第5回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA大ホール
2021年10月21日

絵の見方・美術館のまわり方
~浮世絵(春画)から印象派は生まれた~


 

美術評論家・美術ソムリエ
岩佐 倫太郎氏

講演要旨
絵の見方は学校でも習わないので、多くの人は年に何回か話題の展覧会に出かけて自分流に納得している事が多いです。
でも、ちょっとした絵の見方を知れば、スラスラと西洋美術は解ります。
 
 
そのコツを大公開!

講演要旨

 2つのエピソードをお話しして、私の自己紹介とさせて頂きます。私は紛争時代の大学を卒業したのち広告会社に就職、休日はよくヨットに乗って遊んでいました。その経験を生かしてヨットの作詞コンクールに参加、1位を取れました。それが加山雄三さんの目に留まり彼の作曲で「地球をセーリング」という曲名で世に出ることになりました。作詞家になることも考えましたが美術の方を選択しました。

また美術展や博覧会のいろいろなプロデューサーを務めましたが、大阪では「キッズプラザ大阪(子供の博物館)」を手がけました。これはともすると子供に詰め込み教育を急ぐ風潮の中で、好奇心を刺激し、驚きを大事にし、子供の創造性を醸成するというコンセプトを考えたものです。中核になる巨大な遊具空間は、オーストリアのフンデルトヴァッサーというエコ派の建築家に設計を依頼して1997年に完成しました。以来入場者は一千万人に迫っています。これほど人気が続く子供の博物館は他にありません。 

〈この秋・冬に出かけたい二つの美術展〉

一つは1113日~116日開催の大阪市立美術館での「メトロポリタン美術館展・西洋絵画の500年」です。ニューヨークのこの巨大な美術館は古今東西の美術の代表作を網羅していますが、そのうち西洋絵画のルネサンスから印象派までの65点が大阪にやってきます。

それでは展示予定の作品を順番に紹介します。ルネサンスは15世紀に始まります。それまではキリスト教美術の謹直なビザンチン美術で、ルネサンスのように官能性や人間らしさを描くような近代の西洋美術が始まったのは15世紀以降のことです。お目にかけている画像はギリシャ神話の悲劇を描いたティツイアーノの《ヴィーナスとアドニス》。ヴェネツィア・ルネサンスの代表選手で、この作品はルネサンスの基準作とみていいでしょう。

そして1600年から始まるバロック時代の、カラヴァッジオによる《音楽家たち》。この作品は平板で説明的なルネッサンスより遥かに劇画的で陰影の濃い作風です。風俗を描くのもバロックの特徴です。カラヴァッジオはイタリア人で、有名なルーベンスやベラスケス、フェルメールなどあとに続くバロック美術の開祖とされています。次の画像はオランダのフェルメールの《信仰の寓意》で、世界にわずか35枚しかない彼の作品の内の貴重な一点です。18世紀のフランスの宮廷文化を代表するロココ時代の作品としてはブーシェがいます。なめらかで立体的で美しい「ヴィーナスの化粧」(1751)。19世紀後半の印象派からは、市民の日常生活のひとコマを描いたルノワールの《ヒナギクを持つ少女》。官能的で肉感的な傾向は後で述べる日本の春画の影響がみられます。ドガの《踊り子 ピンクと緑》という絵では、当時のパリの風俗やパトロンの姿も描かれています。もはや神や聖像などのキリスト教的なモチーフは姿を消し、ありていな市民の生活を描くようになっています。

このように西洋の500年の美術史を、まずちょうど1500年をルネサンスのピークととらえ、続くバロック、ロココ、印象派をそれぞれ17世紀、18世紀、19世紀の西洋美術の4つの山として図式化して記憶してもらえれば、すっきりして今後の美術鑑賞に役立つと思います。そのためのとてもいい機会です。

もう一つの企画展のおすすめは、来年(2022年)22日から始まる大阪中之島美術館の「開館記念 超コレクション展」です。約40年前(1983年)に芦屋の実業家山本發次郎が持つ佐伯祐三のコレクション600点が大阪市に寄贈され、それを受けて新美術館の構想が生まれ、紆余曲折を経て来年2月、やっと開館の運びとなります。この画像は展示予定の野獣派ドランの《コリウール港の小舟》。思い切りカラフルな色が遊んでいて、ここでは画家は絵の具に、現実の世界を説明させるつもりはないようです。ほかに、人のいないパリの街角を描いたユトリロの作品《グロレーの教会》。彼の孤独で少し精神を病んだ心象風景が描かれています。そして特筆すべきものはモディリアーニの裸婦の作品。時価200億円とも言われます。大阪中之島美術館の目玉中の目玉と言えるでしょう。

またコレクションの核を成す佐伯祐三は、大阪・中津のお寺の次男坊で、東京美術学校に進み画家を目指します。若くして結婚し25歳の時には、妻と幼い娘を連れて渡仏、パリの北にあるオベール・シュル・オワーズに野獣派のヴラマンクを訪ね、教えを乞います。この地は、ゴッホ終焉の地で、ヴラマンクはゴッホに私淑してその土地に住み絵を描いていたのを、佐伯が訪ねたということです。

浮世絵の影響を受けたゴッホ、その影響を受けたヴラマンクそして佐伯祐三、日本の伝統が流れているのがわかります。この画像は、ゴッホが描いたのと容貌がよく似た郵便配達夫が佐伯宅に来た時に、あまりのそっくりに驚いて描いた《郵便配達夫》です。彼の傑作のひとつです。私が一番好きなのは色・形が単純化された「煉瓦焼場」という絵。それら数々の名作が展示されますのでぜひ足を運んでください。

