平成20年度
熟年大学

第1回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA小ホール
平成20年5月15日

 
日本人のこころ



国際日本文化研究所センター 名誉教授
山折 哲雄 氏

講演要旨


我々の社会は今不安定な状態にある。
それには原因があるが、
そこには二つの大きな背景が横たわっている。


1.心の支え

 昨年夏、大阪で行われた世界陸上の男子100m決勝。前半、ライバルであるジャマイカのパウエルにリードされたものの、後半これを交わして「世界最速の男」になったアメリカのタイソン・ゲイが、レース直後のインタビューで語った言葉は次のようなものだった。
 スタートから50~60mのところで、「お前がやっていることは意味のある、価値のあることだ」という母の言葉が蘇って、全身に力が漲り加速がついた・・・」 と。

 翻ってわが国の状況はどうか。
 1932年のロスアンゼルス・オリンピック。女子200m平泳ぎで銀メダルをとった後、引退する予定の前畑秀子が、「次のベルリンでは金を!という世論に応えるべきだ」 という母の言葉に励まされて4年間苦しい練習に励み、見事金メダルに輝いた。その決勝のスタート台に立ったときに 「死ぬ覚悟で泳ごう」 と思い、号砲の直前には 「神様!」 と叫んだと回顧している。

 「母・死ぬ覚悟・神様」 が支えになったと述懐している三つのキーワードは、当時の国民共有の価値観でもあった。しかし今、「母の力・母の言葉・母の励まし」 という言葉は、我々の社会のどこからも殆んど聞こえてこない。

 それでは今の若い選手の心の支えは何か。「自分らしく・楽しく・笑顔で」 の三つがキーワードである。70~80年の間に、なんとかけ離れたキーワードになったのか愕然とする。

 勝てないはずだと私は最初は思った。しかし、あれだけメダルが取れなかった2年前のトリノ冬季オリンピックでも、最終日に荒川静香が金をとったではないか。「自分らしく・楽しく・笑顔」でいいのかも知れない。或いは今の若者も、心の奥底では 「母」 とか 「神様」 を思っているのかも知れない。大人がそれを聞き出していないだけなのかも知れない・・・と反省した。

 まず大人たちがやらねばならないのは、心の奥底で叫ばれているかも知れない若者たちの苦しみ・悲しみ、その声を聞き届けようとする努力が、己にあるか否かの問題ではないだろうか。


2.菊池寛にみる社会観

 最近、我々の社会では、凶悪な犯罪が多発するようになった。それを受けて多くの世論が、死刑にせよ!、厳罰主義、極刑主義といった犯罪者に対する糾弾の声を次第に高めるようになっている。残虐な手口で殺された遺族の気持ちからは、それはそれで当然だと思う。
しかし、余りににもそれが強く主張され過ぎているのではないか。日本人には、もう少し寛容な気持ち、赦しの気持ちがあったのではないだろうかという思いが、一方でどうしても残る。

 菊池寛の小説に 『恩讐の彼方に』 というのがある。かつて人を殺めた主人公が悔い改め、仏門に帰依し、難所の道を塞ぐ岩山をくり貫いて道をつくるべく、10数年鑿を打ち続けている。仇討のために諸国を捜し歩いた被害者の息子が、やっと辿り着いた仇の姿に、全てを赦す気になる。この小説が発表されたのは、大正8年の中央公論正月号である。当時の日本人の理想的なあり方であり、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉が言われたのもこの時代である。

 山口県の光市でおきた親子殺人事件の犯人に、極刑を求める世論は至極当然ではあるが、どのメディア・どの論評をとっても、この小説が思い返されることはなかった。

 ところがである。『恩讐の彼方に』 が世に出た3ヵ月後の同じ中央公論の4月号に、菊池寛が 『ある抗議書』 という小説を発表している。夫婦を惨殺した犯人が死刑の判決を受けるが、教戒師に導かれて入信し受洗して、神に感謝の法悦の気持ちで昇天する。これを知った遺族が、余りにも不公平だと大審院長に対して抗議書を送る形で書かれた小説である。

 片や恨みを乗り越えよ、片や被害者への大なる不公平。また一方では仏教とキリスト教という見事なバランス。ほぼ同じ時期に、この二つの作品を書いた作者の複眼的思考に、舌を巻かざるを得ない。ものごとは多面的に見通すことが必要で、法律では解決できない世界ではないか。

 間もなく裁判員制度がスタートし、われわれもこの問題に直面することになる。世の中が、客観的に冷静に受け止める社会になっているだろうか、気になるところである。


3.不安定な社会の背景

 我々の社会は、いま不安定な状態にある。それには原因があるが、そこには二つの大きな背景が横たわっていると思う。

 一つは、人生80年の時代。今から2~30年前までは人生50年でやってきた。信長が最後に本能寺で舞った「幸若舞」の「敦盛」の一節、『人間50年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり』。信長の時代から400年、人生50年でやってきたのである。それが80年になる余りにも速いスピードに、我々は人生モデルを作りかねている。

