平成16年度
熟年大学
第4回

一般教養公開講座
於:SAYAKA小ホール
平成16年9月16日


 〜仏教文化財の形とこころ〜



講師
浄瑠璃寺
住職
佐伯 快勝 氏

日本の古寺に伝わる堂、塔、仏の像は、世界に誇れる素晴らしい芸術・美術と明治以来も広く認められてきました。が、その背後のほとけそのものは次第に見失われてきたのでは・・・古寺の形とこころを考えます。

 
                     講演の要旨


                  

●文化財の保護


国が指定している文化財は沢山あるが、殆どが信仰対象、仏教が圧倒的に多い。
明治維新のおり仏教といわず神道も大変圧迫された。 物としてのものも随分破壊された。

奈良の興福寺の五重の塔が売りに出され買おうとした人があった。貴重な金具だけで採算にあうとの計算。 どうして外すかは「燃やす」・・・とのことで反対運動が起こり中止されたとのことである。
このような例は奈良だけのことでなく全国的な広がりで寺の貴重な財ががつぶされた。

明治新政府は、欧米に追いつけ、追い越せというので科学者や技術者を集めたが、その人たちが、打ち捨てられる文化財の貴重なことを訴え、お雇いの外国人からの指摘もあり法律ができた。 その法律がいまでいう文化財保護法の前身。 浄瑠璃寺も、そのとき、国から公の金をつぎ込んで修理ができた。 明治32〜3年のはなし。 それに間に合わず潰れたお寺が奈良近辺にも沢山ある。

これは奈良だけでなく全国的な流れだが、国で指定した大きな教団、本山があってその末寺があり、その下に一般の檀家が沢山ある。その数で存続が認められたのである。奈良の寺の場合は、組織は皆ささやかなもの。 浄瑠璃寺や興福寺は真言系に、薬師寺や法隆寺も一応真言の大きな集まりの一つに入り、かろうじて毀釈廃物の嵐を乗り越えた。

その後、焼いたり捨てたりしたもの以外に立派なものも沢山残っているので、急に文化財として大事にする雰囲気が出てきたものの、中味のほうは駄目。 寺のやっていることは非生産的というわけ。

                     

阿川弘之氏の「雲の墓標」の情景にもあるが、戦中、先生・学生が浄瑠璃寺にやってきて、文化財の大切さが語られた時期もあったが、戦後23年ころから復活。 学生をつれた先生が文化財の凄さを話すのだが、仏教という釈迦の教えに関わる角度からの話は全くなかった。

ところが、浄瑠璃寺にある国宝の四天王の全身に極めて緻密な文様が施されており、その文様の中のキリガネ細工という、金を細く刻んで文様を作ってゆく手法がとられている。 その金は、糸を織った布のように斜めの線が施されて貼り付けられている。 このようなことを専門の先生が学生によく見ておけと説明されていた。 この技術は途絶えている。

この例からも今の人では不可能なことが行われていた。その存在源は精神力、つまり、
信仰から沸いてくるのである。 人間の力ではとても及ばぬ凄い存在が、我々に命を与え、命を育んでいるのである。 それが超人的な世界に入る所以としか考えられない。

そこで奈良の寺を参考にして、人間にそんなことができる不思議な力がどこか出てくるかを頭の片隅にいれておいてこれからの話をお聞ききいただきたい。

伽藍の配置とこころ

 現在の浄瑠璃寺の伽藍配置略図参照←左図

  

西の九体阿弥陀如来の阿弥陀堂。 池の東に三重の塔の薬師如来。池の北側に大日如来、三方から池に向かって仏が祀られている。 法成寺の復元図⇒上右図と同じ。 東の薬師、西の阿弥陀、北に大日で、これが浄土式の伽藍配置であり、法隆寺の金堂に原形。       


東が阿弥陀、西が薬師の根拠は、法隆寺の伽藍配置にある。


                

この右側の金堂に、東の薬師如来、中央の釈迦如来、西の阿弥陀如来を三世の三仏という。 つまり、過去世、現世、来世。 東から出て西に沈む太陽の原理に合わせたもの。 これが仏教の示す未来の理想の世界。 娑婆⇒極楽は夕陽の沈む西の彼方である。 これ即ち来迎の如来⇒阿弥陀如来の別名。 過去世の薬師、現世の釈迦如来、目標の来世の阿弥陀如来。 因縁因果のご縁はここにあり命のつながりである。
娑婆とは忍土の現世。釈迦は苦しみのある世界といっている。 釈迦が説く説法に、生まれた途端にもつ四つの苦しみがあるという。即ち「生老病死」。

その苦しみを乗り越えられるよう薬をもたせて過去世から現世に送り出すのが薬師さんというわけ。 この三世を並べたのが法隆寺の三仏。

ところが、唐招提寺の場合は、下図のように、中央の金堂は、東に薬師如来、真中に蘆舎那仏(後背に沢山の釈迦)、西に阿弥陀如来の観音さん・・となる。

                

そして、金堂の後ろの講堂に後継ぎの弥勒如来が待機する形をとってる配置。これが、奈良時代の寺の原点で、いまでも国は、奈良仏教系といっている。
この形から、蘆舎那仏⇒摩訶毘蘆舎那仏⇒大日如来の意識が拡大してゆく。
                

●如来の印相について

人間がどう生きるかを示す基礎的な教えが三印相。

                
                   自分を作り上げる座禅形


                    中生印(説法印)
               
                 弱い人を助ける開いた形
                         

皆とつながって良い事を分け合う説法印が、如来の印相で一番おおい。

                 

此岸から彼岸へ・・菩薩道   (省略)

五輪塔婆 物質の五元素  空・風・火・水・地  

                  


一段の虚空、二段の空気の層、三段の屋根は熱と光の火、
四段の丸いのが水、五段目が大地、これが五輪塔で物質の五元素を現す。

霊魂、魂、心、精神の四識に物質の地水火風空が一つになるのが、命の存在となる。この輪廻を司るのが大日如来で、その印相が下図で象徴。

                    
   
つまり大日如来仏心は、五輪塔で現されており、大日さんの姿。

本尊と脇侍⇒三尊仏の意味
                 
インドで生まれた思想。
薬師如来の場合、向かって右手が日光菩薩、左が月光菩薩。
情と智の二つの支えで本尊が安定する意味。
これは右脳、左脳のバランスが支えて人間本体が安定する考えと同じ。

このように、なんでもない仏の姿が、みな形・姿で表してくれている、その基礎的な読み方さえも忘れているのが現代である。人間らしさを失っているのはホントウに怖い現実。 地水火風空とそれぞれの心をもって、命がうごめいている世界でこそ、お互いがわかり、そこで育つのが本能。 いま本能まで育つ場がなくなっている。 本能が素直に育って初めて理性が働く。 小さい時から理性ばかりが育ち、本能を押さえつけたときは何がおこるかというと、親子の関係でもわかるように、親が子を殺し、子が親を殺す場面が何度もでてくる。 

それだからこそ、古い寺の存在価値は大切で、皆さんに知ってもらう努力をしなくてはならぬと思う。 紀元前のヒポクラテスの言葉に、
「自然から遠ざかるほど、人は病気に近づく」とあるが、これから考えたら、自然を押さえつけて人間だけが楽になろうというリズムの中で、人間が犯してきた過ちを清算せねばならぬときがやってきたのでは。

                 


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