第3回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA大ホール
平成27年7月16日

今、求められる心




太融寺住職
麻生 弘道 師

 

講演要旨

毎日のように10代の青少年に関係した事件が報道されています。「切れる」、「むかつく」、「腹が立つ」、些細な理由で凶行に及ぶ子供たち。心の教育の重要性が言われて久しい現在、真に必要な「今、求められる心」についてお話します。
 

“あ”と“うん”の間に生きて
 只今ご紹介に預かりました太融寺の麻生でございます。今日は台風接近ということで非常に天候が悪い中、お集まりいただきまして誠に有難うございます。
 今年は高野山が開創されてちょうど1200年目に当たります。今年の4月2日から5月の21日まで50日間、開闢の法要が続きました。私もこの企画に10年ほど前から参画しております。大勢の方にお参りいただきまして、はっきりとした数字は出ておりませんが、50万以上の方にお参りいただきました。

 私が初めて高野山へ上りましたのは、中学生の時でした。私は東京の生まれで、師僧に連れられて、東京から夜行列車に乗り、大阪の難波から南海線に乗りました。橋本を過ぎますと九度山とか学問路とか、何かこう珍しい名前の駅を通って行ったことを非常に鮮明に覚えております。そして極楽橋でケーブルに乗り換え、山へ登って参りました。最初に連れて行かれたところは、あの大門の前で、その両脇には大きな仁王様がいらっしゃいました。師僧はその時こういう説明をしてくれました。
 「ここは高野山の総門、右側の仁王さんは口を“あ”と開いている。これは“阿形”の仁王、そして左側の仁王さんは口を“ん”と結んでいる。これは“吽形”の仁王と言う」師僧の説明は、中学生の私には非常に印象的でした。
 「右側の仁王さんは口を開いている。これはあいうえおの“あ”で、物事の始まりなんだ。子供が生まれる時にはおぎゃーおぎゃー、口を開いて“あ”の発音で生まれてくる。左側の仁王さんは口を“ん”と結んでいる、あいうえおの一番終わりは“ん”で、物事の終わりを表す。亡くなった時には口を“ん”と結んでいるんだ」と。
 右側の仁王さんは「生」で、左側の仁王さんは「死」ですから、阿形と吽形の間、これが人生なんだというのです。
 自分はもう吽形の仁王に近づいている、あなたはまだ中学生で阿形からまだ出たばっかりで残りの人生はまだこれだけあるんだ。でも限られた人生だと、この限られた人生をいかに有意義に過ごすかが仏様の教えなのだ、と師僧に教えられたのです。

