第3回 由緒正しい地名「遠里小野・我孫子」を訪ねる   27年11月27日(金)

大阪上町台地の南に位置するあびこ界隈は、古くから開けた土地で古代豪族・依頼吾彦(よさみのあびこ)
本拠地でした。我孫子の地名も「依頼吾彦」に由来すると言われています。
また、住吉区1~7丁目の町名
遠里小野(おりおの)は、
その昔万葉集にも詠まれて、江戸時代には菜種油の大生産地として栄えました。
このような地名の由来をひも解きながら、謎めいた古代の町を訪ねました。


  
止止呂支比売命神社(とどろきひめのみことじんじゃ)
創建時代は不明ですが、社名のとどろきとは当時境内にあった橋の名前が由来です。
承久3年(1221年)、後鳥羽上皇が境内松林内に行宮をたてて以降、若松宮、または
若松神社と言われています。


  
熊野街道を通って、遠里小野にある極楽寺へ
楠正成が寄進したという石灯籠(重要文化財)が境内にあり、正成公お手植えと伝えられる
クスノキを見ることが出来ます。


 
安養寺
山号は木星山、浄土真宗本願寺派のお寺です。
明治の歌人・与謝野鉄幹が実家の没落後、数年間だけ小僧として修行を
したことがあります。


 
 
神光寺
修験道のお寺で本山修験宗、聖護院門跡の末寺です。

  
あびこ観音寺
昔、この地に住んでいた民が百済の聖明王から身の丈一寸八分の観音像を贈られ、
人々がお堂を建ててまつったのが始まりです。後に聖徳太子がこの地を訪れた際、観音様の
お告げを受け、伽藍を造立したのが大聖観音寺(あびこ観音)であると言われています。