尽くせるかを考えて、皆でやれば田を耕すごとく狭山の町が良くなる。狭山の町が良くなるのを見て他の町も良くなり、日本の国が良くなります。そうした事で良い子供が育っていく範を示して下さい。

 私はお参りの時「世の中の役に立っている間はお命を預けて下さい。厄介者になったらあの世に送って下さい」といってお参りしております。
 みんながそのような気持ちを持ち、私たち熟年が、「これからの世直しをするのだ」という意気込みを持って下さい。
 私は一介の麩屋の親爺ですが、一人の人間として真っ当な生き方をしたいと大声を張り上げています。言った限りは範を示す為に、京の町で色々とお手伝いをしています。これからの子供たちには、損得だけで物を考えないで、物事の判断は善し悪しで考える。そして自分の命を、動物の命を、人間の命を大切にする子供に育てていくことが、この地球上に住む私達の大切な心得ではないでしょうか。

 人の為に皆で頑張りましょう、人の為と言いましたが、人の為と言う字は人偏に為と書きますが、これは偽りと言う字になります。人の為、人の為と言っているのは決して人の為ではなく、全部自分の為、子供の為、子孫の為になっています。人の為というのは偽りで結局は自分達の子孫を含めて自分達の為になっているのです。

 最後に石田梅岩の訓えの詩をご紹介します。
 「風呂焚きの我が身はススに汚れても、人の垢をば流さんものか」人様の為に、人が喜ぶ事が自分の喜びであると詠った詩です。

 お互い熟年同志、家、店、町、里、国の為にいきいきと生きようではありませんか。
 皆さん一緒に頑張りましょう。




平成22年6月 講演の舞台活花



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