「戴きます」・・・その4つの意味
 大阪には、昭和42年に参りました。
 大阪は商人の町で、商業都市でございます。100年以上続いた大きな老舗が沢山ございます。私は、いろんな方に商売の話も聞かせていただいたなかで、一番印象に残っておりますのは、今は全国チェーンを持っている3代目の方のお話です
 。3代前の創業の方が初めて大阪で商売を始め、小さな店でしたが、金庫だけは非常に大きな金庫を用意したそうです。1日の売り上げを金庫にしまう時に、「大阪にたくさんお店があるのに、ようこそ当店に来てくださいました。店は粗末でございますが寝床だけはたっぷり広々としたものを用意しております。どうぞお体をゆっくり伸ばしてお休みください」と言い、しわくちゃなお札はコテで綺麗に伸ばして金庫へしまったそうです。そして今日の財を成した。
 私はこの話が非常に好きです。どんな立派なお召し物を着ていても、どんな立派なおうちに住んでいても、心の金庫が小さかったら、善心、良い心というものは入ってこない。心の金庫を大きく持つことは、何事に対しても有難いという感謝の気持ちではないかと思います。
 今の時代、日本はあまりにも物質文明が発達しましたが、心の文化、精神文化が遅れてしまいました。そのアンバランスが今の社会に表れているのです。親が子供を殺し、子供が親を殺す、学校ではいじめがはやる。私は今いろんな仕事をしていますが、もう25年の間、教誨師という仕事をしています。これは刑務所で、受刑者にいろいろお話をする仕事です。
 今全国の刑務所はほとんど満杯です。なかなか犯罪が減らない。昔は良いこと、悪いことがはっきりしていましたが、今は、良いこと、悪い事の自覚がない。これが一番困ったことです。そういう教育を家庭でもしない、学校でもしなくなってしまいました。
 給食の時間に手を合わせて“いただきます”と言って食事をするのが普通でございましょう。15、16年前、関東地方の学校でそういう話をいたしました。
 普通の親ならば、そういうしつけをしてもらってうれしいと思うのが常ではないかと思うのです。ところが、ひとりの親御さんは違いました。
 「うちの子供は公立の学校へ通っているのだ。公立の学校で戴きますというのは、これは宗教行事と違うか」
 ということで職員会議が開かれ、結果的に先生方の多数決で、宗教行事だからやめようということになりました。合図がなかったら子供たちが食事をする始まりがございません。そこで先生は、笛を持ってきましてピーと吹く。その笛に合わせて食事をしているということが新聞に出ておりました。
 その時私は「なぜ私たちは食事の前に戴きますと手を合わせるのか」ということを考えました。仏教的な考えでいきますと、私は4つの意味があるのではないかと思います。先ず一番目に、食材が育つには天地自然の恵みが必要でございます。温度も必要、太陽の光も必要、水も必要、空気も必要、そういうものによって食材は育ってまいります。ですから天地自然の恵みに対して感謝して「戴きます」。
 二番目は、食物を作る人あるいは育てる人、お百姓さんにしても漁師さんにしても、いろいろな苦労をしています。その食物を作ってくれた人あるいはお料理をしてくれた人、その方の労力に対して「戴きます」。
 三つ目は食材すべてに命がございます。たとえばお米にいたしましても、今年獲れたお米は、これは去年のモミをとっておいて、種として撒いたものでございます。去年のお米はその前の年の種でございます。こうしてみますと、私たちの食べているあのお米、小さなお米一粒の中には、何百年というお米の命が流れているわけであります。お魚も、野菜もそうで、全てのものの命を頂戴しています。ですからその命に対して「戴きます」。
 四番目はやはり経済的な裏付けがあるからこそ、戴いているのでしょう。学校の給食に誰かみな払ってくださっている。親が払ってくれているでしょう。そういう経済的な裏付けをしてくれた人々に対して「戴きます」。
 私たちの生活は、空気、光、水から始まって、すべての食物を戴きっぱなしの人生なんです。私たちは日常生活の中で時々済みませんという言葉を使います。
 「済みません」というのは、まだお礼が済んでないという意味です。今済みませんけどいずれは何かしましょうという意味だと思います。
 済みません、済みませんで一生終わったら、まことに相済まない。私たちも何かお返しを、私たちができる何かをしていかなくてはいけません。これが今日の演題の“布施の心”なのです。

報いを求めない布施の心
 
布施というのは、人様に物を差し上げることです。皆様方は、上に“お”の字をつけて“お布施”と書きますが、それは、お寺さんがお経をあげた代償としてあげるものだと思っています。でも布施というのは、人様に物を差し上げてその報いを求めない、その心が布施の心なんです。
 普通、人様に物を差し上げる時には、お礼の意味で上げる場合、あるいは今こうしておいたらあとで何かしてくれるかな、というような気持ちがあります。そうではない。与えて、与えっぱなしです。その布施という言葉のところに、ローマ字でダーナと書いてあります。ダーナというのは漢字で書きますと旦那(だんな)と書く。ダーナ、施しをする人のことを旦那と言ったのです。その旦那、ダーナという言葉は、施しをするということなのであります。
 人様に物を施すけれどもその報いを求めない、それが布施の心だというのですけれども、これはなかなか説明しにくい。私は師僧に、この布施の話をするにはどのようにお話をしたらいいかと尋ねました。
 私の今おります太融寺は梅田の駅のすぐそばにありますが、梅田界隈も昔はまだ地道でした。雨上がりの道を大八車で、中年の男の人が沢山の荷物を運んでいました。雨上がりなので、ぬかるみに車が入り、出ることも、戻ることもできなくなった。それを見た通りがかりの若者が、後ろから押してあげたのです。力を合わせてやっとの思いで硬い所まで出て来ました。そして一言お礼を言おうと後ろを振り向いたら、今押した若者は向こうへすたすたと行くところでした。その後ろ姿に手を合わせてお辞儀をしたと、師僧は話しておりました。
 すなわち、この車を押して押しっぱなしの心が、これが布施の心だというのです。普通は、今押したのは私でございます。一言お礼を言ってもらいたいという心があるかもしれない。そうではない。人様に施しをして、その施しを求めないのが布施の心なのです。
 布施には、衣食などの物があったら、それを人に施す財施。法を施すことを法施、それから怖れを取り除いてあげる無畏施があります。電車の中でも隣に怖いおじちゃんが座ったらなんか怖いです。やさしい人が座ってくれたらなぜか心が落ち着きます。このやさしい心、やさしい感じの人、やさしさを施す事、これが無畏施です。この三つが施しの三施でございます。
 施しをする人は施主で、施しを受ける相は愛者です。それから施しをする品物は施物です。この三つが綺麗であって初めて布施は成立します。あれだけしてあげたのに、これだけのお礼だったのかとか、あるいはこれだけしてあげるのはちょっともったいないなとか、そういう気持ちが働いたならば、これは本当の布施ではありません。

