第6回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA大ホール
平成24年11月15日
流行歌の歴史と現代




大阪教育大学教育学部教授
小野 恭靖 氏

 

講演要旨

流行歌はいつの時代にも、人々の傍(かたわ)らにあって喜怒哀楽を分かち合ってきました。過去の流行歌を知ることは、先人たちの人生観を学ぶことです。本講座では流行歌の歴史を辿(たど)り、私たち自身の生き方を考えてみたいと思います。 

はじめに
 私は日本の古い時代の歌を、文学的な歌詞の観点から研究していますが、その際には必ず歌詞と曲節の両面をあわせて考えることが不可欠となります。
 ところで、私はNHK大河ドラマのなかで歌われる歌謡の監修を担当しています。柴田勝家は妻の市とともに城に火をかけて死んでいきますが、昨年放送の「江」ではその前夜に勝家が籠城した家来たちを集めて、人生最後の酒宴を開く場面がありました。そこで歌われる歌を戦国時代に流行した隆達節(りゅうたつぶし)から選曲しました。
 また「利家とまつ」の中では前田慶次郎の登場場面と、麻阿(まあ)姫が妹に歌って聞かせる場面の歌を隆達節から選びました。続く「武蔵」でも本阿弥光悦の歌う歌を隆達節から選びました。
 隆達節の特徴は小歌というたいへん短い歌詞であることです。その歌謡は堺にある顕本寺の僧、高三(たかさぶ)隆達が歌って広めた流行歌です。

泣いても笑うても行くものを、月よ花よと遊べただ (隆達節・303・小歌)
 これは、麻阿姫が妹に歌って聞かせる場面に用いた歌です。人生は泣いていても、笑っていても、あっという間に過ぎてしまう実にはかないものなのだから、楽しく遊び暮らそうよ、という意味ですが、単なる享楽的なものではなく戦国に生きた人々の人生観をうたった歌です。

花よ月よと暮せただ、ほどはないものうき世は (隆達節・352・小歌)
 これもほとんど同じような意味ですが、花が美しい、月がきれいだと遊び暮らせばいいのだという歌詞です。人生のはかなさ、すなわち無常観が色濃く表れています。柴田勝家が家臣とともに、落城前夜の宴の中でうたう歌に使いました。

独り寝覚めの長き夜に、誰を松虫鳴き明かす (隆達節・383・小歌)
 これは恋の歌です。独り寝の長い夜に、私はいったい誰を待って虫のように泣き明かすのか、という意味の恋歌です。ドラマの中で前田慶次郎に歌ってもらいました。

行くもそろり、戻るもそろり、逢はう逢はうと沓(くつ)の鳴き候よ (隆達節・478・小歌)
 これは「武蔵」の中で本阿弥光悦が武蔵に向かってうたう場面に採用しました。あの人の所へ行くときも帰る時もゆっくり忍び足で、それなのに沓は早く逢おう逢おうとしきりに音を立てている、という意味の恋歌です。浮かない顔をした武蔵に光悦が遊郭に遊びに行くよう勧める場面で用いました。

 以上のように、ドラマの場面に応じて当時の流行歌である隆達節からふさわしい歌を選んだのです。
 隆達は堺の薬種問屋高三家に生まれましたが、出家し顕本寺に入ります。ところが兄が死んだ為、甥の後見人として還俗(げんぞく)し家に戻りました。隆達節には恋歌が多いのですが、無常観や人生観を歌った歌詞もたくさんあります。

日本歌謡史略説
 日本にはいつの時代も、その時代を生きた人々の姿を映す流行歌がありました。江戸時代の終わりまでの流行歌を時代別に上代、中古、中世、近世と四つに分けると次のようになります。
☆上代歌謡・・・記紀歌謡

☆中古歌謡・・・風俗圏(ふぞくけん)歌謡(風俗・東遊(あずまあそび)・神楽歌(かぐらうた)・催馬楽(さいばら))
         今様(いまよう)雑(ぞう)芸(げい)
       ― 歌謡の譜   博士譜から胡麻譜へ ―