それでは美術館紹介の最後に「222」の法則を紹介します。私が個人的に提唱しているものですが、「美術館には2人以上で出かけ、2周して見る、そして絵葉書を2枚買おう」という意味です。絵を見ながらお互いの見方や発見を交換し合えば絵の見方が幅広くなり深化します。一周だけで終わるとなかなか記憶に残らないので、1周目は予備知識なしに直接絵と対峙して直感的に見る。そして2周目で解説やタイトルも読めば、また違った印象を得ることができる。印象に残った絵の絵葉書を2枚買い、家の目につくところに貼っておいて日常的に接すれば、いい絵の基準が脳に蓄積されていき、絵画鑑賞がだんだん面白くなる、ということです。

 〈浮世絵と印象派〉

浮世絵と印象派の2つは深いところで結びついています。浮世絵があって印象派が生まれたのです。日本が幕末に開国して風景や風俗や美人画の浮世絵が西洋に流入したとき、彼らは大きなカルチャーショックを受けました。北斎の《凱風快晴》、《神奈川沖浪裏》しかり、葛飾応為(北斎の娘)の《吉原格子先之図》しかり。それまでのヨーロッパの伝統的な美術アカデミーでは神話の女神やキリスト教の聖者、歴史上の人物などが絵の主題とされてきました。それが庶民生活などを自由に活写していて、しかも西洋の遠近法などは無視して、描く時の視点が自由自在に移動しているのです。それに表向きカトリックの謹直なフランス社会に、春画も大変なショックを与えました。浮世絵は版画ですから同じものが何枚もできます。20万枚ともいわれる膨大な数の絵がヨーロッパに入ったと言われています。そのうち5万枚は春画だったそうです。最初に心酔し影響を受けたのは印象派の開祖といわれているマネ。《オランピア》のように娼婦を題材にした後世超有名になる絵を描きますが、受け入れられずブーンイグの嵐になります。モネは妻に赤い打掛を着せて「ラ・ジャポネーズ」という日本趣味の絵を描き、ジベルニーの自邸の池には亀戸天神にあるのに似せた太鼓橋を作るほど影響を受けています。オランダ生まれのゴッホは若いころ《ジャガイモを食べる人々》にみられるように暗い色彩の、宗教画めいた絵を描いていましたが、パリへ出て画商のところで1万枚の浮世絵を見て画風が激変します。また広重の《梅屋敷》、《大橋あたけの夕立》を模写しています。北斎の《富嶽三十六景》を見た近代絵画の祖と言われるセザンヌは、故郷のサント・ヴィクトワール山を36枚の連作にしました。

フランスの文化大臣アンドレ・マルローは「印象派が浮世絵を発見したのではない。浮世絵に影響を受けて印象派が生まれたのだ」と言っています。セザンヌがあえて言わなかった「ヨーロッパの美術文化が日本文化に栄養をもらったこと」をマルローは証言したのです。ゴッホの《タンギー爺さん》の背景に模写されているいくつもの浮世絵を見ても、プロテスタントの説教師の息子でありながら浮世絵の示す多神教的な、一木一草にも神を見出すような自然信仰の精神を理解していたと感じます。耳切事件や短銃自殺で、狂人のように思われがちですが、実はゴッホは知性的な読書人で哲学者だったのです。色づかいの面でも、ゴーギャンも同様に現実をリアルに説明する色づかいではなく、画家が思う自由な色を使うことを始めています。これも浮世絵の影響です。この二人は「ポスト印象派」と呼ばれています。それに心酔した画家のヴラマンク、ドラン、マティスたちは現実の色を反映しない派手な絵を描き「野獣派」と呼ばれます。野獣派とは、ある評論家が作品展で3人の激しい色使いを揶揄して、「野獣の檻に入ったみたいだ」、と評したことによります。

大昔に人類が絵を描き始めて以来、宗教画を除けば絵というものは現実を忠実に説明するものであるという考えを、19世紀にいたって画家は頭の中に浮かぶ現実世界を外に表せばいいのだということになり、その流れがピカソらの「キュビスム」(立体派)や抽象画につながっていきます。

さて美術の系譜を逆にたどると、「野獣派」は「ポスト印象派」のゴッホ、ゴーギャンから生まれ、この二人は「印象派」のいいところを取って色を自由に使って生まれた。その「印象派」は「浮世絵」から生まれた。つまり源流が浮世絵だと言えます。西洋美術には脈々と日本の血が流れているのです。意外かもしれませんが、これが現在の美術史の最新の知見です。今後印象派の絵に接するときそのような見方をしていただければと思います。 

〈おわりにあたって〉

自国文化に自信と誇りを持ってほしいと思っています。以前は私が講演すれば、日本の美術が西洋に影響など与えるはずがない、と反論されたこともありましたが、今ようやく浮世絵があったからこそ印象派も花が開いたと、認知してもらえるようになりました。そしてそれが近代の西洋美術の源流となり、ゴッホ、マティス、ピカソまで流れてきているのです。

日本人は明治の開国で西洋に追いつくことを目標にして、ある意味伝統文化を捨てて急速に先進国になるのに成功しましたが、第2次大戦の敗戦を機に、今度はアメリカ文化が流れ込んで、日本の伝統は抑え込まれます。何だか2度も複雑骨折したようになっていて、文化ではすべからく西洋が勝っていると考え、ややもすると自国文化に自虐的になっているところがあります。もしそのような劣等感を感じておられるなら、今日の話を機会にそれを解き放っていただきたいと思います。



2021年10月 講演の舞台活花



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