布施をいただく愛者の心
 得関西の方では8月からお盆が始まりますと、宗旨によって違うのですが、棚経と言うのがあります。棚経と言うのは、普段のお仏壇とは別に縁先に精霊棚という棚を作ってそこへご先祖様を祭ったものです。
 お寺さんは草鞋を履いたまま庭先から入ってきまして、縁のところにある精霊棚を拝んで次のおうちへ行きました。棚を拝むから棚経と言うんです。ですからこのお経は非常に簡単なものです。
 新聞の「声の蘭」でこんな記事が出ておりました。
 お盆にお寺さんがやって来てお経が始まりました。台所へ行ってお茶を用意して帰ってきたら、もうお経は終わっていました。その間3分50秒でした。3分50秒で、その当時、3000円のお布施をしたのです。私は今パートに行っています。パートでもって1時間幾らもらっているか、それなのにお寺さんは3分か5分でもって3000円、あまりにも隔たりの大きさに愕然としましたと。
 これは布施の意味がわかっていない。先に言いましたように、布施と言うのは人様に物を与えての代償とは違うのです、報いを求めないのですから。私の子供の頃は戦争中で、甘いものが非常に不足していましたが、お寺にはお供え物がございます。在家の子供がお寺へ遊びに来た時に母親がお饅頭を出した。
 「お前のとこはお寺でいいな、なんでももらえて」と言うのです。その話を師匠にしましたら、「もらう喜びもあるけれども、与える喜びもあるんだ。これが布施の基本だ」とお話しされました。
 私はその時に、どう考えても、もらう喜びの方が大きいのじゃないかと思いました。でも師匠はそうじゃあない、与える喜びも大きいのだ、と言われた。
 大阪に参りましてから、時々東京の母のところへ半年に一辺くらい参りますと、非常に喜んで「よく来てくれたねえ。お母さん嬉しいよ」と言って、帰りがけに必ずポチ袋にお金を入れて「これ持ってお帰り」と言うんです。
 私はもう一人前になっていますから、「もう結構です」と言ってお金を戴かなかった。母親は小さな声で、「貰ってもらわないと、お母さん寂しいよ」と言って涙を流しました。何時も私は布施の話をする時に、母親のことを思い出します。布施は差し上げるもの、そしてそれを快く受け取らなければいけません。なぜならそれが受者の心得であるからです。施しをする相手、施しを受ける方も皆清い心でもってしなくてはならない、これが三施と三輪清浄です。
 経典を読みますと、布施の話が沢山出て参ります。お釈迦様の大勢いるお弟子さんの一人が、
 「お釈迦様は布施をせよ、布施をせよと言われるけれど、自分は人様に差し上げる知恵もない、力もない、こういう自分は人様に何を施したらよろしいのですか」と尋ねました。
 ところが、何にもないという人でも施すものがあると御釈迦様は答えています。しかも人様に上げるものが七種類もあるというのです。これが有名な無財の七施と言われるものです。