☆中世歌謡・・・早歌(そうが)(宴曲)
         室町小歌
       ― 伴奏楽器   三味線の登場 ―

☆近世歌謡・・・踊歌・器楽組歌・民謡

上代歌謡
 奈良時代を代表する上代歌謡は記紀歌謡です。「古事記」と「日本書紀」はともに奈良時代に作られた書物ですが、多くの歌が載っています。

八雲立つ出雲八重垣、妻籠(つまご)みに八重垣作る、その八重垣を (「古事記」1)
 これは「古事記」と「日本書紀」の最初に登場する歌謡ですが、スサノオノミコトがうたった歌として出てきます。「八雲」とはたくさんの雲という意味で、たくさんの雲が立ち上がる出雲ということになりますが、それは縁起のいいことを表す象徴的な表現でした。その縁起のいい出雲の国に妻の為に家を作るという歌です。スサノオの歌とされていますが、もともとは出雲地方で歌われていた新築祝い歌のようなものであったとされています。

 日本では言霊(ことだま)と言って、言葉にはパワーが宿るとされ、使う言葉によって良いことや悪いことがもたらされると信じられてきました。また、地名が入った歌には土地の魂が宿るとされ、大きなパワーが生まれると考えられていたのです。

大和(やまと)は国のまほろば、たたなづく青垣、山隠(こも)れる大和し美(うるわ) (「古事記」30)

命の全(また)けむ人は、畳薦(たたみごも)平群(へぐり)の山の、熊白樫(くまかし)が葉を、髷華(うず)に挿せ、その子 (「古事記」31)
 これは、ともにヤマトタケルノミコトの歌とされています。東国の遠征から大和へ帰る途中、三重県の亀山のあたりの能褒野(のぼの)で亡くなる直前にうたった歌です。大和の国はもっとも美しい所、周りの山が取り囲むようにひっそりとたたずんでいるという、大和を褒めたたえる歌です。この歌をうたうことによって、ヤマトタケルは暴れん坊からヒーローに変わっていきます。それは故郷を愛し、帰郷を望みながらも遂にはそれが叶えられなかったヤマトタケルへの哀惜の気持ちに由来します。

 しかし、これもヤマトタケルが実際に歌ったものではなく、当時の大和地方で歌われていた流行歌だったのです。「大和は国のまほろば……」はもとは国褒めの歌でありながら、物語を盛り上げる為の手法として、この場面に置かれたものです。「命の全けむ人は……」には平群という地名が詠み込まれており、その土地のパワーに願いを込めた歌と言えます。

中古歌謡
 中古は歴史区分で平安時代に当たり、「風俗(ふぞく)圏歌謡」と呼ばれる流行歌があります。風俗圏とは風俗(ふぞく)の周辺にあるという意味で、その代表が風俗歌と呼ばれる当時の民謡です。
また、関東地方で歌われたものが東遊です。神様をお呼びし、宴を催す時の歌として神楽歌があります。催馬楽というのは平安時代中期の宮中でもっとも流行した歌です。

道の口、武生(たけふ)の国府(こう)に、我はありと、親に申したべ、心あひの風や、さきむだちや (催馬楽・律歌・道の口)
 歌詞中の「道の口」とは北陸道の入り口に当たる土地のことで、諸国を放浪している男が、今自分は「武生の国府」にいることを、風よ親に伝えておくれ、という意味です。

 平安後期に流行したのは、今様雑芸という歌謡です。後白河院は今様が大好きで「梁塵秘抄」という名前の今様雑芸の歌詞集と口伝集を編集しました。

遊びをせんとや生まれけむ、戯(たわぶ)れせんとや生まれけむ、遊ぶ子どもの声聞けば、我が身さへこそ揺るがるれ (「梁塵秘抄」巻二・四句神歌359)
 大河ドラマ等で、この歌にメロディーをつけて使われていますが、それは新たに創作されたメロディーで当時の曲節とはまったく異なります。
 当時の今様は雅楽の曲として復元されておりますが、現代人が想像する以上に、とてもゆっくりとしたテンポの歌でした。次にそれをお聴きいただきます。

長生殿の裏にこそ、千歳の春秋留めたれ、不老門をも建てたれば、年は行けども老いもせず (今様「長生殿」)
  ―――――今様「長生殿」の復元音―――――

 日本の流行歌の歌い方は、時代が古ければ古いほど、ゆっくりとしたテンポだったのです。そのテンポが画期的に変わるのは、鎌倉時代に入ってからです。

 先の「遊びをせんとや……」は、大河ドラマよりもやや古風のうたい方を留める桃山)晴衣(ももやまはるえ)さんのものがあります。次にお聴きいただきます。
  ―――――桃山晴衣さんが歌う「遊びをせんとや……」―――――

