第6回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA大ホール
2022年11月18日

「魂の労働者」としての詩人~宮沢賢治・中原中也・金子みすずを中心に~


 

梅光学院大学元学長 

中野 新治氏

講演要旨

人間の魂の世界に深くかかわるものとして、祭礼、音楽、舞踏、それに詩があります。

今回は、詩人を<魂の労働者>という視点で理解してみたいと思います。

それは、人間の地上性と天上性について考えてみることでもあります。


はじめに

 今日ここで講演できますのは、私が高校教員をしていた時の同僚の加藤先生から約50年ぶりにご連絡をいただいたからです。生きていくうえで、自分の努力はもちろんですが、何かの縁や導きで世界が広がることもあるので、今日ここでお話しすることが皆様の何かのきっかけになればと願っております。

 人は学べば学ぶほど、知れば知るほど喜びとなるものですが、高校までの学校では学びの範囲が限られていて、勉強するほどに残りは少なくなっていきます。しかしいざ社会に出れば、知っていることが増えれば増えるほど、さらに知らない範囲が増えると感じます。研究者はよく「勉強すればするほどいかに自分が知らないかがわかる」と言います。それがさらに研究を進めるモチベーションにもなるわけです。この熟年大学がこれからもそのような場であり続けるよう願っております。

今日は、宮沢賢治、中原中也、金子みすずの三人の詩人を取り上げ、三人をつなぐものとして中也の「魂の労働者」という言葉をヒントに、「詩を作る、あるいは詩的な世界に生きる」ということは「魂の労働をしているのだ」ということを、お話ししたいと思います。

1.人間と意識 ~意識の方が現実よりも大きい~

 人間には他の動物にないほどの強い意識があって、現実にどんなことが起こってもなかなか満足できません。それが時には大きな問題を引き起こし、病気になったり死んだりもします。それを北川透という詩人が『ぐりぐり』という詩にしました。「ぐりぐり」はどんなに殺しても死にません。この詩はどこまでも付きまとう人間の意識を暗喩しているのです。この「意識のしこり」は誰もが気にせずにはいられないものなので、人が死んだらその人の意識が成仏できるように葬式をするのだということもできます。それを悪用して「先祖の成仏のために」などと称して詐欺まがいのことをするえせ宗教も存在します。正当な宗教は、そういう意識にどう対応したらいいのかという答えを用意しています。キリスト教では目が見えない人がいたら、「それはあなたが悪いのでも先祖が悪いのでもなく、神の御業が表れるためである」とします。盲人でなければできない業がある。それが神の御業であるというのです。それが果たされるためにあなたが盲人になったのだ、としているのです。それを見て健常者が「こんなことをしてはおれない」と、みずからを省みることがあるかもしれません。意識をどうとらえるか、どう対処するかは古くから問われていて、「人間はどう生きるか」ということに深く関連しています。それを扱った典型的な詩として宮沢賢治の「鬼言(幻聴)異稿」を取りあげます。「見てはならないものを見たのだから目をつぶされもいいころだ」という衝撃的な表現がありますが、これに似た物語は古くからあります。ギリシア悲劇の「オイデプス王」は、予言された通り父を殺し、母をめとった主人公が「見てはいけないもの見、してはいけないことをした」として自らの目をつぶし放浪の旅に出るという運命悲劇です。日本の民話にある、本当の姿が分かると姿を消す「鶴の恩返し」の話も同じです。短い言葉で恐ろしい3文字は「見たな!」です。真実を見る、見られるというのは怖いことなのです。賢治は人間や世界の真実を見てしまったと思った人でした。貧富の差の激しい岩手で裕福な質屋・古着屋に生まれた彼は、なけなしのものを持ってくる貧しい農民の姿を見て育ち「私は見てはならないものを見てしまった」と思ったのです。それは彼が法華経の信仰者となり、行者のような生活をすることにつながります。人間が「真実を見る」ということはこれほどきついことでもあるのです。このように、何かを知る=意識する、ということが表現の原点に存在します。

2.コギト・エルゴ・スム(ラテン語=我思うゆえに我あり)デカルト

 ここから近代社会が始まったともいわれる大事な言葉です。「すべては疑わしいが、私が意識をもって考えていることだけは、疑うことはできない」ということだと思います。ここに近代的理性中心主義のものの考え方が確立したのです。

3.明るいコギトと暗いコギト

 「われ思う」ことがいい意味で使われるのはそれでいいのですが、それが逆に自己をおびやかせば「暗いコギト」になり、デカルトとは反対に「我思うゆえに我あらず」になってしまいます。