「無財の七施」の教え
 
最初は眼施、これはやさしい眼の施しでございます。 “眼は口ほどに物を言う”。同じ眼でも悲しい眼もあればうれしい眼もあります。同じ眼ならそのやさしい眼を差し上げたらどうですか。私自身も極力やさしいまなざしで皆を見ようと思っているんですけれども、これは自分でどういう眼をしているかわからない。
 お見合い写真というのを昔はよく撮りました。私の知人の写真屋は、うちで見合い写真を撮った人は一発で決まるんだと、こうよく自慢していました。で私はその時に、写真のポイントはどこにあるかと尋ねると、眼にあると言うんです。
 「お嬢ちゃん、今までで一番楽しかったことを思い出してください」
 カメラのシャッターを切る前にこう言うそうです。そして、お嬢ちゃんが頭の中で楽しい思い出を描いたその瞬間に自分はシャッターを切る。そうすると出来上がった写真は、本当に美しいお嬢ちゃんに撮れるんだというお話をしてくれました。
 先ほど言いましたように、私は教誨師をしております。教誨師というのは、強制的にするのではなくて、受刑者の方からこういうお話を聞きたいという願いを、先ず所長に出します。その所長が、適当な教誨師さんを紹介し、呼ばれていくわけです。
 ある時、私に電話がかかって来て、大阪拘置所で死刑囚とお話しすることになりました。長い廊下を歩き独房に入ると、看守が「先生、どうぞ。ドア開けときましょうか」と言うので、「いやどうぞ閉めてください」と答えて、二人きりになりました。
 死刑囚は畳の上に座って私を待っていました。第一印象としては、おとなしい人だなと思っていましたが、眼が合った時には、非常に厳しい眼で私を見ていました。その眼でもって私はすっかり上がってしまいました。15分間いろんなお話をししましたが、出てきた時にはもう汗びっしょりでした。
 初めて鋭い眼、厳しい眼というものに私は会いました。私はその時以来、あ、ひょっとしたら自分もそういう眼でもって人を見ている時があるんじゃないか、ということを感じました。人様にはやさしい眼を施す、これが眼施ということです。

 二つ目は和顔悦色施でございます。これは和やかな顔とほほえみの施しと書いてあります。同じ顔ならばやさしい顔を人様に差し上げたらどうか、やさしい顔だけじゃでなくて、顔には色があります。喜びの色があります。悲しみの色があります。また怒っている時の色があります。昔から顔面蒼白とか紅顔の美少年とか、やっぱり顔の色でもってその人の表情を表す。この色というのは、お化粧屋さん、化粧品店で売っている色とは違うんです。心の中から出てくる色でございます。やさしい顔、そしてやさしい顔色で人様に接すること、これが和顔悦色施でございます。
 三番目は言葉の施しです。有難うございますとか、ご苦労様とか、おはようございます、みなこれ言葉の施しでございます。自分が言っているからといって、相手が言わないと怒ったならばこれは布施じゃないです。見返りを求めているわけですから。ひとつの言葉はそれぞれにひとつの心を持っている。言葉ひとつにはみなその心がある。ですから私たちの生活の中で、やさしい眼で、やさしい顔で、やさしい言葉を人様に施す。自分がおはようございますと言っている、有難うございますと言っている、相手がそれに応えないからといって腹を立てたら、これは施しじゃあないんです。やさしい言葉、これが言辞施でございます。
 それから四番目は、身施、これは体の施しということで、いろいろな考え方がありますけれども、私は礼儀正しい態度の施しと解釈しております。この頃は礼儀作法というものもだんだんなくなって参りました。でも昔からの歌にありますように、実るほど頭を垂れる稲穂かな、であります。人間が出来上がってくれば出来上がってくるほど、やっぱり頭は低くいわゆる謙虚な気持ちになることです。身施とは礼儀正しい態度の施しでなないかと思います。

