第2回 弘法大師立ち寄りの地を行く(針中野)   29年9月15日(金)

企業名が町名になっている所は大阪でも多く見られますが、個人名が町名になっている珍しい例が針中野です。
平安時代以来の歴史を持つ当地の著名な中野鍼灸院に因むもので、同院を営む中野家が大阪鉄道の開通に尽力し、
そのお礼として1923年の開通時に鍼灸院の最寄り駅の名前を「針中野」にしたと言われています。
現在も駅名は「針中野」のままで、地名としても残っています。今回は、弘法大師の霊験伝説の地、針中野を辿りました。


 
駒川中野駅
大阪市東住吉区針中野1丁目にある大阪市営地下鉄谷町線の駅です。

 
西除川跡(左)、庚申街道(右)

 
仏願寺
正式には天堂山佛願寺といいます。慶長4年(1559年)開基と伝えられています。

  
中井神社(左、中)、はりのみち道標(右)
大正3年(1914年)に南海平野線が開通した時に中野駅から中野鍼灸院まで320メートルの間に7基の道標「はりのみち」
が辻の角々に建てられました。その後平野線は廃線となりましたが、今でも2か所に道標が残っています。


 
  
中野鍼灸院
平安初期に弘法大師が布教の途上、当家に宿を借りたお礼として当時最も進歩した鍼術とつぼを示す「遂穴偶像」と金針を授与されたということです
平安時代から一子相伝を守り、男児に恵まれない時は女性も当主としての鍼灸術を習得して現代に至っています。

 
駒川商店街
大阪市東住吉区駒川にある商店街で、全長730メートル(東西190メートル、南北540メートル)の十字形の商店街です。

 
酒君塚古墳
駒川上流右岸にある鷹合の酒君塚古墳は、かつて大きな古墳群があったうちの一つです。 

 
鷹合神社
東住吉区鷹合にある神社で正式名称は素盞嗚尊神社といいます。