平成17年度
熟年大学
第8回

一般教養公開講座
於:SAYAKA小ホール
平成18年1月19日

 輝いて生きる
〜生涯現役〜



TEC教育センター 代表
小玉 野栖子 氏

                 
                    講演要旨
国も町も企業も人がつくる。 そこに集う人々の意識を変革するところからすべてが始る。「考え方が人生を作る」〜考え方で人生が変わる〜性別・年齢・経歴にかかわらず、どんなことがあろうと決してあきらめず、逃げず勇気をもって一歩づつ歩みだすことである。 たった一度の人生、命ある限り輝いて生きるために・・・

以前、熟年大学の開講式の記念講演にお招きいただいて、今日は二回目になります。 あれから一年半になります。 私の仕事を通じ生きてきた足跡を皆さんにお伝えしながら自分の体験をもとに、皆さんのこれからの人生にお役に立つことがあるならとの思いでお話をすすめさせていただきます。

皆さんは今の社会をどうご覧になりますか? 私はちょっと危ういなと見ています。
たったライブドア一社の株式問題で、全部の企業の株価が下がる、これはとてもミステリアスです。 一体株とはなにかと感じます。 そのような社会で私たちは生きています。 そのような背景のなかで、ふっと私の知る限りのことを振り返ってみます。 

今私たちが忘れつつあること・・
 もう一度心に (ガンジーの言葉より)

インドの宗教家、思想家、哲学家であるマハトマ・ガンジーが、今から半世紀前に「人間の罪」 七つの罪を訴えメッセージとして残しています。

@自己犠牲なき宗教

自己犠牲を伴わない新興宗教がまかり通っています。
オーム心理教など似たようなものが多く存在しています。

A良心なき快楽

社会の中で名声や良識のあるいい大人による売春・買春行為です。
常識で考えられないことがまかり通っている時代に私達は生きています。
良心のかけらもなく楽しければよい人たちが熟年の中にいることは悲しくもさえあることです。

B人間性なき科学

原子力発電所でひび割れから放射能が洩れていた。これは、放射能がもれたことも問題ですが、そのことをひた隠しに隠すことが問題です。 これは人間性を無視した科学です。
発電所の近くの人はいつもおびえて生きざるを得ないのですが、そこで働いている人たちが、命を守る使命に燃えて仕事に携わっているのか、不安を持たざるを得ぬ場所で生きています。

C人格なき教育

知識教育の詰め込み⇒友達に対する思いやりを忘れ⇒教育現場でのイジメ、登校拒否、それによる自殺、こんなイジメが蔓延しています。人間としてどう生きるかの教育がどこかに置き忘れて人格なき教育が続いています。 これは人間破滅への道です。
これも私達が生きる中で考えねばならないことです。

D道徳なき商業

儲かればよい⇒利益優先のあまり道徳を見失っています。
ゲーム感覚で企業が生まれ、成長発展して、その企業がいつのまにか脚光を浴びていますが、一瞬にして奈落の底に落ち込み日本経済の足を引っ張る形でおこってくる、道徳を見失った商業に見る姿です。

E労働なき富

人間としてこの世に誕生したかぎり知恵をしぼり、汗を流し働く構図が働きです。
いまはゲーム感覚で汗を流さず収益を上げるかで、企業が存続しています。

働かない富⇒宝くじ。 またはパチンコ⇒昨日旭川のすし屋で教えられたのですが、パチンコ屋客の9割が女性だそうです。 競馬や株も然りです。

自分が働いて報酬を戴くことが、私に命を与えらた使命だと思っています。

F原則なき政治

政治の原則を考え直してください。 国民のための国民による国民への政治のはずが、今垣間見る政治は、その原則から外れています。 原則なき政治は国を滅ぼします。
年金の行く末はわからない。 医療費増を強いられるのに、私達が選んだ政治家が、国民の方をみて仕事をしていてくれたら、こんな大きな借金は生まれてないはずです。

約50年以上も前のマハトマガンジーがこれらの「人間の七つの罪」をメッセージとして残していることは、今の日本の姿そのもので、今の日本にあてはまる・・・・そんな時代に私達は生きている訳です。
                                     

今から平均寿命まで20年あります。 安心して生きられない、そういう時代に生きる私たちがどんな生き方をすればいいのかを少しお話します。

自己責任ということをよく聞きます。 この言葉を政治家から聞くとムカッときますが、自己責任でくくれば全ての現象は、自分の心に問えば、全ての原因は我にあり・・・に立ち返ります。 これからの人生を生きるには、自分の人生に責任を持って生きることが大切です。 私は28歳の時にこのことに気付きました。 

自分の生き方を反省しなければなりません。 人生のなかでもっとも大切なことは、健康に生きることです。 食事が健康の源です。

もう一つ大切なことは、老後の経済力です。
皆さんへの提案ですが、子供にお金をかけてはいけません。
子供のために死ねる親はいますが、親のために死ねる子供はひとりも居ません。
子供に財産やお金を与えるのは死ぬ間際でいいのです。 それまではしっかり握っていてください。
                   
