平成17年度
熟年大学
第7回

一般教養公開講座
於:SAYAKA小ホール
平成17年12月15日

 欧州に学ぶアジア地域統合の推進
〜東アジア共同体の必要性〜



大阪市立大学 教授
山下 英次 氏

                 
                    講演要旨

このところ「東アジア共同体」の構築にむけた機運が高まってきました。 わが国にとって、東アジアの地域統合の意義はどこにあるのでしょうか。 また、半世紀以上に及ぶ欧州統合の経験からわれわれは何を学ぶべきなのでしょうか。

                  

ご承知のように、昨日たまたまクアラ・ルンプールで東アジアサミットがあり、小泉首相も出席されましたが、今日はそういった関連のお話をいたします。

東アジアサミットに対する日本の立場は、本来は欧州統合に学んでアジアも地域統合を進めていかねばならぬ立場にあるのに、現実には残念ながら消極的政策スタンスをとっています。 日本にとっても、長期的に考えると東アジア共同体の構築は是非とも必要なのです。

1. 欧州統合には日本人の遺伝子が入っている

古くは西暦1600年くらいからフランスの国王アンリ四世が、欧州は一つになるべきとして統合を推進しようとしたことがあります。 しかし彼は暗殺されその計画は頓挫しますが、当時計画されたのは15カ国でした。 今日のEU(欧州連合)もたまたま同じ15カ国でしたが、昨年25カ国になりました。  近代社会に入って1922年にウィーンでリッヒャルト・栄次郎・クーデンホーフ・カレルギーが「
汎ヨーロッパ」主義の演説を行いました。 彼の母親は日本人の青山光子です。 

ドイツとフランスは16世紀以来過去27回も戦争をして、第二次世界大戦が27回目にあたるというのです。 「
汎ヨーロッパ」とは、戦争を失くすには、国境をなくすことが必要との発想です。 今日、クーデンホーフ・カレルギーは欧州統合の父と言われており、従って、欧州統合にはいわば、日本人の血が入っているとになります。 実際には1950年5月に、シューマン・プランによる独仏の国境地帯にある石炭・鉄鋼を管理する欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が設立され、欧州統合が実際にスタートしました。

2. ドイツに学べ

欧州統合に積極的に参加することを通じて近隣諸国の信頼を勝ち得たドイツ。
欧州統合に積極的に参加することを通じて米国からの独立を果たしたドイツ。
ドル安によるマルク高の負担を他の地域通貨に分散することに成功したドイツ。

これにより、ドイツは過去の歴史の負の遺産を精算することになったのですが、日本もその意味で、同じようなことをアジアの地域ですることが、近隣諸国の信頼を得ることになると私は考えています。

もう一つのドイツの重要性は、欧州統合に積極的に参加することにより、米国からの独立を果たしたということです。 ドイツにおける駐留米軍は激減しています。 ドイツは、イラク戦争に対して金も兵も出していません。  これは日本にとってもまさに教訓です。

3・アジアにも地域統合が必要な理由

欧州域内共通通貨制度がもつ外的ショックからの隔離効果。
アジアでは域内通貨の枠組みが全くなかったため、ドルに翻弄された日本とアジア。

図表2で示したように、日本は円・ドルの為替レートの急激な変動の影響をもろに受けてしまいます。
これはまさに日本がアジアで地域統合の枠組みをつくらなければならない根本的な理由です。

アメリカは国際収支(経常収支)の赤字が異常に大きく、史上最大の赤字を更新し続けており、従来もそうであったように、ドルはいつ暴落してもおかしくありません。 アジア地域は自らを守らねばらず、そのためには、アジア地域統合が必要なのです。
                      

4. アジアのアイデンティティー

歴史的・・・インド、中国の2大文明の影響を受けた地域
近代以降・・・なんらかの意味で日本型経済発展モデルの影響を受けた地域。

おおまかに考えると、歴史的にも、アジアはインド文明と中国文明の影響下にあります。
インドシナなどは、文字通り歴史的にアジア諸国は何らかの形で両方の影響を半々に受けた地域です。
アジアは、近代以降になると、日本型の経済発展モデルの影響を受けています。
これがアジアといわれる地域の基本的な特徴です。 

