23年度
歴史に残る町を訪ねる
第2回 平野郷を巡るコース(23年10月28日


平野郷(大阪市平野区)は、平安時代に開かれ、戦国時代には自衛のため、まちを環濠と土居をもって囲み、
町民会議でまちを運営する自治都市として栄えました。

この地区では町内にある個人の住宅や商店をミニ博物館として開放し、
平野町ぐるみ博物館」として銘打った街づくりを展開しています。

平野郷は、観光の町ではないため、観光協会や観光ボランティアを作っていませんので、
町の有力者など3名の方が自主的に「町の歴史案内人」をされています。
本日は、元市職員で、現在区民センター館長の塚原様にご案内をいただきました。


 
  
平野郷一円の守護神「杭全神社」  全国で唯一の連歌所が残っています

 
杭全神社横の「杭全公園」と環濠跡

 
大阪狭山にも通じている「中高野街道」

 
薬師如来を本尊とする「全興寺(せんこうじ)」 (境内には「駄菓子屋さん博物館」もある)


平野郷の町並み

  
古来から祈雨の神として信仰された赤留比売命(あかるひめのみこと)神社と酒造業にも利用された「平野の黄金水」

町ぐるみ博物館(一部)
  
左から「新聞屋さん博物館」、「平野映像資料館」、「かたな(刀)博物館」

 
日本で最初の念佛道場「大念佛寺」

  
現阪堺線「今池駅」とを結んでいた「旧南海平野線」の平野駅跡プロムナード
(大阪市営地下鉄谷町線の開通で廃線)


13ヵ所あった環濠の出入り口に祀られていた地蔵尊(名前に全て「口」が付いている)
 
流口地蔵(左)   田畑口地蔵(右)
 
出屋敷口地蔵(左)   樋尻口地蔵(右)

エピソード 
杭全神社の境内にある玉垣に「十九川和三郎」の名が記されたものがあります。
これは、大阪の陣で、徳川側に協力した武士が「そのお礼に何か欲しいものは無いかと」言われ、徳川の姓をほしいと言うと、徳川はまずいので、「十九川」しろということになったそうです。