「遊びをせんとや……」の歌は今様という流行歌ですが、そのなかでも神歌と呼ばれる種類に属しています。神歌とは神様のことをうたった歌だけでなく、その周辺の歌も含んだ呼称です。一方、これとは別に「梁塵秘抄」の今様には、仏様をうたった法文歌(ほうもんのうた)というものがあり、当時たいへん流行していました。

仏は常にいませども、現ならぬぞあはれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたまふ (「梁塵秘抄」巻二・法文歌26)
 仏様はいつも私たちのおそばにいらっしゃるが、そのお姿は通常は私たちの目には見えないのがしみじみと尊いことだ。しかし、人がすっかり寝静まって物音ひとつしない夜明け方に、私たちの夢の中にほのかに現れて下さるのだ、という歌です。
 この歌は法文歌で、一種の讃美歌ともいえる仏様をたたえる歌です。この歌をうたうことで、「法華経」を読んだり、修行したりするのと同じ価値があるという考え方がありました。平安時代には、様々な文学作品において仏様が夢に現れて下さることを大喜びしています。

極楽浄土は一所、勤めなければ程遠し、我らが心の愚かにて、近きを遠しと思ふなり (「梁塵秘抄」巻二・法文歌175)
 極楽や仏様は私達にとって身近な存在であるのに、遠いところにいらっしゃると思いこんでいる。なんと愚かなことよ、という意味です。

浄土はあまたあんなれど、弥陀の浄土ぞすぐれたる、九品(ここのしな)なんなれば、下品下(げぼんげ)にてもありぬべし (「梁塵秘抄」巻二・法文歌180)
 仏様の住む浄土という世界にはいろいろなものがあるが、阿弥陀様の浄土がもっとも優れたところです。極楽往生出来るなら、ランクのうち下の下でもいいです、という意味です。

我らは何して老いぬらん、思へばいとこそあはれなり、今は西方極楽の、弥陀の誓ひを念ずべし (「梁塵秘抄」巻二・法文歌235)
 私はこれまでどんな生き方をしてきたのだろうか。それを思うととても悲しい。今となっては、西方極楽浄土にいらっしゃる阿弥陀様の約束を信じてお祈りするしかありません。

 日本の歴史上の二大流行歌は、源平合戦時代の「今様」と室町から戦国時代に流行った「室町小歌」です。後者には隆達節も含まれます。この両方の時代に共通するのは、明日の生活、生命も分からない戦乱の世であったということです。それらの歌詞の中には、人の世の無常や人生観が歌われています。
 また、法文歌は極楽浄土という場所を詠むことによって、伝統的な地霊のパワーを得ようとしているかのようです。そこには歌の持つ絶大な力によって、戦乱の世に享けた生を全うしたいという願いが込められているのではないでしょうか。

中世歌謡
 鎌倉時代に入ると、歌のテンポが速くなってきます。次の歌は早歌と呼ばれる長編歌謡の一部ですが、この時代の歌謡の譜は博士譜から胡麻譜へと変わっていきます。その復元された音源をお聴きください。

八相成道(はっそうじょうどう)の無為の都、真如(しんにょ)の台(うてな)は広けれど、和光同塵の月の影は、宿らぬ草葉やなかるらん、さればや景行の賢き御代のことかとよ、南山の雲に跡を垂れて、星を連ぬる玉垣に、誠の心を磨きつつ、誰かは歩みを運ばざらん、あるいは五更に夢を覚まし、夕陽(せきよう)に眠(ねぶ)りを除きて、煩悩の垢(あか)をや濯(すす)ぐらん、暁の垢離(こり)の水、所を言へば紀伊国や、この無漏(むろ)の郡、彦の山路の雲の波、煙の波を凌(しの)ぎて、思ひ立つより白妙の、衣の袖を連ねつつ、都を出づる道すがら、あの北に顧みればまた、大内山は霞つつ、隔つる跡も遠ざかり、淀の川舟さもしげに、急ぐとすれど有明の、名残はしゐて大枝山(おおえやま)に、傾(かたぶ)く月や残るらん (早歌「宴曲抄」所収「熊野参詣」)
  ―――――早歌の「熊野参詣」―――――