4.絶対的なコギト

 さらに深刻な答えのないようなことを考えてしまう場合です。なぜ生まれてきたのか、なぜ私は私なのか、には答えがありません。医学的な説明はここでは役に立ちません。人はなぜ死ぬのか、いくら科学的に説明してもそれで納得して死んでいく人は少ないでしょう。絶対的な問い、答えのない問いが存在します。突き詰めれば誰もが持つ問いですが、大人になるうちにほとんどの人はそんなものは捨ててしまいます。しかしそれを問い続ける人がいるのです。中原中也は二十歳の日記の中で、その絶対的な問いに触れています。結婚しても働かず、死ぬまで裕福な両親からの仕送りで生活していた中也は、多くの人がその生活のよりどころとする「行為」をせず、ただただ答えの出ない考え事をし続けると宣言します。「行為」は善悪の判断を伴うから道徳圏内と言える。しかし「考え事」は道徳圏外であり人間のおかされることのない唯一の自由だ、と言うのです。彼の「行為」と言えるものは詩作だけとなり、これを中也は「魂の労働」名づけました。このように実生活を失うことで苦しみもあったと思いますが、中也は二十歳の時にはもう、滑稽に見えてもそれでいいのだと言っています。考えるということはある種の人間にとって必然的なものですが、同時に深刻な問題であると言えます。「魂の労働」は相当な重労働なのです。宮沢賢治も「よだかの星」で、争いながらこの世で生きている理由がわからぬよだかが、地上に居りたくないと願い、結局、星になるという話を書いています。すぐれた詩人は、この答えのない問いに取りつかれた人だと言えます。

5.詩とは何か

 詩は言偏に志の「誌」と同じだという人もいますが、志を表現するなら散文でも普通の文でもいいわけです。「詩」には寺という漢字が含まれています。古来この「寺」という字は「物事をきれいに整えて規則正しくする」という意味を持ち「(規則にのっとって仕事をする)役所」を表していましたが、僧を接待のために泊めたことから、のちに仏寺の意に用いるようになったと言われています。このことから規則正しく並べた言葉が詩だと言えます。日本語の場合は短歌(五七五七七)や俳句(五七五)であり、漢詩なら五言絶句、七言律詩など、ヨーロッパでは14行(4433)のソネットなどがあり、さらに韻を踏むなどの規則があります。なぜこのような決まりがあるのでしょうか。文字のなかった時代には人々は思いを口頭で伝えるしかなかったのです。大事なことは忘れてはいけない。それにはリズムが必要だったのです。日本では七五調なら覚えやすい。七五調の演歌は覚えやすいですが、最近の七五調を無視した歌はなかなか覚えられません。リズムを付けて口誦できるものが詩なのです。散文は文字ができた後に生まれたもので、それによって複雑な事柄も伝えられるようになりました。バレリーというフランスの詩人は「詩とは踊りであり、散文とは歩くことだ」と言っています。散文ではAからBに伝われば十分で、歩行のようにできるだけまっすぐに行く、寄り道をしない方がよいので、近代の散文では余計な文飾はやめてしまいます。ところが踊りの方はまっすぐではなくぐるぐると情熱的に回るものです。つまり散文は機能的であって詩は自己満足的、自足的なもので、両者は根本的に違うものなのです。

6.詩人とは何か

 サンドバーグという米詩人は「詩とは陸に住んで、空を飛びたがっている海の動物の記録である」と言っています。この動物とは人間のことです。陸に住み、空を飛びたいと考えて飛行機を発明しますが、もとは海に住んでいて鰓呼吸から肺呼吸に変わって陸に上がった哺乳動物です。つまり、自分の居場所を失っている、自分がいるところはいいところだとなかなか思えない存在が人間で、その思いを記したのが詩だと言っているのです。しかし、詩はみんなそのように悲痛なものばかりだというのも言い過ぎになります。大岡信は「詩人の役割は宴で歌うことと、孤心を深めることと二つある」と言っています。かつては、宴でみんなを代表してその気持ちを歌うのが詩人の役割でした。柿本人麻呂は宮廷詩人として短歌、長歌をたくさん作りました。一方、孤心の方は、近代の、誰にも共有できないような自分の気持ちを歌う。それも詩人だということです。今日取り上げている3人は両者を兼ね備えているので、多くの人に受け入れられていると思います。「雨ニモマケズ」は詩として書いたわけではないですが、何かみんなの気持ちを代表しているようなものがあるし、金子みすずのものはみんなで愛唱したらうれしくなるような詩です。中原の場合は少しひねくれてはいるものの悲しみにおいて共有できるものがあります。こう考えると3人の共通項も見えてきます。人間は現実だけではなく心の中の問題が大きいウエイトを占めていて、その両方で生きていますが、詩人がその両方にまたがったところを歌う役割を与えられているのは確かです。現実というのは有限ですが、内面の方がむしろ無限で、それを数式にすると1=/2+1/4+1/8+1/16 …となり右辺は限りなく1に近づき続けます。ということは、一人の人間は無限の何かを心の中に持っているということです。キリスト教の成立と同時にこのような数式が生まれたといわれていますが、とても興味深いことです。イエスキリストは人々に「口の中に入るもので人を汚すものはない、口から出るものが人を汚すのである」と言いました。これはつまり、口から出る言葉が人間を苦しめたり、ゆがめたり、汚したりするということを言っているのです。それと同時に内面の世界が無限に広がるというテーマが出てきて、それを対象にしたのがヨーロッパの芸術や音楽です。そのためか、日本の昔の芸術や音楽よりも奥が深いと私は感じます。