それから地域社会とどう繋がっているかも大切なことです。
あなたが地域でどれだけ存在価値があるかは、人生を生きるなかでの一本の柱です。
人との繋がりが生きる為の大切な要素です。

人と人との繋がりは薄れてゆきます。 そこでより広い分野でより多くの人たちと関りを持ちながらその地域社会に役立つ自分でありたいし、それにより、あなたの人生が悔いのない人生であり
輝いて生きるところに行き着くのではないでしょうか。

人生は考え方で変わります。 あなたが考え、決めて結論づけてきた結果が、いまのあなたの姿です。 全ての考えをマイナス思考で捉える人は消極的になります。

考え方を変え、物事をプラス思考で肯定的に考えると、前向きになって新しい勇気が湧いてきます。 自分の人生は、あなたが経営者、あなたの命ですから、経営方針はあなた自身がつくればいいのです。 一度だけの人生を悔いのない人生に決めましょう。

 人の意識改革から世界に誇れる町に・・(徳島県 上勝町)

十数年前に、徳島県上勝町から講演依頼が来ました。行政からの講演は始めてなので行ってみると、講演のタイトルは「町の活性化」でした。 公民館にぎっしり入っていた人は皆年寄り。  そこで話題を変えて言いたいことを喋ろうと決めました。人口2741名の山奥の小さな町です。 「こんな町に誰がしたか・・町長が頼りないから、行政がヘボだからと思っていませんか。 でも行政でも町長でもない、そこに住んでいる住民一人一人、いまにも潰れそうなのはあなたのせいだ・・」と言ってか帰ったのです。

町長から電話がかかってきて「町がひっくり返っている、あんな人は二度と呼ぶな・・」とです。 しかし一握りの人が「やれるところまでやろう・・」と立ち上がったのです。

5年計画で「町の活性化」を始めたのですが、住民の意識改革で考え方を変えることから創ったプログラムの一つが、先ず一年間、行政のプロ意識の改革を研修の目的としました。 その後住民のなかに降りて、皆がどういう考え方ですべてのものに携わって行くかの住民の意識改革に5年間取り組みました。 

この小さな町が「日本まちづくり大賞」に輝きました。 なにがそうさせたか・・面白い町づくりをしている「1Q塾」が評価されたのです。 これは、頭をを使え、はてなのワン・クエッション、それに一休みしませんか、それに一休和尚の1Qにかかっています。

働く場所作りとして第三セクターで五つの産業を立ち上げ全部黒字です。 

@ 彩り産業⇒料亭で使う山でとった紅葉や柿の葉の出荷。 原価はゼロ。
A 樹の燻製の開発⇒住宅産業の立ち上げ。
B 山の測量⇒町の経営
C ホテル産業
D しいたけ産業⇒足の短い特産しいたけ。

いまや、34品目にゴミを分別するゴミゼロ宣言をし、リサイクル運動から地球環境を守る点で、日本のみならず世界に誇る上勝町になっています。 ヨーロッパから講師を招いて環境問題のシンポジュームを開くまでにいたっています。 だからホテルが必要なのです。
考え方を少し変えるだけで、町まで変わった例をお話しました。それはあなたの考え方を変えれば人生が変わることを意味します。

● たった一度の人生、命ある限り輝いて生きるために

最後にお話しますが、私が28歳、中学2年の担任だった時のことです。
担任の生徒に心臓の悪い男子生徒がいて、厳しい運動はさけるようにと申し受けていました。野球が大好きな子でしたが、この子との出会いで私自身の人生を変える事を決めることになったのです。

母親に電話をかけて相談したところ、あの子も子供ではないので苦しかったら休むでしょうから大丈夫との答えで、野球部に入っていました。5月2日、元気で運動場に送り出したこの子が一時間後にもの言わぬ子になってしまいました。

その後、毎日その子の家に行って、線香をあげ仏壇の前に座って涙する私に、その子の母親は恨みつらみは一切言わず、「人生は長さじゃない。その人がどう生きたかです。ウチの息子は短い人生だったけど、いい人生だった。悔ゆることはありません。」と仰いました。

その母親との出会いがあって、今の私があります。 出会いと選択で人生が決まるのです。 私は自分が生きる上でこの母親を目標にしようと決めました。 私がこの母親から学んだもう一つのことは、人間強くなければ優しくなれない・・ということです。

人生とは、はかないものだと悟りました。 28歳のとき「80歳で死す」と決め、
その隣に「生涯現役」と書きました。 死ぬまで誰かのお役にたっていて、できることなら税金を払っていける女性として生きていたいと決めたのです。 そこで学校の先生を辞めることを決め33歳で退職しました。

人生は長さでありません。 どう生きたかが大切なのです。 一日一日の積み重ねが、悔いのない一瞬一瞬を生きることが、自分の人生が良かったと振り返ることなるのではないでしょうか。 だから「輝いて生きる」とは、大きなメッセージのように思います。





1月 講演の舞台活花