第9回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA大ホール
2022年2月18日

「誠」の思想ー『大学』 『中庸』


 

四天王寺大学 人文社会学部 日本学科 教授

矢羽野 隆男氏

講演要旨

「誠」は日本人の重んじる徳目です。その「誠」を説いた儒教経典が『大学』『中庸』です。『四書』の一部ながら、現在では『論語』『孟子』ほど知られていません。今回は『大学』『中庸』の名言を読み、その影響を受けた人物の言行を紹介します。


今日は中国の有名な古典である『大学』『中庸』の一部を紹介し、それに関係する日本人の言葉、行動において「誠」がどういう風に考えられ実行されたのかをお話したいと思います。

私が勤務しています四天王寺大学は、今年創立100周年を迎えました。また、聖徳太子が亡くなられて1400年(御聖忌)に当たっています。

聖徳太子といいますと「十七条憲法」の第一条「以和為貴」(和を以て貴しと為す)という言葉が知られています。「和」は日本人にとって重要な徳目で、日本の文化全体を象徴する言葉でもあります。日本人が「和」を重んじる事はよく知られていますが、それと同時に今日のテーマの「誠」も日本人の重んじる徳目で、「十七条憲法」にも「誠」が大事と述べられています。

はじめに

第一条の「以和為貴」は有名ですが、第九条に「信是義本」(信は是れ義の本なり)という言葉が出てきます。「信」という言葉は今の「誠実」という言葉に当たります。第一条は「(みなが睦まじく議論が調和すれば)何事か成らざらん」と結ばれていますが、第九条も、「(みなが誠実であれば)何事か成らざらん(何が出来ないことがあろうか)」と、よく似た表現で結ばれています。第一条の「和」と同様に第九条の「信(誠)」が重視されたのがわかります。

「信」(まこと)というのは「誠実」の「誠」とは字が異なるように意味の上でも違いがあります。「誠」は「忠」と「信」という言葉を併せた意味をもちます。「忠」とは「真ん中の心」で「まごころ」です。中国の戦国時代ごろから君主権が強くなり君主に対する「忠義心」という意味あいが強くなっていきました。

いっぽう「信」という言葉は、人偏に「言」と書いて「人の言うこと」の意味で、嘘でないこと、真実なこと、という意味です。「忠」(自己に嘘をつかないこと)と「信」(他者に嘘をつかないこと)と、「誠」はその両者の意味を併せもった言葉になります。「和」も「誠」も日本人が重んじる道徳性で、日本の多くの企業の社訓、社是、校訓などに調和とか誠実とかが使われています。

1 『大学』『中庸』簡介

儒教の経典である『大学』は社会や政治に関する議論で、「治国・平天下」を行うことの前提として倫理道徳が大事だと述べられています。

『大学』の冒頭に「三綱領」と「八条目」が述べられています。まず三つの要点・眼目が述べられている「三綱領」を説明します。

「三綱領」では「明明徳」(自分の心にある立派な徳を明らかにする)、「新民」(他者を治めていい影響を与える)、「止至善」(「明明徳」と「新民」との2つを「至善」理想状態に保つ)ことが述べられます。この「三綱領」をいかに行えば野望ましく実現できるかを具体的に述べているのが「八条目」です。

その「八条目」ですが、「格物」(物の道理をきわめる)、「致知」(知識をきわめる)、「誠意」(嘘、偽りのない意識にする)、「正心」(心を正す)、「修身」(自分の身を修める)。以上の五つのことがらは「三綱領」の「明明徳」に当たります。そして、自身が正しく整ったら他者に影響を及ぼします。「斉家」(自分の家〈大家族〉をうまくまとめる)、「治国」(国を治める)、「平天下」(天下を平らかにする)、これら他者に及ぼす三つのことがらが続きます。以上八つのことがらを行えば「三綱領」が実現できるということが『大学』には書かれています。

次に『中庸』ですが、基本的には倫理と道徳のことがらが記された書物です。「中庸」という極端な事をせず恒常的に続けられる徳、嘘偽りのない「誠」という徳が倫理学的に述べられています。しかし、それだけでなく、その先にある社会・政治にも議論を及ぼしていきます。「中庸」「誠」といった徳を身につけると自然・天道・天地自然にもその影響が及んで調和がもたらされるという、スケールの大きな議論を展開している書物です。

『中庸』の内容を具体的に見ると、骨格になるのが「三達徳」「五達道」「九経」の三つと「誠」です。

「三達徳」の「達」は人間全体に行き届く(通達する)普遍的という意味で、「知」(ものごとを知る認識力)・「仁」(人を思って行動する心)・「勇」(自分に打ち克つ意志力)という三つの普遍的な徳(人間力)を極めていくと、世の中を調和させる事ができると書いています。

そして世界における普遍的な人間関係が理想状態になるように実践するのが「五達道」です。「君臣」(社会組織)・「父子」(親子)・「夫婦」・「昆弟」(兄弟)・「朋友」の五つにおいて「三達徳」をうまく発揮し、さらにその人が人の上に立つリーダーになれば世界が広く治まるのが「九経」です。「経」という字は恒常的という意味で、何時の世にも変わらぬ九つの大切な行為を行うことで天下国家に調和をもたらすと説いています。そしてその根本に「誠」がある。人は誠に努めねばならないというのです。これが『大学』『中庸』の骨格です。

