第2回 御幣島(みてじま)界隈   7月12日(金)

淀川や旧大和川などが運んできた土砂が堆積して多くの島が生まれ、
古代には難波八十島と呼ばれていました。
淀川流域に佃島、出来島、姫島、歌島、柴島、中島などの「島」がつく地名が多いのは、その名残で、
御幣島もそのひとつです。
また、かってこのあたりは住吉大社の領地だったといわれています。

 
「あおぞら財団」が運営する西淀川・公害と環境資料館の見学

あおぞら財団
大阪西淀川大気汚染裁判は、平成7年和解が成立。
被告9社とは西淀川地域の再生のために努力しあうことを確認し、その和解金の一部を基金に設立された。

 
景行、成務、仲哀、応仁、仁徳の5代の天皇に仕え、300年生きたとされる「竹内宿禰」と子孫の墓がある「光明寺」


明治42年に加島の香具波志神社に合祀された「住吉神社」跡碑(御幣島公園)


江崎記念館

  
館内の見学(左)、ゴールインマークのレリーフ(中)、大正11年ごろのゴールインマーク(右)


グリコに付いていた懐かしい「おもちゃ」


創業者の江崎利一翁の書

 
昭和6年に製作された画期的な「映画付きグリコ自動販売機」(左)と記念写真(右)



 
大野川緑陰道路
かつてこの地を流れていた大野川は、工場排水によって河川が汚濁したため埋め立てられた。
大阪市は川を埋め立てた跡地に高速道路を建設する計画であったが、
「公害がさらに悪化することにつながる」として、高速道路建設計画に反対する住民運動が起り、大野川緑陰道路の建設に変更された。