5. 東アジア共同体評議会(CEAC)

2004年5月発足しました。 会長は中曽根康弘氏で、現在63名の有識者議員が活動しており私もその一人です。 政界、官界、経済界、学界から成る一応オール・ジャパンの組織です。

しかしここでも、米国との関係が気になり、残念ながら日本は他のアジア諸国と比べてあまり熱心でないのが現状です。 米国は当然の事ながら、自らを抜きにした東アジア共同体の設立構想に反対しています。

6. 【ASEAN+3(日中韓)】の枠組みと「東アジア・サミット」の違い

アセアン+3(日中韓)】 は東アジア地域の戦略的枠組みで、2000年5月チェンマイ・イニシアティブ(CMI)を以ってスタート。 いずれは台湾・香港も。 現在はアジアの通貨建てでアジア諸国の債権を発行しようという「アジア債権市場育成イニシアチブ」(ABMI)を推進中です。 

東アジア・サミット】は、【ASEAN+3】にインド、豪州、ニュージランドも参加(ロシアも準参加)の単なる討論のためのフォーラムで、地域の戦略的枠組みではありません。わが国としては、これを米国に配慮した対米陽動作戦と心得るべきです。。

経済と安全保障は密接に絡んでいます。 歴史的に戦争は殆ど経済問題が絡んで起こっています。 日本は国のあり方、今後どういうふうにしたいかが今問われています。

EU加盟国間の所得格差は10分の1であるのに対し、アジアは100分の1にもなります。
日本やシンガポールの3万数千ドルと最貧国の300ドル。  

但しアジアは欧州と比べてむしろ有利な点もある。 EUの域内貿易は60%程度。 それに比べ、東アジアの世界全体の輸出に占める域内貿易は、53%でかなり良い線。
また東アジアでは、生産工程別の分業システムのネットワークが緊密に出来上がっています。 1980年代後半のプラザ合意以降の超円高によって、日本企業は工場をアジアに分散するなど直接投資を盛んに行いました。 日本企業はそのネットワークを経由する形で、世界に輸出しています。

この生産工程別のネットワークは、世界一のものです。 政府間合意に基づく発展ではなく、民間ベースで自然発生的にできたものです。 経済統合を進めて行く事実上の統合はできていると言えます。 しかし通貨や金融面では、政府間の合意が必要です。
2000年5月から始ったチェンマイ・イニシアティブは、アジアではじめての政府間の金融的枠組みです。 これまではDe factoの統合だったのですが、今後はformalな統合が必要となります。

その意味ではアジアは格差は大きくても、ヨーロッパが50年前に地域統合を始めた頃と比較してはるかに有利な状況もあるわけです。 

所得格差が大きいことも、それぞれが補完的な役割を果たせるということで、決して不利ばかりとは言えないと思います。

7. 「三度目の正直」を問われる日本

今回の【東アジアサミット】やその前の【ASEAN+3】首脳会議の一連の会議を通じて思い起こされるのは、日本はアジア諸国から三度目の正直を問われていることです。

1990年マハティールのEAEC(東アジア経済協議体)構想。
1997年AMF(アジア通貨基金)構想
アメリカの反対を乗り越えなければならない日本

1990年12月に当時のマハティール首相が、東アジア協議体構想、EAEG⇒トーンダウンしてEAECを提唱しました。 ところが、米国の公式な反対で日本は参加を表明できず、結局はこの構想は頓挫しました。   

しかし、アジア諸国はしたたかで諦めずに、【ASEAN+3】と名前を変えて同じ枠組みを成立させました。 そのキッカケは、1994年に起きたシンガポールとアメリカ両国の関係悪化につながった事件です。  シンガポールの首相がフランスを訪問して、アジア欧州会合(ASEM)の首脳会議を提案したのです。 フランスは、成長するアジアを取り込もうとして、当時、APEC(アジア太平洋経済協力会議)に熱心であった米国の戦略に対抗するには格好の場であるとして賛成し、1996年に、タイのバンコクで第一回目のASEM首脳会議の開催に至りました。 これが【ASEAN+3】と【欧州のEU加盟国】との会合で、日本もこのとき参加しました。これは、対米追従の日本をなんとか枠組みに入れようとするアジア諸国の高等戦術でした。

