平成19年度
熟年大学
第三回

一般教養公開講座
於:SAYAKA小ホール
平成19年7月19日

 
坐禅のすすめ
~現代を生きる道しるべ~


曹洞宗安泰寺
住職
ネルケ 無方 氏

                    講演要旨

来日して15年になるドイツ人住職が、自分と坐禅との出会いや住職になるまでの道程を通して、現代日本人に坐禅をより身近に感じてもらうため坐禅の意味と実践を説明し、「坐禅儀」を手引きに、デモンストレーションも行います。
                   
A) 坐禅のすすめ

 「坐禅」は常用漢字では「座禅」と、「广」(マダレ)をつけて書くが、禅宗では「坐禅」と書く。それにはいろいろ訳けがあるのだが、生身の人間がただ坐る行為だから 「坐」でいいと思っている。

 「修行」と「修業」の違いもある。「Practice」と「Training」の違いである。「修行」とは坐禅を組む、働く、食べる・・・日々の実践であり、「菩薩として生きる」という終わりのない行である。

右は、坐禅の姿勢。「坐禅しても何にもならぬ」と、坐禅と一生を貫いた安泰寺五代目住職の沢木興道老師の画像である。

 レジュメの巻末に「坐禅儀」(坐禅のしかた)を付けた。道元禅師が書いた「坐禅儀」は、昔から禅宗の手引きとされてきた。

 「坐禅儀」は真言や天台など他の宗派にもあり、調身・調息・調心というふうに坐禅における構えが説かれるが、心に重きが置かれるものが多い。道元禅師の「坐禅儀」では、姿勢が整えば自ずと呼吸も整い心も整うという「心身一如」の考えから、理屈より肉体性に重点がおかれる。
ここが体の存在を忘れがちな現代人のための一つのヒントであろう。

               《坐禅の実演》

 沸々と雑念が沸いてくる。それを止めようと思っても止められない。考えは湧いてくるが、それを自分の脳味噌の分泌物だと思って、それに振り回されることなく、追いかけることもなく、かといって自分の方から捨て切ろうとか払おうということも思わず、ただそのままにしておいて手放す。



B) 坐禅との出会い

 それは私の家族と日本との縁に始まる。祖父は東京生まれだが、第一次世界大戦直前、家族と日本のメードさんを連れて旅行でドイツに帰り、戦争勃発後戻れなくなってしまった。

 16才の時、寮制の高校の時に坐禅と出会う。そこに坐禅のサークルがあり、ドイツ人の先生から勧められたが興味がなく断った。
しかし「一度も坐ってみないで、どうして興味がないと言えるのか?」という一言に反論できず、一度だけということで体験することになる。2度、3度と重なるにつれ、1年たった17才の時には、坐禅だけは一生続けたいと思うようになっていた。

 どうしてそう思うようになったかといえば、当時私は自分というものを頭の中でしか考えていなかったが、姿勢や呼吸が変わることによって自分が変わり、見ている世界が変わる体験をした。そこには自分の体を通して世界と繋がっているという発見があった。

 もう一つは7才の時に母が亡くなり、「自分とは?人生とは?現実とは?」と疑問をもち考えることが多かったが、父親も先生も、誰も答えは教えてくれなかった。結局、禅や宗教の本を読むことによって、同じことを考えている人がいる(いた)ことを知った。すぐにでも出家したかったのだが、周囲の説得で大学までは出ることにし、その後日本に行くことになった。


C) 安泰寺への道

 22才の時に初めて安泰寺に上山し、25才で出家した。
師匠から頂いた一番重要な言葉は「安泰寺をオマエが作るのだ」。人生は向こう側にあるのではなく、人生に意味があるかどうかはオマエ次第だという教えだった。

 もう一つ印象的な言葉は「オマエなんかどうでもいい」。オレが私がどうしようという思いを捨てることを教わった。

 最初の2年間、修行が上手くいっていたとは思わない。上下関係の厳しさに反発したり、なれない食事作りなどでも苦労した。

 3年目は京都の東福寺(臨済宗)で1年、4年目は小浜の発心寺(曹洞宗)の専門僧堂で修行し、安泰寺の師匠の元へ戻り、また4年間修行に励んだ。ここまで8年の修行を経て、師匠の5人目の弟子として法を継ぐことになった。

