平成18年度
熟年大学
第十回

一般教養公開講座
於:SAYAKA小ホール
平成19年3月15日

 
日本経済と社会保障



慶応義塾大学商学部教授
跡田 直澄 氏

                    講演要旨

バブル崩壊とともに、社会保障関係費も抑制・削減対象とされています。少子高齢化が急速に進むこれからの日本で、社会保障はどうなっていくのでしょうか。 年金・医療・介護、保育をどのように位置づけ運営していくのか。 キーワードは、「危機はチャンス」。 未来志向の社会保障をお話します。

                 


1.日本経済はどうなるか


 小泉内閣が発足した2001年の実質GDPの対前年比伸びは僅か0.4%であった。政府が需要を創出するのをやめて、モノやサービスをつくる供給側の改革をするのが小泉構造改革であった。
 2002年の伸び率は0.1%まで落ち込み、公共事業を求める声と小泉政策への非難が高まったが、小泉さんの軸はブレず、2003年を迎える。GDPの伸び率は1.8%に回復、2006年には3%後半~4%に近い数字になるだろう。
 2001~2002年は不良債権の処理を中心に改革を民間に求めたが、それが一段落して、今は第2段の小さな政府を目指す構造改革、つまり政府の中身の改革に入っており、安倍内閣になった今も維持継続されている。

小泉構造改革の真意

 政府が需要をつくり出す政策は、1930年代の米国のニューディール政策に端を発するが、とくに日本では、戦争によってズタズタにされた社会資本の復興のため、政府が一所懸命公共投資を行ってきた。その時点では確かに有効であったが、高度成長から安定成長期に入った昭和40年代後半から50年代に入ってからも、同じ政策をとり続けた。
 一番すごいのは昭和の終わりから平成の初めまで、日米摩擦解消のための対米公約から、10年間で660兆円の生活基盤型の公共投資を行おうとしたことである。次の世代のための投資であるから、借金してもいいという論理で、国も地方も借金ばかりがどんどん膨らんだ。
 更にバブルが崩壊した1992~93年には、公共投資で構造的不況を乗り切るべく、100兆円規模の総合経済対策が2、3年続けて行われた。

 結果として、小泉改革が始まるまで、ずっと政府が需要をつくるという考え方に凝り固まっていた。政府がお金を出すのはそろそろ止めて、まず民間の構造改革を進め、その次に政府が無駄なお金を使うのを止めようという発想で、小さな政府を目指した構造改革が行われ、今も進んでいるのである。

 従って、2004年のGDP2.3%の伸びは、金融機関が不良債権を処理したから、乃至は90年代以降民間が選択と集中やリストラを一所懸命にやってきた結果であり、政府部門の構造改革は何もしていない。小泉内閣の本当の構造改革が始まるのは2004年からであり、それもまだプランに過ぎない。安倍内閣がこれを進めていけば、今年から来年にかけて、更なる経済の発展が期待できるのではないか。

新政権での改革の課題

 新しい安倍政権がとくに強調し始めているのが、自由化・規制緩和である。

1.労働市場(労働ビッグバン)
 初等中等教育だけでなく、高等教育も改革しないといけない。労働の質が落ちてきているのではないか。また、これまでリストラを企業に自由にさせてきたが、労働の移動をキチンと保障してあげないといけない。次の仕事に就くまでの期間を短くするのが政府の役割である。そのため今のハローワークは、民間に委託するなど、キチンとした情報が受けられるように作り直す必要がある。

2.教育
 今、多くの人が私学に行く。公教育の崩壊はアメリカでもイギリスでもあったが、各国とも必死で建て直し、教育も経済も回復させた。いろいろな意見があるが、教育の現場が地域と話し合いをする場を作ったほうがいい。何か問題が起こったときだけ教育委員会に上げるのではなく、PTA、教育委員会、現場と話し合いをしながら、どういう方向に持っていくかを、それぞれの地域で考えたほうがいい。

3.医療産業
 米国で認可されている薬が日本ではダメ、欧州で禁止されている薬が日本では売られているなど、余りにも規制し過ぎてはいないか。国家・地域で何らかの規制を設けて、自地域の利益になるようにするという考え方も背後にはある。しかし、そういうセクショナリズム的なことを考える必要があるのか。