次に『大学』『中庸』の歴史を解説します。儒教経典は五経(『易』『書』『詩』『礼記』『春秋』)とまとめられていますが、『大学』『中庸』はもともと『礼記』の一部でした。『大学』の作者は不明ですが、「曽子」(孔子の高弟)の作と言われ、『中庸』は司馬遷の『史記』に孔子の孫の「子思」の作だと書かれています。

中国の魏晋南北朝から隋・唐にかけて、人間の心のあり方を詳しく説く仏教・道教が流行しました。それに対抗して儒教が着目したのが、社会・国家を重視し精緻な理論をもつ『大学』『中庸』でした。宋代には多くの学者によって『大学』『中庸』の価値は高められ、それを集大成をしたのが朱子学で知られる朱熹(「朱子」はその尊称)でした。

朱子は『論語』『大学』『中庸』『孟子』を儒教の正統(正しい教えの系統・道筋)を伝える重要文献として経典の位置に高めました。そして『大学』『中庸』を重視する朱子学は科挙の科目に取り上げられて朝鮮・ベトナムに広がり、さらに日本にも影響を及ぼしました(日本では科挙は行われませんでした)。

2 『大学』の名言と実践

  「八条目」

『大学』八条目には「明徳(輝かしい徳)を天下(世界)に明らかにしたい者は、まず国を治め、国を治めたい者は、まず家を整え、家を整えたい者は、まずその身を修め、身を修めたい者は、その心を正しくする。心を正しくしたいなら、その意識を誠にし、意識を誠にしたいなら、その知識を極める。知識を推し究めることは、物事の道理に究極まで到達することによる。天子より庶人に至るまで、ひたすらに皆、身を修めることを根本となす」ということが書かれています。

内村鑑三著『代表的日本人』には、『大学』の一節を読んで感銘を受けた人物として「近江聖人」と敬われた滋賀県高島市(旧安曇川町)出身の中江藤樹(16081648)を紹介しています。当地には彼の数多くの逸話を盛り込んだ「藤樹カルタ」が制作され、いまも人々に親しまれ敬愛されています。藤樹先生が身分に関係なく様々な人々に等しく「学問して身を修める・正しい人になる、学んで聖人になる」教えを説いたのは、『大学』の「天子より庶人に至るまで、ひたすらに皆、身を修めることを根本となす」という言葉に強い感動を覚えた体験が根柢にあると思われます。

 次に『大学』の「八条目」の「誠意」に関係して、江戸後期の儒者・教育者である佐藤一斎(17721859)を紹介します。一斎先生は門弟が約三千人といわれ、弟子に佐久間象山(その弟子が吉田松陰)、渡辺崋山など錚錚たる人物がいました。彼の著書に40年間の随想録である『言志四録』があります。西郷隆盛もこれを読み影響を受けました。

その『言志四録』のうち最晩年の『言志耋録』の一節に「誠意(意を誠にすること)は学者にとって一生の学問であり死ぬまで続くものだ」と書かれています。学問に生きた大学者が晩年に「誠意が一生の修養」というのですから「誠」はよほど大事なことです。

「推譲」

これは『大学』の第九章に書かれている言葉で、「他人に譲る」ということの大切さを述べたものです。第九章の内容は、「国を治めるためには、まず家庭内を治めなさい」、すなわち理想的な人格者は外に出ずとも、家庭内の実践を外に推し及ぼすことで教えを国全体に成し遂げる、家族道徳は社会道徳にも繋がっていくと述べています。また『書経』の康誥(こうこう)篇には、「上に立つ者が目下の者を慈しむ心は、ちょうど赤ちゃんを保育する様なもの」と書いている。赤ちゃんが何を求めているか誠(真心)を尽くして考えれば、的外れなことはない、と述べています。これは「心 誠に之を求むれば、中(あた)らずと雖(いえど)も遠からず」という言葉で知られています。そして、後半に大事なこととして、一家が仁(仁愛の徳)にあふれると一国が仁に奮い立ち、一家が譲(譲り合い・助け合い)にあふれると一国が譲に奮い立つ。逆に、人の上に立つ者が貪欲で、人でなしであれば一国が乱れて家庭や国家が悪影響を受けると書いています。

この「推譲」(譲り合い)の教えを重視し実践した人物が「二宮尊徳」(17871856)です。彼は小田原の人で、人名事典などには「農政家」などとありますが、「農業、商業、金融業、経営者等」などいろんな実践能力を備えた人物で、しかも経営哲学を構築した思想家でもありました。皆さんは背中に薪を背負って書物を持って読んでいる彼の少年時の「金次郎」像を見て知っていると思います。金次郎が持って読む書物が『大学』だといわれています。

尊徳さんの推譲の教えの一部を紹介します。彼は村を立て直す方法として、支出を抑え勤勉に働いて蓄積し、余剰が出れば他人に貸したり、将来の自分への投資の為に蓄積したりして運用していくように、と説きました。そんな「推譲」の教えを庶民にもわかるように巧みな比喩でわかりやすく「推譲は人間だけができる優れて尊い行いだ」と説きました。単に経営だけでなく、人の目標とすべき生き方をも含む、経営哲学・処世哲学だと思います。

