平成16年度
熟年大学
第3回

一般教養公開講座

於:SAYAKA小ホール
平成16年7月15日


 〜韓国経済の再浮上は本物か〜
金大中政権の構造改革と日本への教訓



講師
大阪市立大学
教授
朴 一 氏

                   プロローグ
景況感に陽射しが見え始めた日本とは対称に、韓国では景気が明るさを取り戻し、2002年の秋以降、個人消費が回復し、鉱工業生産がプラスに転じた。99年には6.3%だった完全失業率は、2002年2月には2.8%と大幅に改善。更に深刻だった不良債権問題を、国が経営不振企業を強権的に整理し、早期に公的資金を投入して処理するという政府主導の構造改革で乗り切ったことで、韓国経済に対する国内外の信用が回復した。果たしてこうした韓国経済の再浮上は本物と看做すことが出来るのだろうか。
 
                     講演の要旨


韓国が何故通貨危機に陥ったかの話をするには、何故韓国が成長したかの話をする必要がある。 台湾とよく比較されるが、台湾は中小企業が担い手であるのに対し、韓国では財閥が中心となって経済を引っ張ってきた。

日本の財閥と違うところは、一つの財閥が一つの専門に特化しないところがその特徴である。 日本の場合は、松下なら電器メーカー、福助なら足袋といった一つの専門に特化して発展してきた。 

ところが韓国の場合は財閥が各種の部門を有している点が日本との違いである。 政府と財閥の癒着関係があり、政府がそれぞれの年次に経済開発計画を作り、特定の戦略分野を決定して育成し、その部門に参入してくる財閥に対し、優先的に特恵を与えてきた。 従ってどの財閥もその分野に参加しなければ、開発競争に取り残されるから殆どの財閥が、政府の制度金融を利用しながら、造船、化学、半導体、通信機器、自動車、新聞社、ホテルと系列企業を増やしていった。 つまり、政府系金融機関から低金利の融資をうけ、自己資本の少ない借金経営をしながら他人資本で発展した。

その有利な特権を得るためには、大統領とか政府に賄賂を渡すのが一般的になった。これが明るみにでたのは、1992年にキム・ヨンサム氏が大統領になって、政府と財閥の癒着にメスを入れることをSeoulの最高検に命じた結果、ノ・テウ氏とチョン・ドファン氏の二人の前大統領が逮捕されるという事件に発展した。 

民主改革のメスが入れられたその結果として、資金繰りが苦しくなり倒産する財閥が出てきた。 政府と財閥の蜜月関係に、無担保で融資していた銀行の頭取も逮捕される事件となった。

無担保で融資していた銀行は、財閥が倒れると莫大な不良債権を抱えることになった。 その結果一斉に銀行及びノンバンクの貸し渋りが強まり、経営の悪い企業からの資金回収も一挙に重なって経済が悪化した。 ムーディスの格付け機関の評価も下がった。 その上、外国機関投資の引き上げも一挙に行われ韓国の信用が失墜した。

1990年代からは急速な市場の自由化が行われ、国内の財閥系企業保護のため外資系企業の受け入れをしなかった市場に外国企業を解放し、それに対抗出来得る企業体質の強化を進めた。 急速な市場の自由化は、外国金融機関がオプショナル市場に投資運用する機運がでてきた結果と政財界にメスを入れた民主化が重なった。 

その次のキム・デジュン大統領は、IMFからの支援を受けることに踏み切り、98年からの4年間に経済構造の改革をスピーディに展開した。 ここがホップ・ステップ・ジャンプの根回し型日本と異なる点。 韓国が金融危機に立ち向かった三つjの柱は、財閥改革、銀行整理、整理解雇制の導入だった。 財閥改革を示したビデオの映像をご覧ください。
                    

このように、企業間経営の透明性の向上、系列企業間の債務保証の解消、財務構造の改善、系列企業の整理、オーナー責任の明確化の5点を企業責任者に約束させた。

日本と異なる点は、企業がその約束を守らなければ市場から退出させることである。
日本では構造改革のプログラム作りに熱心。 そのプログラムの実行の有無は企業の主体性に任かせられ政府は無介入。 韓国の場合はビデオにあったように、かなり強引に、企業グループの構造改革に介入した。 98年〜99年の二年間に14のトップ財閥の計43企業の経営陣を交代させ売却させたのである。 その結果、韓国34の企業が解体され、系列の220社が淘汰される結果となった。 

生きる価値のない企業、採算の取れない企業は、市場から退出させることを徹底したのである。金融改革も同じで利益の出ない銀行は一旦国有化されて98年には5銀行が業務停止となり、不良債権の即刻回収と公的資金の注入が行われた。

その構造改革の結果、外国の機関投資家に好印象を与えることになった。 98年のマイナス6.8%のGDPが、99年にはプラス10%のV字型の急回復を遂げた。 外貨準備高も97年の204億ドルから2002年には1170億ドルに増えた。 失業率の低下も然り。

これらの数値の変化が韓国に対する国家の信用格付けを大きく上昇させ、BAの1からA3となった。しかしその副作用がなかったわけではなく、一つの例としては外資系の企業に呑みこまれたり、貧富の格差が広がった事で、日本以上にアメリカ型の構造に近づいている。 ここで98年の構造改革に関わる銀行整理に関するビデオ映像をご覧ください。

その取り組みの代償として、大規模なリストラと無能な経営者の退陣となり、一時失業率が高まり98年には200万人の失業者があった。 ところが現在は100万人に減少しているので、構造改革の結果は、新しい企業に吸収されていった点が韓国の構造改革を見る上で重要な点であると思う。 構造改革とは、企業をつぶすだけでなく、IT産業を始め新しいベンチャー企業を創造する改革だったわけである。

韓国と日本を比べるときに、デウ・グループのような大財閥を破綻に追い込み、そのメイン銀行も処理した韓国政府と、再建できないダイエー・グループをそのまま残し、さらに不良債権の処理ができないりそな・グループに莫大な公的資金を注入したり、不良債権処理の進まないUFJに対しても思い切った手段を打つ事が出来ない日本では、構造改革に取り組む姿勢が異なっていると思われる。

どちらが良いかは皆さんが考えることだが、少なくとも外国人の機関投資家が見たら、日本より韓国の方が改革が進んでいるとの印象を与えるだろう。 従って韓国にはたくさんの外資が入ってくるが日本には入らず、株価も低迷を続けているのが現状と思う。

IMF型の改革は年功序列的なものを許さない。つまり能力のある人が多くを稼ぎ、能力の無い人は安定した生活をする事が出来ないシステムに移行している。
おそらく日本は10年以内にこの方向に進むだろうし、韓国はそれ以上に早いスピードで向かっていくだろう。 

果たしてそのような方向性で日本や韓国がアメリカ型の国になっていく事が本当に人間にとって幸せかどうかは、疑問の残る部分である。 従ってこの構造改革が、そこで如何なるセーフティネットを作って、能力のない人も最低限の人間らしい生活ができるかを考える局面に、今韓国も日本も差し掛かっていると思う。
                 


7月講演舞台活花
ヒマワリ