第6回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA大ホール
平成26年11月20日

 「ロシアの政治情勢と日本」
〜「東」を向く隣の大国〜




朝日新聞 元モスクワ支局長
副島 英樹 氏

 

講演要旨

欧州とつながりが深い隣国ロシアが今、[東] のアジア太平洋地域に軸足を移そうとしてい る。日ロ関係の促進は領土問題解決の呼び水になるのか。通算7年のモスクワ特派員時代に感じたことを元に語る。
 

1 はじめに
 みなさん、こんにちは。朝日新聞の副島と申します。
 先程ご紹介していただいたように都合8年間モスクワで勤務しました。モスクワに住んでいる日本人は1600人ぐらいで、数としては少ないのですが、空前の日本食ブームがありまして、日本に対して良い印象を持ってくれている国であります。今日はそういうことも含めてロシアで体験したこと、生活実感などをお話できればと思います。

2 ロシアの動向は無視できない
 今日来ていただいている方の中には戦争世代の方もいらっしゃると思います。第2次世界大戦の厳しい体験、日本人が何万人も命を落としたシベリア抑留、今も日ロ関係の中で喉元のトゲといわれている北方領土問題などがあって、ロシアのイメージをかなりマイナスに感じておられる方が多いと思います。
 今日はそういう先入観をリセットしていただいて、今世界で起きていることにロシアが大きく関わっていて、日本のこれからの国際政治のやり方、進め方は、ロシアという大国の動向を無視してはなかなか決められないという話をしていければと思います。

3 司馬遼太郎さんの慧眼
 さて、今年2月にロシア南部のソチで冬のオリンピックが開催され、開会式で五輪のマークの一つが開かなかったことで話題になりましたが、実はこの平和の祭典であるオリンピックの時期にロシアとウクライナという国が紛争に至るという危機的状況が進んでいました。時代が少し昔に戻りますが、大阪といえば司馬遼太郎さんですよね。その司馬さんが30年近く前の1986年に「ロシアについて〜北方の原形」という単行本を出されていて、最近読んでみてすごく驚きました。90年代から2000年代にかけて8年間モスクワ、そして旧ソ連の国々を取材してきたのですが、その本には今ロシアと周辺国で起きていることが予言する形で書かれていたからです。黙示録のようなこの本には、ロシアは異様な大きさの翼を東に広げているが、シベリア大陸の国土を維持していく上でいろいろ苦労する。そういう形でロシアという国の構造が規定されていく、といったことが書かれています。少し中身を紹介しますと、ロシアは外敵を異様に恐れるだけでなく、病的な外国への猜疑心、そして潜在的な征服欲、また火器への異常信仰、それらすべてがキプチャック汗国の支配と被支配の文化遺伝だと思えなくはないのです、と書かれています。キプチャック汗国は、13世紀に騎馬民族のモンゴル帝国(元)が全世界を征服していくなかで、そこに住んでいる今のロシア人の先祖を支配していろんな徴税を掛けて貢がせていきます。司馬さんが、汗国を取り上げた理由は、ヨーロッパとは違うモンゴル帝国に200年ほど支配されたことで、ヨーロッパと文化的なつながりが遮断され、それが今に至るロシアという国の性格を規定しているんじゃないか、と書かれている。司馬さんは「坂の上の雲」、江戸時代の日ロ交渉に携わった人をモデルにした「菜の花の沖」という小説を書いていく中でロシアという国についてずっと考えてきた。その慧眼のすごさを知っていただきたいと思いご紹介しました。

