第10回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA小ホール
平成22年3月18日
アフリカルネッサンス
~21世紀はアフリカの時代~




龍谷大学法学部教授
日本アフリカ学会理事
川端 正久 氏

講演要旨

1960年は「アフリカの年」とよばれ、アフリカ諸国は独立しました。
2010年はアフリカ独立50年です。
21世紀はアフリカの時代になります。
アフリカ政治経済の新しい動向を紹介します。

 

冒頭にアフリカのイメージを肌と眼で感じられるようのアフリカの産品の現物(カンガの布、バオバブの実、サイザル麻のひも)を受講生に説明し、回覧しました。

Ⅰ アフリカ研究45年を回憶する
 1 アフリカとアフリカ研究
  アフリカ大陸の形状は人間の頭部に似ていて、何故か日本を向いています。講師は他人よりおよそ30年早くアフリカ研究に着手しました。
 2 アフリカ一筋人生のテンベア
  スワヒリ語でサファリは大きな旅という意味、テンベアとは徘徊とか、うろちょろするといった小さな旅という意味です。ダルエスサラームの古本屋で私にとって宝の本(歴史書)を見つけました。またロンドンの田舎町の古本屋では1930年代のイギリスの植民地行政官が書いた『アフリカン・サーベイ』という貴重な本を見つけました。講師の人生にとってテンベアは極めて重要でした。
 3 「アフリカ・ルネサンス」の今(2008年)
  アフリカの新しい動きを総称して使っています。講師は2003年に初めてアフリカ・ルネサンスという言葉を著書の中で使いました。その後2008年5月、NHKのラジオ番組「こころの時代」で「アフリカ・ルネサンスの今」と題してお話しました。
 4 1944年:インパール作戦でアフリカ兵と日本兵の交戦
  当時、アフリカと日本には何の関係もなかったのですが、ビルマのインパール作戦で日本軍が大敗北を喫したとき、英軍の中にいたアフリカ兵と日本兵が交戦していました。西アフリカのガーナ(当時、ゴールドコースト)のアフリカ人部隊も参戦しており、彼らは日章旗や日本刀までガーナに持ち帰っています。ただし日本兵とアフリカ兵がどう戦ったかという研究は誰もやっていません。
 5 1954年:民族主義の台頭を恐れたシュバイツアー
  1954年、シュバイツアーはノーベル平和賞受賞記念講演をしていますが、当時、聖人扱いされていた彼は「アフリカ人は野蛮だ」とか民族主義について「この危険なナショナリズム」と発言していました。
 6 1965年:アフリカ人との出会いがアフリカ研究の契機
  当時、21歳の法学部学生でありましたが、独立運動の指導者の一人と称するアンゴラ人が京大にやってきました。始めて見たアフリカ人との出会いがアフリカ研究のきっかけでした。
 7 1972年:「ポ領アフリカにおけるアフリカ人政治組織」
  当時書いた修士論文のテーマです。(今では誤りとされていますが)部族主義から民族主義へと理想的に発展するという近代化論が当時一般的であり、ある程度その立場によるものでした。
 8 1982-1983年:ダルエスサラーム大学で在外研究
  植民地の歴史の勉強には適しているという理由からダルエスサラーム大学へ行くことにしました。アフリカの経済がどん底の時代で、「なにもない」(ハムナ)の時代でした。
 9 1994年:「サルでもわかる」とNHK「視点・論点」
  50歳の頃TV番組でアフリカについて紹介・解説しました。前者「サルでもわかる」はタレントが政治経済の問題を勉強解説し、講師がフォロウするという、読売テレビ大阪で作成される生番組でした。また後者「視点・論点」は9分間の解説番組でした。
 10 2002年:『アフリカ人の覚醒』の刊行
   『アフリカ人の覚醒』を刊行し、博士(法学)をいただきました。

