平成19年度
熟年大学

第七回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA小ホール
平成19年12月20日
 
イスラム世界と欧米の対立
~オリエンタリズム・対立の根底にあるもの~



四天王寺国際仏教大学人文社会学部教授
岡崎 圭二 氏

                    講演要旨
アメリカの中東政策、ムスリム移民の排斥、トルコのEU加盟問題。このような問題の理解には、オリエンタリズムというヨーロッパ人の思考様式を知る必要がある。その歴史的由来を探り中東理解の一助としたい。

1.最近のできごと

 最近、イスラム世界ではいろいろなことが起こっている。イラク・アフガニスタン・パキスタン・イランは、どこをとっても出口が見えない。とくにこの7,8月には核兵器を持っていると、アメリカがイラクに続いてイランを攻撃するのではないかと恐れたが、アメリカが全くニセ情報を摑まされていることがわかった。
 グアンタナモの捕虜問題(アフガニスタンで捕らえた人たちをキューバの米軍基地内にある施設で虐待している)や、イラク・アフガニスタンの復興などに派遣された人に付ける民間警備会社のガードマンが、完全武装して武器を使っている問題などもある。人権や民主主義を唱えるアメリカが、とんでもないことをしている。

 これらのことから一つわかったことは、アメリカが言っていることをそのまま鵜呑みにしていると、とんでもない誤解をもつことになるということである。


2.イスラムへの視点

 皆さんはイスラムとかアラブといったとき、どういうイメージを持つだろうか。タリバンとか自爆テロとか、女性蔑視といったイメージではなかろうか。だが、それは全く誤解に基づくものである。

(ア)ヴェール:イスラム圏でそれはスカーフの感覚で着用する地域も多く、美しさや、飾りを目立たせてはいけないというコーランの教えによる。これは基本的な人間観によるもので、人間は弱いものであるから、美しいもの(女性の頭髪)を人に見せてはいけないということに過ぎない。一方で(ヴェールさえ纏っていれば)、日本では及びもつかないほど、それが女性の社会進出の手段になっていることを強調したい。

(イ)ハーレム:男性1人に女性100人などのイメージがあるが、ハーレムの言葉の意味は「禁止されている」ということ。異教徒が入れない聖地メッカもハーレムであり、豚肉など食べていけないものもハーレムという。このあたりはイスラム教とユダヤ教は共通している。


3.「オリエンタリズム」とは

 もともとオリエント(orient)ということは、「陽が昇る」ということで、ヨーロッパから見て東の方の地域のことであり、オリエンタリズムとは広義には、インドや中国や日本などの東洋趣味・異国幻想のことであった。
それを、E・W サイード(パレスチナ生まれで米国籍・コロンビア大学教授)が、狭義の(新しい)定義づけをした。(後述)

 7世紀にイスラムが成立したが、ヨーロッパの人たちは、イスラム文化圏に対して二つの相反する気持ちをもっている。一つは暴力(野蛮・無知)といった嫌悪感・優越感であり、もう一つはエロス(好色・淫蕩)に対する憧憬・劣等感である。

 それを具体的に芸術作品にあらわしたのがこの画である。上の画はフランスの有名な画家ドラクロワが描いた「キオス島の虐殺」(1824年/ルーブル蔵)である。1800年代は今の中東の多くの国は、オスマントルコが支配していた。それをヨーロッパの人々が次々に植民地化していった時期であるが、キオス島(ギリシャ)の人たちが独立戦争を起こしたのに対し、オスマントルコが残虐に弾圧したものを、ドラクロワが画にあらわしたものである。

 真ん中で女性が倒れており男性も殆んど裸、それを右上の馬に乗っているトルコ人が見ている。頭にターバンを巻いているのでそれがわかる。
それまで絵画というものは美しいものを描くものであったが、美しいものがどこにもないこの画に、当時のパリの人は強烈な衝撃を受け、オスマントルコ人は野蛮だという印象を与えた。

 右の画はアングルの代表的な作品「奴隷のいるオダリスク」(1842年/ウォルターズ・ギャラリー蔵)である。オダリスクとはもともとオスマントルコの宮廷(日本でいう大奥)のことだが、手前に囚われている白人女性がいて、真ん中に立っているのがターバンを巻いた黒人。

 この構図がこの時代、ヨーロッパ人がイスラム、アラブに対してもっている典型的なイメージなのである。一つは女性(裸の)がいてそこに暴力性を現す黒人奴隷がいる。これが決まりきった画のテーマであった。そういうのをオダリスクという。


 文化と文化がぶつかると、知らない文化の間でさまざまな誤解が生まれる。文化に対する勝手なイメージや幻想が生じるのは仕方がないのかも知れない。が、前述のサイード氏が狭義のオリエンタリズムの定義を、「エジプト・トルコを中心とするイスラム文化圏に対する、ヨーロッパ的な支配者としてのものの見方・考え方」と定義づけたのである。つまり彼らは劣っているから、我々は文明を教えてやらないといけない と。

 それはどこかで聞いたような台詞であるが、それを支配者として正当化するのは認められない。しかし、いまでもヨーロッパ人、とくにアメリカ人は、心のどこかでそれを受け継いでいる。