4 プーチンはなぜ世界の破壊人といわれるようになったのか
 今日のテーマは、ロシアという国が東に向けてどんどん軸足を移していることの理由を説明することですが、その前に西側で何が起きているか、目を向ける必要があります。4月に発行されたニューズウイークの日本版の表紙が面白いですね。「世界秩序の破壊人 プーチン大帝」と書かれていまして、世界を揺るがすクリミア奪取、欧米と敵対する暴君の本当の危険度とものものしいですが、ウクライナやクリミア半島で今年いろんな紛争が起こり、アメリカとヨーロッパはロシアに対し経済制裁を課すようになりました。ロシアのプーチン大統領の行動が世界秩序を破壊しているように見えるということを、この表紙はうまく表現しています。そこでプーチンがなぜ世界の破壊人といわれるような行動をとるようになったのか考えていきたいと思います。
 まず、ウクライナがロシアの西端、ヨーロッパとの間にあること。EUに加盟を求めていること。東のプーチンと西のヨーロッパの両方が綱引きしているのですが、その結果が今起きている不穏な情勢というわけです。ヤヌコビッチというウクライナの大統領が、親ヨーロッパ勢力から追い出されてウクライナ危機が発生しますが、これは広く見ればNATO(北大西洋条約機構)とロシアが2つに分かれて対立しているからです。歴史を振り返ると、1989年の冷戦終結後アメリカが全世界を一極支配する状況がありましたが、ロシアも次第に経済面での力を取り戻して世界に対して物申すようになった。ところが西側のNATO、つまり軍事機構だけが残って、しかも旧ロシアの裏庭といわれているところに勢力を拡大してきている。ロシアは東西冷戦の頃より自分の配下だった東ヨーロッパや中央アジアを失っている。それにプーチンは反発してウクライナ危機が起きているのです。
 プーチンは毎年秋に世界のロシア専門家やジャーナリストを100人ほど集めて国際会議を開きますが、日本からも3人ほどが参加したこの会議でプーチンが話したことがけっこう重要でした。「冷戦は終結しましたが、それがもたらしたのは平和の締結ではなく、また既存のルールや基準を遵守する、あるいは新たなルールや基準を設置するという明瞭で透明性のある合意ではありませんでした。冷戦の勝者が全世界を自分の都合のいいように、自分の利益に叶うように根本から変えようとした印象があります」。プーチンの頭にあるのはアメリカのことです。冷戦後、資本主義が社会主義に勝ったといわれ、東欧の国はソ連のくびきから逃れ民主主義の国に移行しようとして大きな運動が起きました。15の共和国から成っていたソ連はその2年後の1991年に消滅します。そのあと世界を動かしてきたアメリカは自分たちの利益を最大限重視して世界を牛耳ってきたとプーチンは述べているわけです。プーチンがいまやろうとしていることはアメリカの好きなようにはさせないということです。
 プーチンは一時期、腹心の部下に4年間だけ大統領をやらせましたが、2000年に登場して14年間事実上の最大の権力者としてロシアを牽引しています。私が最初にモスクワ支局員として赴任した1999年当時、彼は連邦保安局の長官で、日本でいうと公安調査庁の長官みたいな部署でして、日本にもスパイを送り込んでいる秘密警察KGBの後継機関です。ところが私もそうでしたが、ロシア国民もプーチンが何者かほとんど知らなかった。当時の大統領はよっぱらいで有名なエリツィンで、1990年代はソ連が崩壊して10年経っていませんから経済的には超インフレ、イスラム教のチェチェンの独立運動や今のイスラム国のようなイスラム過激派、アルカイダの国際テロ組織との戦争とかがあって、まさにどん底の時代でした。
 このような情勢下でエリツィンは突然プーチンを自分の後継者に指名します。私たちもロシアのメディアも「フー・イズ・プーチン」でした。朝日の過去記事をデータベースで調べてみると、わずか一件しかなく、しかも名前の表記が「プチン」でした。まさかこの人が大統領の後継者になるとは想定していなかったのですが、本当に大統領になりそうになったので、新聞にお断りを出して原語の読みに近い「プーチン」に表記を変えました。それでも彼が14年も最高権力者で居続けるとは全く想像していませんでした。そして先程の雑誌のイメージの人物になってしまったのですが、プーチンは大統領になると今対立しているNATOへの加盟を検討、模索しました。2010年頃にNATOのロバートソン元事務総長から聞いた話ですが、大統領に就任したプーチンはNATO加盟の意思を伝えたようで、ロバートソンは先に審査する国がいっぱいあるので順番を待ってくださいと答えたそうです。旧ソ連に抑圧されてきたポーランドやチェコといった東欧の国がロシアのくびきから逃れるためにNATO入りを希望していたからです。これにプーチンはカチンときてキレました。話は少し戻りますが、あの2001年に起こったアメリカ攻撃、ニューヨーク同時多発テロによりブッシュ大統領はロシア批判をやめます。それまでアメリカはロシアの対テロ戦争を人権弾圧として批判していたのですが、ロシアが言っているように国際テロとの戦いは重要だということで2人は仲良く話をして、プーチンは国際テロとの戦いをアメリカと一緒にやっていく、なんでもやるから言ってくれと伝えます。しかし、その返答は、NATOがどんどん東側に拡大してロシアに迫るNATOの東方拡大でした。もう一つ、ABM制限条約という、飛んできた核ミサイルを打ち落とす迎撃ミサイルを制限する米ソの条約がありましたが、アメリカは一方的に条約から脱退するということが起きました。冷戦時代、アメリカもソ連も、最大の力の源泉は相手国に届く核ミサイルであり、歯止めのない軍拡競争で軍事費が国の予算を圧迫していました。そうした中、核ミサイルを矛、それを迎え撃つ迎撃ミサイルを盾とすると、盾をなくせば双方とも矛で攻撃しにくくなる、すなわち核戦争のリスクは減るとの論理で、アメリカとソ連は盾を持たないことにしていたのですが、2000年代になって圧倒的に優秀な軍事技術を持つアメリカは、ブッシュ大統領が盾を持つと言い出し、ロシアは反対しますが、条約から脱退するのです。同時にその頃から、昔のソ連の国であったウクライナやグルジアが親欧米の政権に変わっていく。ロシアは焦り、それが高じて今日のウクライナ危機に至っているというのがこの間の大きな流れです。地図で見ると、ウクライナとグルジアは東側と西側の中間にあります。グルジアの大統領が10月に来日し、安倍首相と会談しましたが、その時大統領が日本に国名の読み方の変更を要請しました。グルジアはロシア語の読み方で、英語ではジョージア。今国連に加盟している約190の国のうち170ぐらいはジョージアと読むといわれていますので、安倍さんも「わかった」と返事をしたようですが、これもグルジアが少しでも昔のソ連、いまのロシアと距離を置きたいということの表れです。このようにロシアの周辺国ではどんどんロシア離れが進んでいます。これに対してプーチンはあらゆる手を使って阻止しようとしています。
 ロシアとウクライナの紛争で最も痛ましい事件が7月のマレーシア航空機撃墜事件でした。親ロシアの武装勢力は否定していますし、真相は分かりませんが、これもロシアとウクライナ、その背後にあるアメリカ、ヨーロッパとロシアの綱引きがもたらした大きな悲劇といえると思います。
 先程名前の出てきたグルジアでも2008年8月にロシアとの間に紛争が起こります。グルジアがロシアに近い南オセチアという小さな地域を無差別攻撃し、これに対しロシアが軍事介入。私も含めて世界はロシアに対する先入観もあってロシアがグルジアという小さな国を痛めつけていると見るのですが、もともとの発端はグルジア軍が侵攻したため起きたことで、戦争の構図は分かりにくいものです。この紛争の1年後にわたしは南オセチアに行きましたが、「ロシアありがとう」みたいな看板があって、住民はグルジアから攻撃されたがロシアが来てくれたので救われたと思っている。つまり旧ソ連の国の紛争の構図は、我々が国際ニュースで判断するよりもものすごく複雑な側面があるということです。
 ウクライナ危機では、ロシア軍が国境近辺に何万人という部隊を集結させ、対してアメリカは元々のソ連の構成国であったエストニア、ラトビア、リトアニアというバルト3国に部隊を送り、まさに冷戦時代のようなことになりつつあるというのが今の状況です。ただ、ヨーロッパも一枚岩ではない。その理由は天然ガスなどのロシアの豊富な資源でして、ロシアはヨーロッパのエネルギー供給元。つまりヨーロッパのライフラインを握っている。プーチンはこれを外交カードに使おうとしていて、バルト3国はロシアが嫌でNATOに駆け込んだ国ですが、リトアニアは100%ロシアのガスに頼っていてエネルギーの独立は大きな悲願でもあるわけです。ただ、そういう状況に水を差すのがアメリカのシェールガス。アメリカは天然ガスの輸入国でしたが、今後は輸出国になる。これに焦っているのがロシアで、国の最大の収入源だったガスを売る場が無くなりかねない。ただでさえロシアに依存したくない国がある中で、ロシアは行くところがなくなる。今どんどん東に出て行こうとしているのは資源の面でもあるのです。