4.農業
 日本のGDPの中で大きな規模ではないが、本来は日本の基幹産業である。第一次産品の生産を失って、国家が成り立つとは到底考えられない。日本の農業を再生しなければならない。製造業は一度ヘたれたけれど、いま大分復活していっている。サービス産業はもう一つ生産性は上がってきていないが何とかやっている。その中で常にず~っと劣等性だったのが農業。これまで保護し過ぎたというのが、いま反省点として出てきている。余りにも保護しすぎたため、競争力を失ってしまった。国際価格と乖離した値段で、われわれは米を食べている。国際価格でいくと、今の7分の1くらいの値段で食べないと「ササニシキ」はおかしい。従って今やろうとしているのは、もう少し強い農業、逆にいうと輸出できる農業をつくろうということである。

 これに対して、健康農業といわれる野菜の栽培に関しては、値段は高いが安全だということで、中国・韓国へ輸出できている。米だって国際価格からのズレをもう少し是正できるだけの構造改革をやれば、充分基幹的な産業になるかも知れない。基幹産業にしたいわけだ。アメリカは工業国家だと思われているが、世界最大の農産品輸出国なのである。技術が優れていて安全なものは輸出できるということを、そろそろ日本も考えなければならない。

 これらが改めて日本の経済が向かっていく乃至は政府が目指している方向である。こういう改革が上手く進ん出行けば、日本はそんなに暗い国ではないと思う。


2.少子高齢社会は危機か

 わが国では1960年に今の年金制度をつくった。当時の平均寿命は65歳。それが今では男性でも75歳まで生き、女性は84、5歳まで生きる。平均寿命というのは0歳のときの平均余命であるから、いま65歳の人の平均余命は、男性で83、4歳、女性で94、5歳まである。2025年には人口の3割が65歳以上と、高齢化が進むのは否定できない。一方で14歳(中学生)までの人口は1,000万人しかいない。

 こういう状況をどう乗り越えるかということを、ず~っとこの10年位議論してきている。
年金の方は2004年改革で、いま現役世代の60%ぐらい貰っているものを、50%ぐらいまで保障するという改革をした。あとは医療をどうするかと、介護をどうするかだが、介護はまだマーケットが小さく、ちょっと軽い要介護の状態の人を認め過ぎたことがあって、少しセチ辛くなるかも知れないが、さほど大きな改革はない。というのも、医療の方の大きな改革がまだ決まっていないからだ。ただ、これだけ高齢者の人数が増えるとなると、医療費も莫大な金額になりかねないので、ここは何とかしなければならないというわけ。

 一つは子どもを増やしましょう、子育て支援ということを言っている。このままだと、折角1億2,000万までいった人口が、戦争が始まった頃の8,000万人まで減ってしまう。人口が自然に減っていった国は、東ローマ帝国のように潰れていく。日本はこの2、30年間、少子化対策を何もしてこなかった。移民はイヤだ、婚外子は認めないというが、それも考えないといけない段階まできている。が、今すぐにはできない。

 では何をやっていくかとなると、若年労働力の質の低下を防ぐことをやらないといけない。教育の問題が急がれる。生産労働力も相対的に減っていくので、何らかの合理化をしないといけない。IT化、ロボット化をすすめていき、それに労働力が適合していかねばならない。技術革新の問題が大きくなっていく。

 もう一つ、65歳以上を全員、生産労働力として考えないのかというと、それはありえない。2010年初頭には、かつてのバブル期くらい労働力が不足する。ここまで減ってくるわけだから2015~2020年辺りでは、70歳位までの殆んどの人は、長時間でないにしても働くという時代になる。2000年くらいの労働力がないと、IT化が進んでも間に合わない。働ける方は70歳ぐらいまで働いていただくことになる。近く就職の申込書や求人欄に、年齢制限をつけてはならないことになる。当然60歳の定年制度もなくなる。