1997年にアジア通貨危機が、タイから発生し世界にその影響が及びました。
ところで、そのときの教訓は、IMFとその背後にあるアメリカは、誤った処方箋を与え、危機をさらに悪化させたとして頼りにならないことが明らかになり、アジア諸国からの強い不信感を招くことになったのです。

そこで1997年にAMF(アジア通貨基金)構想ができて、日本も直ぐ賛成し、アジア版のIMFを作ろうとしたのですが、アメリカが反対し、このときも日本は結局、降りてしましました。

日本は二度もアジアを裏切ったことなり、今や三度目の正直を問われていますが、昨日終わった東アジアサミットにおける日本のスタンスは、むしろ「二度あることは三度ある」式の失望感を、アジア諸国に与えることに踏み出しそうな感じになっています。 東アジア・サミットにおける日本政府の対応について、私は「道をはずした」と理解しています。つまり、今後いずれかの時点で元の道に戻らなければなりません。

ところでバブル経済はどこからはじまったか、あるいは、長年低迷する日本経済の財政赤字はなぜ始ったかを考えてみる必要があります。 その原因のほとんど全ては、80年代半ばのプラザ合意以降の超円高が原因です。 

アメリアカは、超円高を人質にとって、日本に内需拡大を含む様々な要求を迫ってきました。 日本の公共投資を10年間(1991年度〜2000年度)で430兆円すべしとするとんでもない要求を出し、これが今日の巨額な財政赤字の出発点となったのです。 経済的なバブルがどうして発生したかについても、資産価格が上がったのに対し、フローベースでのインフレ率は上がらず、低金利政策を長らく続けた結果、バブルが膨らんだのです。 そしてその後、バブルがはじけ、「失われた十数年」につながったのです。 つまりは、全て超円高を人質にとったアメリカの対日外交からきています。

国防問題を背景にした度を越した対米配慮が日本を誤らせたのです。 バブル経済の崩壊と日本の国防問題は非常に密接に関連しているのです。 日本の国民が自ら国を守る覚悟ができていないため、政府も日銀もそれに配慮せざるを得ないということがあるのです。 

経済と安全保障はこのように密接に絡んでおり、戦争も経済が原因で起こっています。日本は、自分たちの国をどのようにしたら良いのか、今そのあり方が問われています。

2005年8月の郵政民営化に関する参議院特別委員会で、自民党の枡添要一議員が「郵政民営化といっても解りにくい。 多種世論調査によると、政策の順位として、10番目くらいです。なぜ郵政民営化だけを首相は言うのか。 
郵政民営化を通じて総理は一体この国をどのような国にしたいのか?」と問いました。 それに対し総理は、「どういう国にしたいかは、共産党を除いて余り変わらないのではなか」と答えています。つまり小泉首相には、この国の将来ビジョンがないのです。当時民主党党首は岡田克也さんでしたが、彼は、2005年5月、「外交安全保障政策に関する岡田ビジョン」を発表しており、彼のビジョンは、これまでの対米依存とはかなり異なるものであり、国の将来ビジョンを示しています。 私は、「岡田ビジョン」を高く評価しており、時事通信社の【世界週報】2005年9月20日号で論評しておりますのでご関心をお持ちの方はご覧ください。

日本がアメリカに遠慮して参加しないとしても、アジアの地域統合は、長期的にみると、日本にとっても決定的に重要ではありますが、そのためには、日本の国のありかたを如何様に考えるかが密接に絡んでいます。

アジア地域統合は中国を中心に進んで行くことでしょう。 今の政策スタンスでは、日本はそれから除かれるだけであり、それは日本にとってどういう生き方を意味するのか、ますますアメリカの属国化する以外に方法がないということになるが、それでいいのか・・・ということになります。

日本はいま、まさに国の進むべき道について、大きな岐路に立っています。国民一人一人が自分の頭で考えることが大切だと私は考えています。







12月 講演の舞台活花