5 日本も含め東に目を向けるロシア
 2012年、朝日新聞で「動く極東」というシリーズをやりました。同年の5月にプーチンが大統領に復帰して、彼が東を重視していることから極東が動くと考えたのがきっかけです。通常の地図とは逆にモスクワの方から世界地図を見ると、中国、モンゴルの先に日本列島が横たわっています。ロシアにとって太平洋に出て行くのに日本列島が邪魔しているように見えます。逆に言うとロシアが石油や天然ガスを東に出していくには日本といい関係を結んでいなければ出来ない。軍事的には、太平洋に出て行くためには北方領土が問題になる。これを失ってしまうと北海道と北方領土の間の海峡を自由に出入りできなくなる。この地図で見るとロシアにとって北方領土の重要性がよく分かりますね。ウラジオストクからヨーロッパにつながるシベリア鉄道の物流拡大も動きがあって、日本の自動車メーカーのトヨタとマツダがウラジオストクに組立工場を作り、シベリア鉄道に乗せてモスクワ、ヨーロッパに運ぶ状況になっていて、ロシアは鉄道の性能向上対策をして東とのパイプを強めようとしています。サハリンで採れる天然ガスも日本に輸出されるようになり、数年前は日本のロシアに対するガス依存は0%でしたが、今は10%に増えています。そしてウクライナ危機で欧米との関係が悪くなっている今、中国に値段をダンピングしてガスを供給することで合意しました。このようにロシアは東への進出に力を入れているわけですが、上手くいくかどうかは別の話です。2年前にロシアはアジアに力を入れていくことを見せるために、ウラジオストクでAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の首脳会議を開催しましたが、そのインフラ整備を突貫工事でやったためか、会議場や私たち記者の泊まるホテルは不備な点がいろいろありました。記者団からそのことを突っ込まれたプーチンは「そういうこともあるだろう。ロシアは何もないところからここまで来たんだ」と強気の姿勢を崩しませんでしたが、このようにロシアは出発点が違うことをよく体験しました。

