平成18年度
熟年大学
第六回

一般教養公開講座
於:SAYAKA小ホール
平成18年11月16日

 
ロシア・中央アジアの政治経済の現状



大阪市立大学大学院教授
田畑 理一 氏

                    講演要旨
1991年のソ連解体以後、ロシアは猛烈なインフレと生産低下が続き、1998年の危機までに GDP は半分近くにまで減少、国民は貧困にあえいだ。 その後中央アジア諸国の盟主ロシアでは、豊富な資源による安定的な国際収支を背景に 1990 年代の改革がうまく成果を出し始め、現在6~7%の高度成長を達成しつつある。
                    
●まず、ロシアについて

 
いま「BRICs」という言葉がかまびすしい。今後、大国になっていくであろう4カ国、ブラジル・ロシア・インド・中国の頭文字である。この4カ国の経済規模が、2038年には、現在の主要6カ国のGDPの総計を上回るというショッキングなレポートさえ出ている。

   


1.好調なロシア経済

 
その一つであるロシアは、1998年に金融危機に見舞われたものの、為替レートの引き下げ効果もあって、経済が好調である。ここ7年間のGDP成長率でみても、平均6.6から6.7%という高い伸びを示している。

 1991年、ソ連が崩壊した年のGDPを100として、2005年のGDPはほぼ同水準にまで回復したのだが、同じ大きさであっても、経済のあり方が全然違う。
 1991年は社会主義のもとでの計画経済であったわけで、生産に消費者主権が及ばない統制経済であった。

 2005年では一党独裁の政治体制には変りはないが、経済は市場主義経済のもとでの大きさであり、同じ大きさでも中身が違う。その背景にあるのは、ロシアには資源が豊富にあること。とりわけ原油は、最大の産油国サウジアラビアに匹敵するほか、天然ガスでは世界一の産出量を誇っている。

 右のグラフは、2000年から2006年までのロシアの輸出・輸入と貿易収支をグラフにしたものだが、2003年頃から輸出の伸びが顕著で、貿易収支の黒字幅が大きくなっている。結果として現在の外貨準備高は約3,000億ドル近くに達し、中国、日本に次いで、世界第三の外貨準備国になった。これには2003年以降の原油価格の高騰が果たした役割も大きい。



2.新生ロシアの経済史

 シアは、1992年の改革当初から、GDPおよび工業生産の急激かつ大幅な減少、猛烈なインフレに見舞われ、失業率も急上昇していった。いわゆる社会主義経済から市場経済への移行に伴う「転換不況」である。

 ソ連崩壊以後のロシアすなわち新生のロシアでの92年以降の過程は、おおざっぱに言えば988月のいわゆる「8月危機」を挟んで、その前後の2つの時期に分けることが出来ようが、ここでは「8月危機」の前の時期をさらに2つに分け、3つの時期に分けて考えたい。

(1)1992年初めから19957月(コリドール制採用)まで
  ハイパー・インフレーションと生産の大幅低下。この間にGDPは大方4割低下
    (注)コリドール制:為替レートを一定の幅の中で変動させること
(2)19957月から1998年「8月危機」まで
  アジア危機。97年7月、タイの通貨危機に始まった危機は、インドネシア⇒マレーシア  ⇒香港⇒台湾⇒韓国にまで広がる
  貿易収支が赤字に転じ、大銀行が10行ほど潰れた
(3)1998年「8月危機」から現在まで  である。


3.ロシア経済についての若干の経済問題


  最近のロシア経済はきわめて好調である。
 その好調さのすべてではないにしても、かな
 りの部分は原油をはじめとした世界市場にお
 けるエネルギー資源価格の高騰によるもの
 であることは間違いない。

  第1の問題は、ロシア経済へのエネルギー資 源の寄与の大きさ如何の問題である。

  第2の問題は、エネルギー資源価格の高騰  による貿易黒字、外貨準備の増加、為替レートの上昇による国際競争力喪失の問題、上でも触れた、いわゆる「オランダ病」の問題である。原油価格の高騰とそれにもとづく輸出収入の増加をもたらし、これによって大量の家計消費需要を生み出したこと、これによって経済成長が3-5%超高まった。
  (注)オランダ病:1970年頃、オランダで資源がみつかり為替レートが上昇、結果、経済が混乱した