7.魂の労働者

 先にも述べたように、詩人=「魂の労働者」は無限の内面の世界を追求するので、その「労働」は通常の労働より相当にきついものにちがいありません。実際、この3人の生涯は、1896年から1937年の間に重なっていて、賢治が37歳、中也は30歳、金子みすずはもっと若くして26歳で亡くなっています。日本の近代は建設と希望の時代のはずでしたが、次第に混乱と崩壊の道をたどって行きます。そんな時代に生きた3人でした。

8.天上性(1)

 3人が宗教的な何かを持っているのは確かです。人間を知性の人:ホモサピエンスと呼んだり、遊びの人:ホモルーデンスと呼んだりしますが、宗教の人:ホモレリギオーススという言葉もあります。人間だけが宗教を持っていて、それに対して親和性の強い人がいます。賢治は「堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます」という詩の中で、天上の人が人間界に堕ちてきて味のないくらいまで苦い鹹水を呑み、現実の中で苦しみながらも、人々と共に飛騰し天上に帰っていくと述べています。賢治は自分のことを言っているのです。教師という恵まれた地位を捨てた彼は、まずしい農民たちと一緒に暮らそうと願い「羅須地人協会」を作って活動しますが結局命を縮めて死んでしまいます。

  天上性(2)

 中也は「言葉なき歌」の中で、「何か(=あれ)が遠くにあるのだけれど、自分には与えられない。あこがれて見遣ることなくただ待つしかない、そのもどかしさの中で人間は生きている」と述べています。同じことを演劇にしたのがベケットの『ゴドーを待ちながら』です。神をもじった「待ち人ゴドー」は結局やってこないという前衛劇です。人間は何か満たされないものを持ちながら生きていくしかないと言っているのです。中也は信仰を持たなかったものの宗教的な何かをもっていたのは確かです。金子みすずは童謡を書いた人で、悲痛な内容ではありませんが、宗教的な何かを素直に信じているところがあります。「蜂と神さま」では、「蜂はお花の中に」で始まり「神さまは蜂の中に」で終わる、カトリシズムにみられる「神による秩序だった世界」を見せてくれます。「不思議」という詩では、彼女が不思議だと思うことが誰にとっても当たり前だということが不思議でたまらない、と書きます。金子みすずは、幼児がはじめて世界に触れ、感動した時の気持ちをずっと持ち続けた人です。私はこれを天上的と呼んでも間違いではないと思います。賢治は『注文の多い料理店・序』で、「氷砂糖が食べられなくてもきれいに透き通った風を食べ、桃色の美しい朝の日光を飲むことができる」と言っています。つまり人間は現実の中だけで生きているわけではないのです。実際に、社会から与えられることがなくても、世界は本当に美しいものを用意してくれています。「本当に美しいものはただです」と言った人がいます。確かに野の草、青空、雲の美しさにお金を払う人はいません。それらは人が造ったものではありません。「私の書いたものは自分で考えたものではなく自然から預かった、与えられたものだ」、と賢治は言います。彼はオリジナリティー至上主義の近代的な思考には縛られず、全く自由な境地にいます。「岩手山」では、「岩手山が黒く空をえぐって、光の底にきたなくよどんでいる」と書きます。天上的な高みから眺めていたことが分かりますし、岩手富士とも呼ばれる俗見はこわされています。科学用語も駆使されていて、彼の中には科学者と宗教者が両立していたことが見て取れます。

喪失感の強い中也は「北の海」の中で、「海にあるのは歯をむいて空を呪う浪ばかり、魂を養ってくれるもの、人魚など海にはいない」と言っています。「雪が降っている…」では、ただただ雪が降るのを見ているだけです。いつ終わるともわからない。中也は何か無限の情念の中に生きていて、現実とどこかで折り合いをつけるということができないのです。金子みすずは「お魚」の中で、「人に飼われ世話をされる牛や鯉とは違って、海で自力で生きている魚が人に食べられるのはかわいそう」と言い、他の作品では、「陸では大漁のお祝いをしているかもしれないが、海の中ではイワシが弔いをしている」と書いています。人間の世界を絶対視せずあらゆるものを同列にとらえているのです。