6 ロシアは親日国
 ロシアは憲法の規定で大統領は2期8年しか連続してできません。プーチンは自分の腹心である若いメドベージェフに大統領をやらせて、2011年9月に復帰を宣言します。一説によるとメドベージェフは欧米大好きの人でオバマ大統領と仲がよかった。彼が大統領に残れば米ロ関係もうまくいくのでは、といわれていましたが、結局プーチンが復帰する。メドベージェフはソ連時代から含めて最高指導者として初めて北方領土の国後島に行った大統領で、日本には物凄い打撃でしたが、プーチンの復帰はむしろ日本にとって朗報かもといわれました。というのは、プーチンは柔道の黒帯で日本が大好きです。大統領に復帰する直前にG7の国を代表する新聞のトップと会う機会があり、朝日新聞の質問に対してプーチンは「自分の家には柔道の嘉納治五郎の胸像画があり、毎日これに挨拶している。柔道の精神はいっときも忘れたことはない」と親日家ぶりを示したあと、北方領土問題は「引き分けで解決しよう」と答えました。今後の展開はわかりませんが、どっちが勝つということではなく、互いに譲れるところで解決しようというわけです。安倍首相とは11月の北京のAPECで、12月にはイタリアと頻繁に会っていますが、これは北方領土問題を決着させ、日本の優れた技術や資本が欲しいという思いの表れです。
 確かにロシアには、いまだに冷戦時代の残滓が国際政治やロシア社会にいろんな形で影を落としていますが、これから日本、そして我々日本人がどうロシアと向き合い、つきあっていかないといけないのか、ということを最後にお話ししたいと思います。一つにはプーチン政権の動きであり、同時にロシア市民がどう考えているのか、が重要なカギといえます。また、日本にはシベリア抑留とか北方領土とか負の遺産が沢山ありますが、イメージが先行してロシアは謎の多い暗い国だということで止まってしまうのではなく、ロシアが問題のある行動をするのはそうならざるをえない国の事情、状況がある。160を越える民族が住み、統治する難しさもある。決して理由がないのではない。そのことを考え、理解することも大事なことではないかと思います。皆さんに頭の中に入れておいてほしいのは、実はロシアはすごい親日国なのです。モスクワだけでも600ぐらいの日本食レストランがあり賑わっていますし、日本人と中国人や韓国人に対するリアクションは全く違います。ロシアの人々は日本人が好きなんだなと思わされることが多々あります。
 先のAPECの話ですが、運営の学生ボランティア2000人にご褒美として日本への船旅を募り500人が参加したのですが、枠に漏れた学生は行き先が中国でした。すると「なぜ日本に行けないのか」と大ブーイングが起こり、いつか日本に行けるようにすることを約束せざるをえなかったという出来事もありました。毎年、日本の内閣府が行っている外国の親近度調査でロシアの支持率は2割ほど。ちなみにアメリカは7割ぐらいで大きな差がありますが、エネルギー問題など、ロシアは日本にとって国益上重要な国であると私は思っています。大阪を歩いているとロシアからの観光客がいっぱいいますよね。このように日本に対するロシアの視線はどんどん熱くなっていますので、皆さんもロシアのイメージを一度リセットして新しい視点で見ていただければと思います。ご清聴ありがとうございました。




平成26年11月 講演の舞台活花



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