 『中庸』の名言とその実践 

『中庸』には「中」と「和」との関係が記されています。「中」とは朱子学の哲学でいうと「偏らない真ん中・真直ぐな状態」、物事の道理を見渡して程よく適切なあり方で、今の言葉でいうとニュートラルに当たります。そしてその「中」の状態が動いた時に調和がとれているのが「和」、今の言葉でいうと調和・ハーモニーに当たります。

また「中庸」の「庸」ですが、訓読みでは「つね」と読みます。それは平凡で当たり前で奇抜・奇異がなく、日常・恒久的なことで、今日で言うとコンスタントに当たります。「中」と「庸」は身近な実践道徳で、これら二つは別々のことではなく、「中」だから「庸」だといえます。ものに譬えれば独楽(コマ)と同じで、軸が偏らなければ安定して長く回り続けられるようなものだと考えます。

そして「誠」は「真実無妄」つまり本当でデタラメでないことです。朱子学では「誠」は「天の道理」と「人の道理」がつながるものと考えていますので、「誠」は天地自然の本来の姿、そして天地自然に生を受けて生きている人間も天地自然の「誠」のあり方に従うべきで、この自然の摂理である「誠」の実現を目指すのが人の道だ、と説いています。 

「中」「和」「庸」「誠」とそれぞれ別々の文字・言葉で書かれていますが、実はこれは一つのことで、天地自然の道理の姿・形が「中」「庸」、その道理の中身の内容・あり方が「誠」、朱子の哲学ではこのように説明されています。つまり「中庸」も「誠」も一つのものの異なる両面ということです。 

 では「中庸」の名言を見てみましょう。

        有名な『中庸』第一章の「性」「道」「教」の関係を説く一節です。天が人間に与えた種(人間の本来の性質)が「性」であり、その種である「性」に従って生まれ持った能力を発揮する生き方が人の「道」であり、人の「道」の状況に応じてしっかり歩めるように先人が導き教えたのが「教」であると記しています。教えに従って人の道を踏み行い本来の自己を実現するのが『中庸』の生き方です。

        「戒慎恐懼」(自分の心の中をよく見て戒める)・「慎独」(自分一人が心の中を知っている)この二つの言葉は同じことを指す言葉です。『中庸』第一章に先の「性」「道」「教」に続けて、「自分の心の内をよく省みて戒め慎む・恐れ慎む」ことの大切さを説いています。本文を見てみますと、「人の道はわずかな時間も離れてはならない、離れられるような道は道ではない。理想的な人物は他人から見えない所(自分の心の中)を戒めるし、他人に聞こえないことを恐れ慎む。自分の心は自分がよく知っている。だから君子は独りの心を反省し慎むのだ。」

「慎独」の教えの参考として、「ハインリッヒの法則」(「ヒヤリハットの法則」とも)の話をします。1つの大事故の背景に29個の小さな事故があり、その29個の事故の背後にはヒヤットしたりハットする300件の異常があるという法則です。重大事故は小事故・異常を恐れ慎まず放置した結果。個人の言動もそれと同じで、大きな間違い防止するのが悪の萌芽・芽生えを未然に摘み取る「慎独」の工夫です。

この「慎独」の教えで紹介したいのが「西郷隆盛」(18281877)です。彼は、佐藤一斎の『言志四録』から101条を写して手元に置きました。西郷さんが一斎先生から学んだことが『西郷南州遺訓』に収めた101条からわかります。西郷さんの「敬天愛人」の思想も『中庸』に基づくものと考えます。

 最後に
 『中庸』の大事な思想「誠」について第二十章に記されていますので紹介します。「誠は、天の道なり。之を誠にするは、人の道なり。・・・」意味は、「『誠』は天地自然の道(嘘、偽りのない本来のままの在り方)である。いっぽう、天のあり方を手本にして自分の心を「誠」にしようと努めるのが人の道である。生まれつき誠である人は、まれにいるがそれは聖人であり、一般人(学ぶ者すべて)は善を選んでそれをしっかり保持して「誠」に近づいていく。」

『中庸』に似た言葉が『孟子』(離婁篇上)に見えます。「誠は天の道なり。誠を思うは人の道なり。至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者は有らざるなり。」この言葉は吉田松陰の座右の銘となり、遺志は弟子に引き継がれました。「誠」のもつ力の大きさがわかります。

今日お話しましたように、「誠」のあり方は単に「真面目にする」ということでなく、中国の古典を基礎にした思想・理論があり、かつての日本人もその影響を受け、「誠」とはどういうものと考えて行動してきました。その一端が解ってもらえたかと思います。

 学問は生涯継続されていくものであり、「誠」であるとはどういうものかを考えて行動することが大事で、一斎先生の言うように人生の終わりまで続く行為、生涯をかけて実現していく営みかと思います。熟年大学で学び続ける皆様の学びに少しでもお役に立ったなら有難く思います。

 


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