Ⅱ アフリカ独立50年を再考する
 1 アフリカ現代史の起点:第2次大戦かアフリカ独立か
  日本の現代史の起点は1945年とされていますがアフリカについては3説があり、アフリカ独立の1960年説、アフリカ独立の要因となった第2次大戦説、もう一つはエチオピア対イタリアの戦いでエチオピアがイタリアを追い返した1935年説である。講師としては一般的にも云われている1960年説をとります。
 2 植民地独立の含意:付与されたのか獲得したのか
  「付与された」と「獲得した」とでは大きな違いがあります。
 3 アプローチの仕方:ペシミズムからオプティミズムへ
  アフリカ問題へのアプローチについてはヨーロッパの学者は総じてペシミズム  (悲観的でネガテイブな見方)を取りますが、講師はオプティミズムの立場をとります。すなわちアフリカが主体的に動き始める時代になる、と考えています。
 4 分析の枠組み:近代化論から新たな理論の構築へ
  近代化論は全てが近代化へ進むということを前提としていますが、そこに無理があります。それぞれの共同体が異なった歴史と伝統を持つという、違いを理解して、新しい理論を構築する必要があります。グローバル化論はグローバルな統一基準による近代化論と同じことです。
 5 民主主義:ヨーロッパの模倣からアフリカの独創へ
  グローバル化論の典型のような、ヨーロッパの模倣による民主主義から、アフリカの独創による(ヨーロッパのものとは違う)アフリカの民主主義を形成することが重要です。
 6 民族と部族:否定的な固定概念から積極的な民族理解へ
  民族と部族はともに人々の共同体で大きさの違いで使い分けられます。部族は差別的用語として使わない動きもあります。部族は植民地を持つ国が統治上の便宜からつくりました(分割統治のため)。しかし独立後もそれが残ってしまったため、いまだに部族紛争が絶えません。部族や民族は社会的機能をもっていますので、社会をまとめる集団として活用すればよいでしょう。
 7 国境線は動く:不変神話から変更可能なルールづくりへ
  地図を見るとアフリカには多くの直線の国境線があることが判ります。植民地領有国が現地の実状を度外視して、勝手に決めたためです。1963年にアフリカ統一機構ができ、国境線問題を議論し、1964年に国境線不変の原則を作りました。その後1993年、エリトリアがエチオピアから分離しました。さらに2005年1月、スーダンの南北内戦が包括和平協定で終了、協定により南部スーダンの帰属を住民投票で決めることとなり、国際社会がそれを認めました。ひとつの国を二つに割っても良いと始めて認めらました。国境は(紛争を解決するために)国際社会が認めた場合、変更可能な時代となった。講師は1993年時点でアフリカの国境線は変わると予言しました。
 8 社会主義:資本主義の資金で社会主義は建設できない
  1980年に、アフリカ社会主義はもう終わったと、講師は書いています。
 9 新植民地主義:従属は昔も今も続く
  独立した後も植民地的状態は続いています。旧宗主国はアフリカ援助を継続していますが、こらは「上から下へ」の従属のシステムを維持し、対等関係にならないようにやっていることです。
 10 援助は免罪符:援助依存からの脱却が大事
   援助は先進国にとって、例えば、農産物に対する高い輸入関税をかけたり、補助金を続けたりすることへの免罪符になっています。アフリカ諸国の農業の発展を阻害する要因になっています。そういった意味からも、援助依存からの脱却が重要です。

Ⅲ アフリカ・ルネサンスを展望する
 1 「アフリカ・ルネサンス」
  21世紀に入るとアフリカの時代になります。そのことを一言でいったものがアフリカ・ルネサンスです。1990年代中頃から欧米やアフリカで議論されてきた。それに関して1997年『希望と絶望の間』というパンフレットが出ています。
 2 マンデラとムベキ
  アフリカ・ルネサンスを国際政治の場に持ち出したのがアパルトヘイトを廃止した南アフリカの初代大統領のマンデラです。そして次の大統領となったムベキがアフリカ・ルネサンスを国際的に通用する言葉としました。
 3 ルネサンスの柱(1):政治の民主化
  独裁政治(政治学者は権威主義政治という)から民主主義政治への移行が重要です。問題は人々が政治の場に参加するかどうか、民主主義の原則が社会に根付くかどうかです。
 4 ルネサンスの柱(2):経済の成長
  1960年代、独立当時のアフリカはアジアと同じ経済力がありました。しかし1970年代中頃から落ち込み始め、1980年代の10年間(lost 10 years)にどん底まで落ち込みました。1994-95年から持ち直し始め、2004-05年から復興過程に入っています。ただし経済構造の中身が問題で鉱物、石油資源による経済力が非常に大きい。全体の経済レベルがアップする構造になっていません。アフリカの人口増加率は3%でありますが、経済成長率としては+1%の4%でトントン、本当に経済が良くなるにはさらに+3%即ち7%の成長率が必要と講師は見ています。国際社会でもアフリカの貧困緩和には7%の経済成長が必要と認識しています。
 5 ルネサンスの柱(3):社会の形成
  さまざまな集団、社会を互いに認め合う社会を作っていこうということです。
 6 ルネサンスの柱(4):紛争の解決
  1963年にできたアフリカ統一機構が衣替えし、2002年にアフリカ連合になってから、紛争解決の方法が大きく変わりました。すなわち干渉する権限を認めるようになりました。それまでは内政不干渉の原則で紛争当事者にまかせっきりで悲惨な結果が多かったのです。
 7 NEPADの提起(2001年)
  New Partnership for Africa’s Developmentの略語でアフリカの開発はアフリカ独自で考えようというシステムができました。それまでは、国連その他の国際機関が計画実施し、全て失敗してきました。
 8 アフリカ連合の成立(2002年)
  アフリカ連合は2002年にできました。
 9 アフリカの現在と将来
  実際はなかなかうまく動いていません。社会の伝統も絡み、難しい面もあります。講師は「アフリカの花は2025年に開く」と2000年の時からいっています。
 10 ルネサンス:共生の政治の創造を
   違いを認めた上で、共生する政治の創造が必要です。現状はむしろ違いを拡大して紛争から戦争に転化させることが行われています。政治家が(紛争に口出しし)権威維持のためにそのように持っていくのです。紛争が儲からないシステムにすることが必要で、そのために共生社会が必要です。言葉で「キョウセイ」というと色々意味解釈ができややこしいがLiving Togetherという意味での共生社会が必要です。例を挙げると、Identity Politicsという言葉には二通りの意味が有ります「共通意識を持つことで他者に対立する」と教えられながら、他方では、「自分と他の違いをうずめて共存する」と教えられ、全く逆の意味で使われます。講師は後者の意味と思っていたのですが教科書的に書いてあるものでは前者の意味にとらえられていて驚いたことがあります。言葉の使い方には神経を使う必要があります。





平成22年3月 講演の舞台活花



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