第5回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA小ホール
平成21年10月15日
関西私鉄の発展と南海電鉄の展望
~街や文化との関わりという視点から~



南海電気鉄道 代表取締役会長兼CEO
山中 諄 氏

                     講演要旨

 
私鉄王国と呼ばれた関西において、私鉄各社が街づくりや文化の形成に果たした役割を紹介するとともに、南海電鉄におけるなんばエリアや沿線の価値向上のための取り組みなどについてご説明します。
 



講演前に吉田市長と懇談



1.草創期の鉄道(~1910年頃)

 江戸時代は参勤交代が行われたが、江戸日本橋を中心にして先ず道路が整備された。五街道(奥州道、日光道、中仙道、甲州道、東海道)があり、これらの道路を通じて街が発展していった。「人」「物」の流れは鉄道のない時代は道路を通してなされた。途中には宿場町が発展した。鉄道が初めて敷かれたのは1872年(明治5年)の新橋~横浜間である。それから現在まで137年鉄道の歴史はまだ浅い。南海電鉄は新橋~横浜間開通した後13年遅れて1885年にスタートした阪堺鉄道がそのルーツである。これは純民間資本の我が国最初の鉄道であり、当社は日本最初の私鉄として自負している。
 鉄道は官営鉄道(国鉄の前身)と民間鉄道が並行して発展していくが、大都市間を結ぶ鉄道は官営で駅間は長く、私鉄は小刻みに駅を設け、途中の町・町へ寄りながら都市を結んでいった。

2.発展期の私鉄と街づくり(1910年代~1930年代半ば)
 私鉄の発展に欠かせないのは阪急の小林一三氏である。一般的に小林一三モデルといわれる経営手法は、先ず住宅地開発、住宅分譲を行い、その後、鉄道を敷き、更に鉄道を動かすために電力供給もやり、沿線にレジャー施設を作る。更にはターミナルには百貨店を作り、野球球団まで作った。これは総て鉄道を核としていろんな事業を枝葉のごとく広げていって、沿線の賑わいを作っていこうとする手法である。これは先駆者的な考え方で、当時の鉄道経営者が皆真似たのである。
 当社も遊園地は、みさき公園とさやま遊園(現在は閉園)に、レジャー施設としては大浜公園あたりに劇場的なものを作った。百貨店は直接やっていないが、高島屋に貸している。球団もかつては持っていた。発展期の私鉄は鉄道を核として、アクセスをつなげるところにはバス、タクシーを営業し、住宅地を造成し、更にレジャー施設とか駅に売店を設けて小売業までやり、それぞれ相乗効果をだして一つの事業として充分成立した。

3.私鉄王国の黄金時代(1950年代~1980年代)
 その最たるはニュータウン開発である。日本初の大規模ニュータウン開発は千里ニュータウンで、それに関連して阪急電鉄は千里線を延長した。又、当社の関連では昭和42年に泉北ニュータウンの入居が始まり泉北高速鉄道を延伸させた。又、阪急日生ニュータウンが昭和50年に入居が始まり、能勢電鉄が新しい線を開業した。こうして街の発展と伴に交通アクセスのネットワークを広げていった。狭山ニュータウンは、まさにこうした時代背景の中で生まれた街で、当社として最初に手掛けた大規模ニュータウンである。それから少し遅れて橋本まで複線化して新駅も作り、林間田園都市を大規模ニュータウンとして開発した。
 都心側での私鉄各社の戦略は、阪急では梅田に阪急三番街、百貨店等阪急関連施設をどんどん集積していく。ターミナルが中心部から離れていた京阪は淀屋橋まで天満から地下を潜って延伸され、同じく近鉄も上本町から難波まで地下で延伸された。当社の難波駅もターミナルとして発展を続け、周辺には難波地下センター、虹の街、ナンバCITY等の商業施設が出来た。この時代には私鉄の成長のカギとしてターミナルがどれだけ機能力アップを果たせるかが、大きな決め手になった。
 さて私鉄の黄金時代、利益を生み出す収益源は、やはり運輸部門であった。鉄道、バスは安定的経営が出来た。一方、ニュータウン開発も含めた不動産部門は成長が期待出来た。更に流通分野も成長が期待出来た。一方、レジャー部門はベンチャー的色彩が濃く、若干リスクを伴うものもあったが、その当時再検討しなければならない事業ではなかった。それだけに鉄道会社は理想的な多角経営が出来た。