 その時代の人生モデルの中心課題である 「死生観」 は、『死ぬことは生きること、生きることは死ぬこと』 であった。生きることと死ぬことが同等の比重でとらえられてきたのだが、人生80年になり、この生と死の間に 「老」「病」 が割り込んできた。日本の社会は、それに対応できていない。人生50年代の死生観では立ち行かなくなった。
 これが日本の社会を不安定にしている一番大きな背景的な問題である。人生80年時代のモデルをどう作るかが課題だが、そのとき 芭蕉、西行、良寛 といった人の生き方が参考になるのではないか。

もう一つの背景的な問題、我々の人間関係
がガタガタに歪み始めていることである。親殺し、子殺し、学校における少年少女の犯罪、政官財の道徳的不祥事。その全てを覆っているのは、人間と人間の関係がうまく行かなくなっているからだ。

 しかし戦後60年、人間関係が大事と言われ続けてきて半世紀。その結果、親と子、先生と生徒、上司と部下、すべてが仲間関係、友だち感覚、水平の関係になってしまった。何故か。価値観とか、技術、職能、知識といったものは、上から下へ垂直的に教えていかなければならないものだからだ。教育の現場では横並び平等主義といった水平軸が確かに必要である。この垂直軸と水平軸を立体交差させるところに、教育の原点はなければならない。

 横並び水平軸中心に人間関係を考えていくと、どういうことが起きるか。イチローなどの天才とは比較しないが、人は隣の人間と絶えず比較するようになる。比較すると比較地獄に陥る。それが嫉妬地獄になる。嫉妬が高まると敵意になる。敵意が何年も蓄積されると殺意に変わる。我々の社会のいたるところに殺意が潜んでいる。その殺意が外へ向かって暴発するときに殺人になる。内へ向かったとき自殺者を生み出す。外にも内にも向けられない持て余す状態が鬱の状態である。

 今の社会は豊かではあるが心の世界を覗き見ると、危機的な状態にある。そこから脱出するにはどうしたらいいか。人間と人間の関係に、垂直軸を通すことが必要である。垂直軸を通すときに自立した人間をつくる必要がある。

 自立した人間とは何か。われわれは敗戦直後、アメリカ民主主義を受け入れ、個人、個の自立、個性ということを繰り返しくりかえし言うようになった。しかし考えてみると、個とか個人とか個性というものは、戦後民主主義教育にとっては重要なキーワードではあったが、ヨーロッパの言葉の翻訳語である。近代ヨーロッパの200年か300年の歴史のなかで生み出されたものである。

 それを受入れたのは正しかった。しかしわが国の500年、1000年の歴史に照らして、我々自身の価値観と照らし合わせ、重ね合わせ、付き合せる努力をしてこなかった。そう気がついたときに、ヨーロッパの言葉の個性に当たる 「大和言葉」 は一体何だったのだろうか。あったのですね。それは 「ひとり」 という言葉であります。いい言葉ですよ。

 そう思って 「ひとり」 という言葉を歴史のなかで探っていくと、万葉集から現代に至るまで、ずっと使われ続けている。
 近代以前の日本は、中国文明の影響を受けて 「和魂漢才」 でやってきた。明治以降はヨーロッパ文明を受け入れ 「和魂洋才」 になった。しかし、「和魂」 は手放なさなかった。ところが昭和20年以降、「和魂」が何処かへ行ってしまった。グローバライゼーションという言葉だけが独り歩きして今日、わが国の全てのシステムを覆い尽くし始めた。「和魂」 は一体、どこへ行ってしまったのだろうか。私はこの 「和魂」 を考える場合に、「ひとり」 という言葉をキーワードにすることができるのではないかと思う。


(古代) 万葉集 柿本人麻呂
 あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝ん

(中世) 歎異抄
 弥陀の五劫思惟の類をよくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり

(現代) 尾崎放哉(俳人)
 せきをしてもひとり

(現代) 種田山頭火
 からすがないて私もひとり

(現代) 高浜虚子
 虚子ひとり銀河のなかを西へ行く


 このように日本の歴史を辿っていくと、
「ひとり」 という言葉に託してきた祖先が、
どういう気持ちであったのか、
少しずつわかるような気がする。               受講者席は満席、補助席も出動      

 人間は社会の中で生きなければならない。仲間たちに守られながら、協力しながら生きなければならない。それは当然のことだが、しかしどこか精神的な自立を内面的に実現していくことが必要で、そういうことを同時に考え続けてきた。そういう民族、そういう文化と価値観を育んできた人間たちだったことが解るような気がする。

 そういう伝統を、戦後の日本の社会は、学校現場で、家庭で、職場で、次の世代の若者たちに教えてきたのだろうか。明るい民主主義、横並び平等主義を内面的に深めていく。我々自身の歴史と文化をふりかえって、その中から重要なキーワードを取り上げ、付き合せ重ね合わせていく。そういう努力が少々足りなかったのかなぁ。自己反省を含めて、最後にそういうことを申し上げて終わりにしたい。


                       《講師未見承》


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