戴きっぱなしの生活、貰いっぱなしの生活
 五番目の心施、これは心の施しです。施しの心はすべてが心なんですが、この頃の世の中はすべてマニュアル時代になってしまいました。そのことで先日も笑えるようなことが新聞に載っていました。
 ある上司の方が13人の部下のおやつにハンバーガー屋さんに行って、ハンバーガーを13個買ったんです。そしたらまあレジのお嬢ちゃんが最後に「お召し上がりですか、お持ち帰りですか」と言ったというんです。13個なんか食べられる筈がないだろう。持って帰るに決まっている。けれどもこれがマニュアルですから止まらない。途中では変えられない。お経と一緒なんです。始まったら終わりまで行かなくちゃならない。ということでこの頃マニュアル時代になってしまって、心が薄れたということが新聞に載っていました。
 私が九州に講演に行った時、たまたま友人に会いまして、食事を一緒にしたときに、大阪の新聞に載ったハンバーガーのお店の話をしました。どこへ行ってもマニュアルで心がないなあと話しましたら、その友人は「麻生先生、そんなことないよ。心のある人は大勢いますよ」と言って、こんな事例を話しました。
 彼の友人がデズニィーランドへご夫婦で遊びに行きました。九州から一番の飛行機でデズニィーランドに行って、いろんな乗り物に乗って、遅めのお昼をとレストランに入りました。
 メニューを見ますと、お子様ランチは6歳以下のお子様に限りますと書いてある。にもかかわらずそのご夫婦は、お子様ランチ2つを注文したんです。ウエイトレスが、「どうしてお子様ランチを注文されたんですか」と聞いたところ、その夫婦はこう答えたそうです。
 「いや実は、私たちには今年小学1年になる男の子がいた。去年、幼稚園を卒園して小学校へ入る春休みにデズニィーランドへ行こうと約束していた。ところがお正月に交通事故で亡くなってしまった。49日が終わって今子供の写真を持って、約束通りデズニィーランドへやって来た。子供が一緒ならおそらくこの乗り物に乗ったろうといって、子供の好きそうな乗り物に乗り、レストランに入った。おそらく子供がいたらお子様ランチを注文しただろう」と。
 ウエイトレスは、「少々お待ちください」と言って奥に入って行って、上司と相談したのでしょう、出て来まして、「承知しました。お子様ランチをご用意いたしましょう」と言って、用意してくれた。その夫婦は非常に感激して帰ってきて友人にその話をしたそうです。
 私も、この友人の話を聞いて、このウエイトレスの対応に非常に感銘を覚えました。マニュアル通りでなくっても、そこに何かひとつ温かい心があればいい。これが正に心施であります。

 六番目は、床座施です。これは自分の座席を他人に譲る施しでございます。戦前は割合とお年寄りに席を譲ったものですけど、電鉄会社でもバス会社でも優先座席を作ったり、シルバーシートを作ったりして、みんなに呼びかけをしておりますけれど、なかなか徹底しない。昔は喜んで、自分の座席を人に譲った。これは座席だけではなくて他のことでもやっぱりあると思います。
 たとえば意見が違う場合、両方が自分の意見を通そうと思ったら、いつまでたっても前に進まない。どちらかがやっぱり譲らないといけないと思います。一歩下がって譲るということ、これも大切なことではないかと思います。
 七番目は最後になりますが、房舎施でございます。房舎施というのは、人に宿を提供することなんです。民話では、よく村のおうちを訪ねて「どうか今晩一晩泊めてください」とお願いします。快く泊めてくれたら、あとでその家に果報がやって来ます。意地悪したうちには後で良いことは来なかった、というお話があります。
 あの民話はひっくり返して裏から見れば、旅人には親切にしなさいという教えではないかなと思うのです。ところが最近はですね、房舎施なんかできない、知らない人におうちなんか提供できません。ですから私は現代の房舎施は、気持ちよいお部屋を提供してお客様をお迎えするのが現代の房舎施ではないかと思っております。