 すぐドイツに帰らず、まず大阪城公園の青テントで「ホームレス雲水」になった。その狙いは、毎朝在家の方が参禅に参加できる場を提供することだった。毎朝6時から8時まで坐禅し、昼は托鉢に出かけたり、日本の仏教書の翻訳をしたりしていた。本当は2~3年続けるつもりであったが、半年後、師匠が除雪作業の事故で亡くなり、急遽、寺に戻ることになり、自分はその積りではなかったが、寺を継ぐことになった。


D) 写真でみる四季の安泰寺



  《四季の安泰寺》

   ~人里離れた自給自足の生活や修行生活を、風景と共に
画像で紹介される~


E) 今の日本に不足しているもの

 現代、特に日本に不足しているものは「心の主食」、それから「大人」。 そのキーワードは「生きる方針」と「責任感」である。

 「心の主食」でいえば、日本人の宗教観は欧米人の宗教観と違って、一つの宗教に生きるというこだわりがなく、キリスト教などにはない寛容な心はいいことだと思っている。しかし、おかずだけでは生きられない。「心の主食」が何なのかがはっきりしないから、精神的な安定感がないのではないか。

 もう一つの「大人が不足している」ということ。
大人の定義は、第二次成長期を終わっていること。法律では年齢20才をもって成年とするとなっている。親のすねをかじらずに、会社に勤め、または独立して家庭を築くということ。
また、自分が大人であることを自覚した上で、自分の考えで行動し、その結果として起こったことに関して、自分で責任が負えること。経済的・精神的に自立すること。今の日本にはそういった大人が少なくなっている。

 ドイツの場合、戦後の教育を受けた世代(68年世代:学生運動が最も盛んな時代)が無責任な国造り、人作りを行い、今の若者はそのツケを払わされている。戦時中を生きていた親の世代に対する反感から、社会革命の夢みたが果たせず、その世代が時代をリードする立場になった今、当時の理想からはほど遠く、日本と同様「自由」と「自己中心」をはき違えた消費者社会になった。「国のために何ができるか」というより「私のために国が何をしてくれるか」とばかり問われ、家族の崩壊、教育の空洞化、セックスや麻薬といった様々な社会問題をも抱えている。

 ドイツでも大変なのに日本ではなお大変である。その理由は文化の違いにある。ドイツを含む西洋は「凸型」の文化であり、「主体性」から出発するためまだ希望はある。「凹型」の日本では、まず「自分から始まらなければ何もできない」ということを理解することが必要だ。その上で、今の若い世代が新しい日本・世界の創造に立ち向かわなければならない。その責任は限りなく重い。寺に上山してくる若い日本人に私はいう。「オマエの親や学校の先生が見本になっていなければ、これからオマエ自身が見本になってみろ」と。


F) 現代を生きる道しるべ

 多くの方は安泰寺のホームページを見て寺を訪れるが、画面で見た安泰寺と現実は違うので、HPでは次のように書いている。

 
「これから安泰寺に行こうと思っている方が、実際に安泰寺に来られた時に若干失望するかも知れない。
写真を見て頭の中で想像した「安泰寺」と、現実ここにある安泰寺が違うからだ。イメージと現実は違う。安泰寺は「想像」ではなく、時たまわれわれの夢や想像をも否定してしまう現実であるからだ。この現実をいかに創造すべきかが、我々に与えられた課題である。

 坐禅や作務などは生活の一部分として行われているのではなく、むしろ一日二十四時間の生活は生きた禅の現れでなければならない。こうした毎日の生活の中で表現されるべき命の働き以外には、安泰寺の修行、禅仏教の教え、宗教的な生き方等は一切ない。

 また安泰寺で精神的な指導や心の安らぎ、浮世を離れた山の静けさや大自然に適った共同生活、真実の道や永遠の幸福のようなものを望んでいても、そういったものは皆無である。

 安泰寺は自分自身の人生を菩薩修行として創造していく場所にほかならない。修行者は和合し、仲良く生活しなければならないのは勿論だが、他の援助を期待したり、教育されたりすることはないので、自分の修行は自分でしなければならない。

 一番大事なことは自分の方へ仏道を引き寄せるのではなく、自分の身も思いをも仏道の方へ投げ入れることだが、そのためには先ず自分は何のために安泰寺に来たのか、ここで何を修行しようとしているのか、をハッキリさせなければならない」
と。

 自分が今生きているこの瞬間の命のほかに、期待するものがあれば必ず失望する。自分をも人をも誤魔化さずに、私は一体なんのために生きているのか、と自分に問うてみたい。





7月 講演の舞台活花



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