対称的世界と非対称的世界という考え方があります。子供の世界は対称的世界であり、自分と他者は同等で、蟻を相手に楽しく話ができます。大人になると非対称的世界に住むようになり、動物は同列ではないので動物を平気で食べます。しかし、日本にはヨーロッパでは考えられない「針供養」や「ふぐ供養」などというものがあり、どこか対称的世界を持ち続けているのです。金子みすずは「鯨供養」の風習のある山口県大津で生まれ育ったこともあり、彼女は対称的な世界を代表して詩を書いたと言えます。また、「昼のお星は眼にみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。」を含む「星とたんぽぽ」でもまさしく見えないものを見るという宗教的な魂の行為をやっています。

9.離別

この3人はほぼ同時代に生き、短い人生が重なっているのですが、「別れること」も共通して多くありました。賢治は、26歳の時最愛の妹トシをなくして「永訣の朝」を書いています。中也は、8歳の時に弟がなくなりますが、さらに悲劇的なのは、京都で同棲していた女優長谷川泰子が上京した時に小林秀雄に奪われたことです。金子みすずは、2歳の時に父を失い、3歳で弟を養子に出され、16歳の時に母親が叔父の後添えになって出ていくという別れを経験します。

賢治の場合は、「青森挽歌」の中で、さっきまで一緒に遊んでいた子供が蛇にしめ殺された、と思えるような状況を描きます。ここでは妹トシは蛙であり、それゆえに蛇に殺されるのですが、明らかに萩原朔太郎の「蛙の死」という作品の影響が見られます。両者に共通するのは「残酷な死」です。それほど妹の死は賢治に衝撃を与えますが、1年以上後に、『銀河鉄道の夜』で、人が死んだらどこに行くのか、を書いてやっとそれを乗り越えたのです。賢治は菩薩像を描いていますが、写真で見るトシと非常に似ています。賢治にとってトシは菩薩だったのです。法華経の信者である賢治は、浄土真宗の熱心な信者であった父親とよくぶつかり、家出までしましたが、唯一彼の味方をしたのがトシでした。

中也は「盲目の秋」の中で最愛の長谷川泰子を失った悔しさを書きます。「無限の前に腕を振る」という表現で無力感を、「曼珠沙華」で不吉さを、「死ぬときには胸を開いてほしい」という言葉に母性を象徴させて歌っています。金子みすずは「お乳の川」のなかで、母と離れた子犬にお乳の川(ミルキーウエイ=天の川)が見えますよ、と慰めます。母と離れたことのある彼女の原体験でもあるのです。「さよなら」の中でも「きょうの私にさよならしましょ」と歌って悲しみや孤独を表現しています。

このように、別れや悲しみは魂を養うきっかけになることは確かであるように思えます。それによって彼らは詩を深いものにして行きました。

10.死

賢治は「眼にて云ふ」で「~ですからな、~ですかな」という語句で、死にかけている自分を第三者として突き放して見ています。ずっと宗教的に自分を追求した結果、自我を消してしまったのでしょう。死ぬことも平気だと言い、最後には、私に見えるのはきれいな青空と透き通った風ばかりです、と言っています。一方で、「胸はいま」では、爬虫類などの科学的知識を駆使して長大な時間を病床で過ごさねばならない苦悩を表します。中也は「骨」という作品で、死んだ後の風化した自分の骨を見ている自分を書いています。「羊の歌」では、エゴを象徴する顎が、死ぬときに小さくなることを願います。エゴを貫いて生きてきた自分が、せめて死ぬときに小さい顎を神に見せて近づきたいと言っています。金子みすずの最後の作品「キリギリスの山登り」では、山に登ったはずなのに今見える白桔梗は昨夜のお宿で、結局登れなかったと記します。そして彼女は自殺してしまいます。みすずは夫の性病をもらって動けなくなり、詩を書くことも禁じられ、子どもも夫に取られるかもしれないという追いつめられた状況にあったのです。

11.希望

賢治は

「さっき火事だと騒ぎましたのは虹でございました

もう一時間もつづいてりんと張って居ります」(「報告」)

という詩を書いています。童話のような世界ですが、これは法華経の「この世が火事で大ごとになっていると思っても、この世は安穏であって天人が常に充満している」という仏の救いを述べた部分の作品化のように読めます。彼はどれほどひどい状況にあっても法華経を信じ、童話を書き、懸命に、一人でも多くの人が安穏に暮らせる世界を希求していたのです。

「人間は虹を作ることはできないけれど虹を指さすことはできる」という言葉があります。これが文学者や芸術家の仕事なのです。人間にとって大切な「魂を養う」ということは、つまりは「虹を指さす」ことだと思います。

 


2022年11月 講演の舞台活花



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