 狭山には、有名な狭山池がございます。この池はご存知のように行基菩薩さんが造った池です。奈良時代に行基というお坊さんはいろんな社会事業を沢山しました。堤防を造ったり、ため池を造ったり、橋をかけたり、人心のためにたくさん尽くしたものですから、もう人ではない、菩薩様みたいな人だということで行基菩薩とみんな呼んでいます。
 彼は摂津の国を中心とした五街道の入口にそれぞれ布施屋を作りました。いわゆる無銭宿泊所です。旅人におうちを提供してあげる、どうぞご自由に泊ってください、これが布施屋です。
 近鉄電車に乗りますと、布施という駅がございます。今東大阪市になってしまいましたが、布施という電車の駅名だけは残りました。この行基菩薩さんは、また東大寺の建立にも非常に骨を折った方です。今でも奈良の近鉄の駅を降りますとバスターミナルがあり、そこに噴水があります。その噴水の中に行基菩薩さんが東大寺さんの方を向いて立っています。そこにいろいろいわれが書いてあります。行基菩薩さんは東大寺の大仏殿を造るのにたいそう骨を折った、また社会的にも近畿一円に沢山のため池を造り、社会事業を沢山なさった方だ、と言うようなことが書いてあります。皆様方のすぐそばに行基菩薩さんのゆかりの池がある、それと布施屋さん、布施屋ということと一緒に覚えて頂いたら結構かと思います。
 もう一遍繰り返します。私たちの生活の中で、生活は戴きっぱなしの生活、貰いっぱなしの生活なんです。だから人様に何かお返しをしなくてはならない。自分がなんにもない人でもお返しするものがある。やさしいまなざし、それからにこやかな顔とほほえみの顔、暖かい言葉、礼儀正しい態度、慈愛のこもった心の施し、自分の座席を他人に譲る施し、自分の住居を多くの人に開放する。こういうことはする気になったらいつでもできるのではないかということ、これが無財の七施でございます。

真似をしているうちに本物になる
 京都の小学校4年生が書いた作文、これが非常に印象的だったのでよく覚えています。「私のうちは悪人ばかりです」という題なんです。どういう風に書いてあるかというと、こないだの縁日に、お父さん、お母さん、兄弟とみんなで縁日に行きました。その時に私は金魚が欲しくなったので、金魚を買ってもらいました。お父さんに買ってもらって、家に帰ってきて、金魚鉢にいれて、たまたまお兄ちゃんがその金魚鉢を蹴っ飛ばしました。そしたら、お兄ちゃんは蹴っ飛ばして僕が悪かった、そしたらお母さんが、いやいやそこへ置いた私が悪かった。お父さんがいやいや買った私が悪かった。それで題は私のうちは悪人ばかりです。ほほえましい家庭ではないかと思います。これがひとつ間違ったら喧嘩でございます。
 ものは言いようで角が立つと言いますけれど、言葉ひとつでもって家の中が丸くなり、また明るくもなります。ところがなかなかねえ、おうちの中で奥様に対して、有難うございますとかご苦労様と言いにくいですね。でも最後に息を引き取る時、有難うという時間はありません。ですから今日お帰りになったら早速、お互いに有難うという言葉を言って戴きたい。
 私たちの生活は、最初に申し上げましたように、戴きっぱなしの人生なのだから、本当にお返しをしていかなくてはいけない。でもそんな大きなこと、たいそうなことを思わなくて結構です。この無財の七施をお互いに少しずつして頂いたら結構かと思います。
 昔こんなお話し聞いたことがあると思います。ある村に、非常に親孝行の息子さんがいました。城下町に住んでいて、お殿様の行列を親が一回見たいというので、そのお殿様の行列が来るのを待って、体の不自由な親を背負って行列を見に行った。するとお殿様がその姿を目にとめて、御付きの者に尋ね、親孝行の息子だとわかったので沢山のご褒美を与えた。
 その話が隣村の親不孝の息子の耳に入り、嫌がる親を無理やりつれて橋のたもとで殿様の行列を待った。結果、この男もお殿様の目にとまって沢山のご褒美を戴いた。御付きの者が、「あれは村一番の親不孝者ですよ、なぜご褒美を上げるのですか」と尋ねると、お殿様は「いや親孝行は真似でもいい。真似をしているうちに本物になる」こう話したと言います。
 私があそこへ何々の布施をしてあげた、あそこへ寄進をしてあげたと言っているうちは、本当の布施ではないんです。本物の布施は、したらもうわからなくなる。これが本当の布施ではないか。そういう意味でこれから機会があるごとに、その布施の実行をしていただきたい。
 私達は、寝る時には先ず寝たふりをします。寝ているうちに本物になっていく。ですから布施も初めは真似事でも結構と思います。そのうちに本物になっていくのではないかと思います。私たちの生活は、何べんも言いますが、戴きっぱなしの人生です。何か人様にお返しをしていくということ、できるところから少しずつしていくと世の中がもっともっとよくなるのじゃあないかと思っています。




平成27年7月 講演の舞台活花



活花は季節に合わせて舞台を飾っています。


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