 2025年から先は分からない。もっと高齢化している。少なくとも2025年までに、比較的若い前期高齢者の方は、殆んど就労しなくてはならなくなる。そうなると年金も払わなくていいようになる。500万円以上の年収があると65歳以上になっても年金は出なくなる。75歳まで上手く働き、500万円以上の年収を受取っていただくのが望ましい形だ。
 このように危機的な状況を迎える可能性はあっても、何とか2025年までは今の改革の範囲内あるいは想定される範囲内でやっていけそうだと考えている。

 年金は多少減るにしても、高齢者の就労が増えてくるということで、生活が安定し消費が増えるという期待もできないことはない。こういう形で、少子高齢化は必ずしも危機ではなく、むしろプラスになることもありうる。


3.経済と社会保障


 というのは、社会保障の分野で次のようなことが起こりうるからだ。高齢者が増えて医療の需要量が増えると、今の公的医療保険の考え方では、皆さんが病院に行けば必ず医療は提供される。一人ひとりの需要も大きくなり、高齢者の数が増えれば、膨大な医療需要が発生する。その医療をつくり出すということは、お医者さんがサービスをつくり出すことだから、GDPを増やすことになる。一国全体の経済にとって、経済の生産という面だけで考えればプラスになる。

 ところがこれを公的な医療保険というシステムで今は運営している。若い人は医療保険に保険料を払っているが、払った保険料以上に医療費を使う人はまずいない。あまったお金は70歳以上または75歳以上の医療費の補填に使われる。いま高齢者は医療費の1割は負担させられているから、残り9割の半分位は、現役世代の保険から繰り入れている。

 いま何が起こっているかというと、若い人の保険料負担を上げないと、高齢者の医療分が賄えなくなってきている。それで医療費を抑制しようということになる。それは保険からみれば医療費の抑制だが、経済の方から見れば医療産業を抑制することになる。なぜ伸びる産業を抑えねばならないのかとなる。需要があるのは確か。今と同じか、若干落とすにしても8割程度の医療サービスでも、倍以上の高齢者がいれば、ものすごい需要が発生する。それをできるだけそのまま生産に繋げられないか。しかもそれを、税金から繰り入れる税負担をある程度増やしてもいいが、若い現役世代の保険料負担をこれ以上増やさずに出来ないか、ということを考えている。
 社会保障費の増大と経済とを上手くリンクさせることを、これからの日本経済と社会保障の関係としては考えていただきたいところである。

 その一つの方法が混合診療という形になる。公的な保険で受けるものと、プライベートな保険で受けるものと、2種類あってもいいのではないか。いま医療保険で、入院したときは1万円とか、ガンになったら1日1万円の所得保障とかはあるが、疾病の治療と直接関係のないところでしか保険が出てこない。ちょっと風邪を引いたとか、捻挫したとか、ある程度軽いもの、例えばトータル5万円位までの安いものは、民間の保険でやってもいいのではないか。高いものは公的保険でやりましょう と住み分けをしてみるのも一つの考え方ではないか。新たに民間の保険をつくるのは大変かもしれないが、今ある生保や損保の保険に、疾病型の特約をつけて補填できる商品を認めていってはどうか。勿論、その保険料が払えない人には、公的な手当てが必要だが・・・。

 更には、スポーツクラブ的なところで、少し医療が受けられるようなものを考える。健康なある程度の年令の人たちが、病院で遊ぶのではなく、健康に遊べる場所をつくれば大いに伸びる。医療・介護・健康をワンパッケージにしたもの、高齢者が楽しんでいけるようなところもつくって行く。経済と社会保障が融合したものとして、期待したいところである。

 とはいえ財源は必要である。しかし、財源は消費税に求めない方がいい。社会保障のためなら消費税増税は受入れてもいいという多くの方がいる。しかし消費税の目的税化は、結果的に他の部門で借金しなくてはならなくなる。道路財源がいい例だ。人数が増えるわけだから、まず一人当たりに掛けるコストをできるだけ切り込んでいって、財源を増やす方向に走らず、先ず公的な守備範囲を減らしてプライベートなところをどう広げるか、を考えなければならない。そうすれば経済は大きくなっていくという考え方である。