4.環境変化と私鉄の転換期(1990年~2000年)
 私鉄の転換期をむかえたのは1990年以降で古いことではない。その原因の1つは高速道路網の整備である。阪神高速道路の湾岸線や神戸淡路鳴門自動車道、南阪奈道路も次々と開通して従来鉄道依存であったものが高速道路を利用したアクセスに変化し、鉄道会社として強力なライバルとなった。又、JRとの競争もあった。
 2点目が流通戦略の変化である。生活パターンが道路網の充実とマイカー普及によってロードサイド・郊外へかわり、駅前商店街がどんどん衰退していった。
 3点目はニュータウンの高齢化と都心回帰である。狭山ニュータウンをはじめニュータウンの高齢化が進む一方で少子化が進み、最近は通学学生が大変少なくなって来た。また一方で最近の傾向として一戸建住宅を離れて都心のマンションへ引っ越すケースが増えて来た。
 一方、不動産事業では地価下落が続き、流通関係では郊外型になり、レジャー関係では、従来サラリーマンが休日には家族で近くの遊園地に行くとか、都心へショッピングに行くことが多かったが、最近では多趣味となり、単一な行動ではなくなった。今日のこの熟年大学などの文化講座等の参加も増えて来た。
 そうした時代背景の中、黄金時代には花形であった不動産事業が再検討の分野に近づいて来た。運輸の分野も成長率の低い位置に変わって来た。流通関係でも店を作れば必ず儲かる時代ではなくなって来た。ましてベンチャーと言う要素もあった遊園地事業などについては再検討の最たるものになって来た。