4.イメージの起源と拡大

 そういうアラブ・イスラムに関するイメージの起源はどこにあるか。イスラムはユダヤ教・キリスト教の伝統の中から出ている。
 ユダヤ教の特徴は民族宗教。世界中でユダヤ人は差別されているが、やがてこの世界の終わりが来るときに、我々ユダヤ人だけが救われるとする選民思想(エリート主義)である。当然、他から攻撃される。
 
 それに対しイエスキリスト(キリスト教)は、それではいけない。信仰によって、愛の力によって人は救われるとして、ユダヤ教の非常に狭い民族的なエリート主義を排した。当然キリスト教とユダヤ教は仲が悪い。

 その伝統の中からムハンマド(マホメット)のイスラム教が出てくる。したがってコーランを読むと、新約聖書(キリスト教)も旧約聖書(ユダヤ教)の章句も出てくるが、当然キリスト教徒はムハンマドはニセの預言者といって、イスラム教を攻撃することになる。

 ユダヤ教・キリスト教の伝統の中から出て、神からの啓示を受けて改革しようとしたムハンマドは、ユダヤ教の協力が得られると思っていた。 その証拠に、イスラム教のお祈りの方向はメッカだが、最初はエルサレム(ユダヤ教とキリスト教の聖地)だったものを、ユダヤ教の協力が得られなくなって180度変えたものである。

 ただ、現在でもユダヤ教・キリスト教・イスラム教とも、お祈りが終われば「アーメン」という。今私が唱えたことを保証します、嘘偽りはありませんという意味である。

 キリスト教もユダヤ教もイスラム教も、目には見えないが共通の神様を信仰している。キリスト教徒・ユダヤ教徒はそれを認めようとしないが、イスラム教徒はそう信じている。これは極めて大事なことである。

 また、世界中でキリスト教徒から差別されているユダヤ人を、一
番守ってやったのがイスラム教徒である。その関係が逆転したのが、第二次大戦が終わった後、イスラエル(ユダヤ系)という国ができてから。以後50年、不幸な状態が続いているが、それだけでみてはいけない。

 イスラムが起こったのは622年であるが、それからずっと1700年頃まで、文化的・学問的・経済的にイスラム圏がキリスト教圏を凌駕していた。それが転換し始めたのが1700年頃で、完全に逆転したのは1800年である。19世紀はオスマントルコの領地を、ヨーロッパ人が次々に植民地にした時代である。もともとはヨーロッパのキリスト教圏の人たちがもっていたイスラムに対する考え方(優越感と劣等感)が底辺にあって、ネオコンにまで繋がっていくことになる。


5.日本の場合

 日本人の場合、もともとイスラム圏の人たちと殆んど付き合いがなかったため、キリスト教圏の人たちが長い間もっていた複雑な感情はない。しかし、我々のアラブ理解・イスラム理解が、ヨーロッパ・アメリカ経由のため、キリスト教圏の人がもつ考え方を受け継いでいるのではないか。

 日本人のそれは基本的にヨーロッパと同じで、一つは「月の砂漠」の歌に代表されるように、ロマンチックなイメージであり、もう一つは「千一夜物語」や「ハーレム」から連想するエロチックなイメージではないだろうか。日本もどこかで彼らを、野蛮・頑迷・女性蔑視といった考えを受け継いでるのではないだろうか。こういう文化の誤解は仕方がない面もあるが、我々一人ひとりが知ろうとすれば、こういう時代だから機会はあるはず。自覚して理解する努力をするべきである。

 例えば日本語だが、我々が日常使っているカタカナ語(英語やフランス語)の起源は、その多くがアラビア語であるし、漢字語でも「襦袢」はアラビア語の「ジュッバ」、「如雨露」は「ジュッロ」、「莫大小」は「メリンス」というアラビア語から来ている。

 先にも言ったように、今ではアラブ人は暴力的で無知というイメージをもち勝ちであるが、1700年紀頃までは、圧倒的にアラブの文化や学問の方がヨーロッパよりも優れていたため、基本的な言葉(医学とか天体とか星座の名前など)に多くのアラブ語が残っている。言葉には、そのなかに歴史や背景を秘めているといえる。


6.相互理解を目指して

 では我々はどうしたらいいのか。単に報道(一般の人の暮らしは報道してくれない)に頼ることなく、相手側に対する知識をもち、イメージではなく実像に迫ることである。

 もう一つは、自己の姿を認識すること。エジプトのカイロにあるオペラハウスや、カイロ大学の小児病院は日本の寄付で建てられた。そのことを、一般のカイロの人でも知っている。中東に行けば日本人は尊敬されていることがわかる。

 翻って我々が彼らから学ぶことはないのか。
テレビのコマーシャルは、その時代の世相をあらわすといわれるが、今、一番多いのは保険のコマーシャルである。80歳になってもまだ保険に入らないと不安な日本の老後。

 反対に彼らは歳をとっても愉快に陽気に暮らしている。全く精神的な安定感からは日本とは逆である。そういうところは我々が学ぶべき点だと思う。つまり彼らは貧しいけれど、最後はアッラー(神)が何とかしてくれる という気を持っている。そこが日本人にはない。

 結論として、知らない文化を知ろうと意識して努力すること。一つ学ぶことがあるとすれば、心の平安。歳をとってから改めて身につけるのはなかなか難しいが、信仰の大切さではなかろうか。




12月 講演の舞台活花


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