平成15年度
熟年大学
第6回

一般教養公開講座

於:SAYAKA小ホール
平成15年11月21日


 【市民の立場から見た日本企業】

講師
京都大学大学院経済研究科
助教授
曳野 孝 

                   講演概要

I  1990年代日本経済の不振と日本的企業システム 
II  1990年代アメリカ経済の好景気とアメリカ的産業システム
III  企業システムのアメリカ化 
IV 日本経済の再生に企業システムのアメリカ化はどう役に立つのか
 
講演の要旨


年の日本経済のいわゆる「平成不況」を克服する根本的な手段として、経済システム、特に企業経営の改革が叫ばれ、とりわけ様々なレベルでのアメリカ的な手法の導入が議論されている。 この講演では、この「アメリカ化」、または市場原理の全般的導入とは、一般的に何を意味するのかをまず考え、ついでそのアメリカ化が日本の産業企業システム、とくに一般市民にとってどういう意味を持つのかを受講者と共に考 えてみたい。

●平成の長期不況

1990年代初期に始まった平成不況は、政府と民間の努力にもかかわらず、また近年の政府が発表する明るい見通しにもかかわらず、必ずしも終焉の兆しを見せておらず、広く一般庶民の生活を脅かしている。この長期不況は、特に1985年のプラザ合意に端を発するいわゆるバブル経済の莫大なつけを日本経済が構造的に負担していることを示している。一方世界経済全体では、アメリカの主導するグローバリズムと呼ばれる国際経済の再編が進展し、日本を含めた各国経済はその対応を迫られている。このような背景のなかで、特に関西経済は、日本全域の中でも不況が特に深刻になっている。


●経済環境の変化

このような日本経済の根幹となる産業構造調整の必要性が叫ばれて久しい。すなわち、日本企業が持つ過剰生産体質の是正の必要性が議論されているのは、従来の日本の企業が新しい環境に適応できていないからである。その経済環境の変化は、以下のいくつかの点にまとめられる。

需要サイド

  • −長期的には成熟社会に入り国内市場が従来のスピードでは成長せず、短期的にはデフレと不況に悩む日本経済に製品吸収力がない。

  • −海外市場での日本製品への需要が、かつてのように安定的に成長せず、輸出をてことした景気回復が出来ない。

供給サイド

  • −日本製品の国際競争力が一般的に低下している。

  • −中国や、韓国、台湾、シンガポールなどの東南アジア諸国の工業化進展とともに、従来の日本ですべてを生産するというシステムに変わって、新しい国際的な分業が進行している。

  • −日本の生産力極大化をめざす、従来の「フルセット型」の日本の産業構造が、グローバライゼーションの進展と国際分業の発展によって、構造変化を求められている。

  • −大蔵省、通産省が、産業構造政策においていわゆる「護送船団方式」を採用し、価格競争を制限することによって、競争力の弱い企業も温存された。

  • −業界レベルで、経営効率の異なる企業が並存し、個別企業は利益性よりも成長性を追及した。


●経済評価の逆転

振り返ってみれば、1980年代においては、このような日本の産業と企業のシステム一般に関する評価はきわめて高かった。専門経営者が企業、産業、そして経済の安定成長を目指して、長期的な視野から生産的投資を継続していると理解されていた。日本の経済はその結果として技術開発能力を蓄積し、そのレベルはアメリカに追いつくか、あるいは21世紀にはそれを凌駕するとさえ吹聴された。当時のアメリカ経済は、経済全般にわたって多くの問題を抱えており、この背景では確かに日本企業と産業が、アメリカに代わる新しい産業成長のありかたとしてもてはやされたのである。日本経済、アメリカ経済とも現実の経済システムはそれほどの変化していないが、それらに対する評価はほぼ完全に逆転している。金融資本市場からのモニタリングのない企業経営は、モラルハザードを生み出し、結末として産業企業の業績不振と金融機関の行き詰まりを顕著にさせた。かつては短期的な投資行動に結びつくといわれたアメリカ的な企業統治のシステムは、いまや国際的なモデルとして日本、ヨーロッパにまで普及し始めている。

●経営者・管理者の重要性

このような新しい環境のなかで、日本の企業とその経営者が経済的に果たす役割は、計り知れないほど大きいことは周知のことである。昨今の日本、特に関西の経営者の多くの不祥事と企業経営の失敗、そしてその帰結としての企業の不振あるいは倒産を見るとき、経営者という職務の重要性が再認識される。もちろん企業自体の存在は古代から知られているし、企業の経営もその意味で全く新しいことではない。しかし、「経営者」という存在がこれほど重要であると認識されるのは、実はそんなに古いことではない。1946年に当時は新進気鋭の経営評論家であったピーター・ドラッカーが、現代文明において企業経営者が一つの中心的な役割を果たしていると論じるまで、経営者の役割が社会的に広く認識されることはほとんどなかった。それ以降、経営者、管理者の功罪について様々な角度から議論がなされてきたし、また近年における日本企業の激動のなかで、当然のこととはいえこの経営者、管理者の存在が再び議論の的となっている。


●市民の立場から考えるべき日本の産業と企業のシステム

このように重要性が一般的に認識されている企業とその経営者に関する議論は、日本においてはほぼ全面的に政府、財界、学界のなかで意見が交換されてきた。言い換えれば、従業員、労働組合、一般市民のなかでは、不思議なことに全くといっていいほど認識が不足している。生活に関係する度合いを考えると、まさにこのような人々がこれからの日本企業のあり方によって深刻な影響を受けるはずである。企業あるいは経営者は遠い存在と敬遠しないで、これからの日本の産業と企業のシステムを市民の立場から考えていく時が来たと思う。



質疑応答の曳野氏とチョルパン アスリさん

トルコからのAsli M.Colpanさんは
京都工芸繊維大学大学院
先端ファイブロ科学専攻博士後期過程の研修在学中。
曳野先生の講演助手を務められました。


11月講演舞台活花