 熊野に詣でる道筋を歌った曲ですが、この歌を聴いていると、お能の謡(うたい)のような感じがします。今様に比べると非常にテンポが速くなってきています。

 続いて、室町時代に入ると歌詞がとても短くなってきます。次の歌は室町小歌を集めた「閑吟集」からの抜粋です。

夢幻(ゆめまぼろし)や、南無三宝(なむさんぼう) (「閑吟集」53・狭義小歌)
 「南無三宝」とは慣用句で、さあ大変だというような意味です。人生なんて夢幻のようにあっという間に過ぎ去ってしまう。ああ・・、と無常観をうたう歌です。

何せうぞ、くすんで、一期(いちご)は夢よ、ただ狂へ (「閑吟集」55・狭義小歌)
 いったい何をしようと言うんだ、まじめくさって、一生なんて夢のようだ、ただ狂えばいいのだ、といったような意味です。

人買舟は沖を漕ぐ、とても売らるる身を、ただ静かに漕げよ、船頭殿 (「閑吟集」131・狭義小歌)
 人買舟が沖合いを漕いで行くよ、どうせ売られていく身であるものを、せめて静かに漕いでおくれよ船頭さん、という意味です。当時は山椒大夫のような人買いが横行していた時代でした。お能の中にもたくさんの人買いの話が出てきます。

しやつとしたこそ、人は好けれ (「閑吟集」252・狭義小歌)
 しゃきっとした人こそ素晴らしいものだよ、といったたいへん短い歌です。

あら何ともなの、うき世やの (隆達節・26・草歌)
 ああ何ともない短い人生だなあ、これだけの意味です。

面白の春雨や、花の散らぬほど降れ (隆達節・81・小歌)
 なんと風情のある春雨だことよ。花が散らない程度に降ってくれ、という意味です。
恋をさせたや鐘撞く人に、人の思ひを知らせばや (隆達節・180・小歌)
 恋人同士が別れなければならない時間を告げる無情の鐘の音。その鐘を撞く人に恋をさせたいものよ。そうすれば恋する者の辛い気持ちが分かるのに、という面白い歌です。このように隆達節には味わい深い様々な種類の歌謡が残されています。

近世歌謡
 江戸時代になりますと、七・七・七・五の都々逸調で、儒教道徳を歌う教訓的な歌が現れてきます。とりわけ親孝行の歌が多く作られ、うたわれました。また、この時代になると三味線による伴奏が主流となっていきます。

親のない子は、目かけてやりやれ、瓜を銜えて門に立つ (「絵本倭詩経(えほんやまとしきょう)」2)

四国西国めぐりてみたが、親に勝りた弥陀がない (「和河(わか)わらんべうた」30)

辛苦島田に髪結うたよりも、心島田にしやんと持て (「鄙廼一曲(ひなのひとふし)」15信濃国舂唄(つきうた)、曳臼唄(ひきうすうた))
 いずれも七・七・七・五調の歌で、親と子の関係、親孝行、心がけなどを諭す教訓的な歌です。

近代・現代歌謡
 最後に、ほんの少しだけ明治以降の近代現代、戦中にうたわれた歌を紹介します。

私は廓に散る花よ、昼は萎れて夜に咲く、嫌なお客も嫌われず、鬼の主人の機嫌とり、私はなんでこのような辛い勤めをせにゃならぬ、これも是非ない親のため (廓小唄)
 廓での遊女の暮らしの辛さ悲しさをうたった歌ですが、戦時下に替え歌が作られました。漫画家の水木しげるさんの部隊がラバウルで最後の戦いの前夜に皆でこの替え歌を歌い、玉砕していった話があります。

最後に
 各時代の代表的な歌の特徴と、その時代に生きた人たちの生活、願い、人生観を見てきましたが、歌謡史の研究はいつの時代でも、その時代を生きた人々の心に触れる研究と言えます。その結果として、先達たちが願ってきた平和な世の中がいかに大切であるかを学ぶことができるものと考えます。


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