4.小さな政府とは

どういうイメージかというと図の通り。
官というのは政府が提供するサービスの量、民は民間が提供するサービスの量で、一応は民の方が大きい。しかし官が大きく経済にかかわっている。
 それに対し小さな政府というは、官をできるだけ小さくする。その一つが歳出削減、これは確実に需要を減少させる。
 
 小さな政府というと、この部分ばかりが強調されるが、もう一つもっと重要な小さくする部分がある。小泉さんが言った「民間でできることは民間で」という部分である。つまり、必要以上に政府が民間に食い込み、民間に任せていいことを政府がやりすぎている部分である。これを民間に任せましょうと。

 例えば国立大学。独立行政法人にはしたが、まだ国から大きな金を出している。なぜ国立でなければいけないのか。これが私立になったらどうなるか。民間に委ねるということは、いろいろな制約を取り払ってやること。削った部分より大きなGDPの増加に繋がるかも知れない。また、繋がるような規制緩和を図った民営化をすることが、いま一番重要なことである。この部分が、むしろ小さな政府の本質といってもいい。

 指定管理者制度とか、市場化テストとか、民営化とか、これを上手く活用することによって経済の成長を生み出していく。これが出来れば社会保障の分野でも同じこと。公的な部分を切ったとしても、民間を増やすことによって経済成長を図っていく。というようなイメージでつくり上げていって貰いたい。


5.救世主はNPO

 
この「民間でできることは民間で」という部分で、今まで政府がやっていたことを、いきなり民間で出来るかというときに、ちょっと不安がある。もう少し信用できるところで、といった時に、最近評判になっているのがNPO法人である。いま認証を受けている法人数が全国で3万を超えた。保健・医療・福祉の分野で半数以上を占め、社会保障がらみのところでこれを補助・補完・代替する活動をしている。そういうところが頑張ってもらって「民でできるところは民で」の部分を補ってほしい。NPOが待望される部分でもあり、期待するところでもある。

 当然、営利企業が徐々に入ってきてもいい。それとコスト競争する位、NPOも頑張らなくてはならない。営利が入ってきて、マーケットを荒らされるだけでは困る。そういう意味では、NPOはマーケットを上手く動かす。営利のギスギスした競争だけではなくて、そのコスト競争の中にサービスの質の良さを追求するような面を当然盛り込めるわけで、資本主義の潤滑油という言い方をしている。そういうものが入ってきて、社会保障の分野などで民間でできることをつくり出していく。

 非営利活動はボランティアでという考え方もあるが、ボランティアだけでなく、ちゃんと事業をして利益を上げてもいい。その利益をどう使うかが営利企業とは違うところ。NPOは職員の人が労働に対する対価は受取っていいが、組織としてあがってきた収益は社会のために還元するか、その団体の目標である活動に使ってもらうことで、いろいろな価値観を包摂できるようにする・・・というのが、いまNPOに期待される役割である。

 65歳を越えて、これからどういう自分の人生を歩んでいくか、と考えるときに、営利部門で培ったノウハウがNPO業界には欲しいわけだ。日本のNPOは多くの場合、営利を知らない人がやってきた経緯がある。自分のこれからをどう生きるか、どう形成するかというときに、NPOは一つの自己実現の場になりうるものだ。とても面白いものである。

 ただ、営利企業ほど最終的な利益を追求しなくてもいいが、営利企業より経営は難しい。金儲けすればいいというだけの価値観ではない。社会のためになる、そのために売上をあげ、コストを抑えて収益を維持するか。最終的に利益はゼロでもいいが、最初からボランティアでいいよ ということで甘いコスト見積りを立てたら、ずっと苦しい状態のままになる。そういうことを考慮に入れながらNPOを運営していただけたら、この大阪狭山市も良くなるだろうし、大阪府も日本経済全体もよくなる。これからはかなりこういう部門に依存していくことになると思うので、皆さんが働くというときに、営利部門に戻るというのも一つの方法だし、NPOというものを通してレイバーマーケットに参加し、自己実現を図っていただくと、日本経済のこれからはかなり明るいものになる。

 近々に陽は昇ると思うが、そんなに暗い高齢化社会にはならない。高齢化は、実は日本のチャンスになりうるものだとむしろ考えていただきたい――ということを申し上げて、今日の話を終わりたい。



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