 近年ロシアは原油価格の高騰によって巨額の外貨流入を抱え、一方では、好景気を享受するとともに、他方では、外貨準備の増加による為替レートの上昇を通じたいわゆる「オランダ病」の発現の不安を抱えている。

 これはある意味では、持てる者の贅沢な悩みといえないこともない。さしあたりは、「安定化基金」の積み上げにより、為替レートの急上昇を回避しながら、国内投資と直接投資とによる競争力強化が図られているが、原油価格の高騰があまりにも過大であり、徐々に輸入拡大と消費ブームを招来している。

 このような状況下で、輸入関税による製造業保護が可能であれば、問題はないが、少なくとも現在ロシアはWTO加盟を目標とし、加盟交渉を行っており、WTO加盟を前提として考えなければならない以上、輸入関税による国内産業の保護は過渡的にはともかくとしても、中長期的には自由化を推進していかなければならない。このような状況の下では、外国直接投資(および国内投資)による競争力強化が決定的に重要である。

ここでは触れなかったが、ロシアでは政治・経済面での不正・腐敗の克服、治安の向上も極めて緊要な問題である。このためには警察機構とりわけ末端警察の規律確立が急務である。治安の向上と腐敗の是正がなければ、外国投資の拡大に多くは望めないからである。


●中アジア諸国の経済


 ~好調なロシア経済の影響を受けて
              やはり好調~


 中央アジアの5カ国はいくつかの観点から分け
ることが出来るが、人口規模からいうと500-600
万人程度の比較的小国と言える、キルギス、タジ
キスタン、トルクメニスタンの3国と、2000万人前
後の比較的規模の大きいカザフスタン、ウズベキ
スタンの2国に分けられるであろう。


 また、資源の有無からいえば、原油や天然ガスなどのエネルギーや金・鉄・非鉄(銅、亜鉛、鉛など)などの金属資源を有する国と有しない国に分けられよう。当然ながら、資源・エネルギーの保有国と非保有国とでは、外貨獲得、輸入に関する困難さについて相当な違いがある。

 中央アジア諸国を特徴づける点として、海への出口をもたない内陸国であることをあげることができる。

さらにもう一つの特徴点として、旧ソ連の構成共和国であったことから、中央アジア諸国の国民の大部分がロシア語を話すことができるということである。とりわけこの点は本章で取り上げるキルギスについて恩恵をもたらすことになる。


●キルギスについて


 ここではキルギスを取り上げる。しかし、キルギスといっても我が国ではほとんどなじみがないと思われるが、敢えていえば、キルギスは中央アジアの一国で、中国(新彊ウイグル自治区)と接しており、かつて7世紀 唐の時代に、玄奘三蔵が仏典を求めてインドに赴いたときに通過したシルクロード天山北路の一部分である。

人口は500万人。宗教はイスラム教だが、その影響は余りなく、もともとは遊牧民の国である。資源はなく、国土の94%が1000メートル以上の山で、地元の人は中央アジアのスイスにしたいと願っている。

キルギスはソ連崩壊後からアカーエフ大統領のもとで、自由主義的市場経済化改革をCIS諸国で最も大胆に推し進める国として知られていた。

20053月の「チューリップ革命」に至るまでに、アカーエフ政権が長期化するにつれて、身内、親族、縁者などで権力が固められるようになり、徐々に不満が蓄積されるようになったということである。何よりも、近年では政治家、官僚層の間で腐敗、汚職が蔓延し、警察、官庁は言うに及ばず、学校、大学まで腐敗、汚職が蔓延してる。

 経済的には、金と電力の輸出で7億ドルを稼ぐが、それを上回る輸入があり、貿易収支は赤字である。しかし国外(ロシア)への出稼ぎ労働者送金(移転収支)でバランスしている。
そういうこともあって、現在、ロシア・カザフスタン・キルギスの3国で共同体の動きがある。

また早くから自由主義体制を強力に進めたため、日本を含め、西欧諸国も支援しており、日本人はビザなしで行ける。皆さんも、中央アジアに行くなら、キルギスのサマルカンドに行かれることをお勧めしたい。


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