5.南海電鉄の展望(2008年~)
(1)バリアフリーへの対応
 バリアフリーは高齢者、身体障害者対策だけではなく、人に優しい乗り物という点からも当然必要なものでエレベーター、エスカレーター等の整備を進めている。バリアフリー法により、一日の乗降客が5,000人を超える駅には必要な設備を備えるため、当社も順次駅の整備を進めている。
(2)ピタパカードの採用
 このカードは関西私鉄各社、大阪地下鉄、JRも利用可能である。これは大変便利なもので後払い精算システムである。運賃表の見間違いもなく安心して利用出来るもので、又、小額決済であれば加盟店でショッピングも出来、キャッシュレス時代の優しさ、便利さの提供につながっていると思っている。
(3)子会社の整理統合
 いろんな会計基準の変更、土地の急激下落で60~70社(現在40社余)のグループ会社の見直しを行った。中には優秀な会社もあったが、どうにもならぬ会社もあり、従来の会計基準であれば10社中9社が赤字という状態であっても本体の決算に直接影響がなかったが、会計基準の変更の中で連結決算のルール化で、成績の悪い会社は再生するか清算するかしなければならなくなった。そこで思い切った会社の整理をやったのである。例えば、さやま遊園の撤退、タクシー事業からの撤退、ホテル事業からの撤退などである。それ以外にも沢山あり、それぞれ従業員もいるわけだから、一つずつ対策を練る必要があった。そうした取り組みで40社余の会社を整理、統合した。
(4)新3ヵ年計画の推進
 ①環境保全の為の取組強化
 ・「環境にやさしい公共交通サービスの利用促進」
 総ての事業活動の中で環境負荷の軽減重視を基本方針として、積極的にCO2削減に取組んでいる。自家用自動車、営業用自動車(タクシー)、飛行機、バス、鉄道の中で鉄道・バスが一番一人当りのCO2搬出量が少ない。今後とも皆様方には電車、バスの利用を通してCO2削減に協力頂きたいと思う。
 ・「自社保有林“南海の森”の育成」
 これは高野山の護摩壇山上に於ける植林事業の実施である。杉、ヒノキが多く、枝打ちと伐採をすることがCO2削減に効果があり、専任担当者を配置し毎年実施している。
 ・「省エネの対策強化」
 電車車両の省エネ型への切り替えである。ユニバーサルデザインを使って利用しやすくしたリサイクル座席シートの活用やUVカットガラスの活用による冷暖房力のアップなど環境に配慮した車両の活用を図っている。太陽光発電の試験利用では、泉佐野駅の改造計画に於いてソーラーパネルを貼り付けた。太陽光を使って省電につなぎたいと思っている。
②難波エリアのさらなる価値向上
 ・「なんばパークス」は大阪球場跡地の開発である。老夫婦や家族づれも多く、ゆっくりと座って花を見ていただいている。弁当を食べていたり、ゆっくり昼寝もできる。緑の少ない大阪にはこんな場所が必要だなとつくづく思った。世界にも類をみない非常に価値のあるものである。夏場のヒートアイランドの防止にも役立つし、いろんな面で貢献できるもので整備効果が難波の価値アップに役に立つものと思っている。
 ・「ホテル南海」の建て直しである。単なるビジネスホテルではなく、サービスアパートメントにする。皆様には馴染みのないものかもしれないが、1カ月位の海外からの出張者に利用頂くもので、係りの者が掃除などをやり、キッチンも付いていて自分で料理も出来るものである。海外出張者だけでなく、国内の長期出張者に対しても対応していく新しいタイプのアパートメントである。
 ・「南海会館」の建て替えである。高島屋となんばパークスの間にある繋ぎの箇所にあるビルである。ここは難波地区で当社に残された最大の資産で有効に活用したい。その他、難波地区で古いビルを条件が合えば買取り、価値のある、街にふさわしいものにかえていくことも考えている。
③沿線活性化の推進
 ・臨空湾岸エリアでは新日鉄の旧工場跡地にシャープが進出して新たな産業集積地として、脚光を浴びている。現在それに伴う社員の輸送は当社のバスが担っているが、従来にない新たな需要が生まれて来ている。
 ・難波駅のリニューアルでは、昔のロケット広場周辺に新たに大屋根を作り、明るくなり、見晴らしが良くなった。従来の難波駅のイメージとは異なった新しいターミナルにすることが出来た。更に現在工事中の高島屋が来年リニューアルオープンするので難波全体の価値が更にアップする。
 ・一方、高野線の方では「天空」と命名した新車両を投入した。橋本から高野山へいく電車で広く展望できる車両となっている。あわせて「こうや花鉄道」として、橋本から高野山まで駅には花壇を設け花がさいているようになっている。

 最後に関西私鉄の今後であるが、やはり環境問題はさけて通れないと考えおり、従来の様に目的地へお客さまをお運びするだけが鉄道の役割ではないと考えている。現在の少子化・高齢化の時代にあって鉄道事業は必ずしも右肩上がりで今後とも伸びていくとは考えていないが、鉄道事業の社会に与える影響は非常に大きいと考えており、今まで以上に沿線と密着した取組みが必要と考える。鉄道事業の原点はやはり「安全」であり、事故のないことが一番大事であり、今後とも安全に充分注力して沿線の皆様方と一緒に進んでいきたいと思っている。私が社長になった折り、キャッチフレーズとして、“お客さまとともに“を掲げた。お客様あってはじめて事業が成り立つのであり、それを無視して何も出来ないと絶えず自分に言い聞かせてやっている。今後とも沿線にお住いの皆様からいろんなご意見、アドバイスを戴いて皆様に愛される鉄道会社として頑張っていきたいと思っているので是非とも宜しくお願いしたい。





平成21年10月 講演の舞台活花



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